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2025年02月02日
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ウクライナのDual Life

2015年07月25日
旦那でぇーす。
先週末の来客対応で疲れてしまい、スランプに陥っておりました。
暑さのせいかなぁ。

いずれにせよ、キエフの夏はまだまだ続いております。
連日32度超え。いや、日本に比べればまだまだなのはわかっていますが、慣れというのは本当に怖いもので、涼しい気候に慣れてしまうとすごく暑く感じます。しかもこの国、夏を前提としていないのでバスや地下鉄にクーラーが設置されておらず、めちゃめちゃ暑いんですわ。しかも日差しが強く、奥様が描くように旦那、真っ黒です。

さて6月の記事「夏到来!ビーチ!」でも紹介しましたが、

暑い日には、キエフっ子は「Hydropark」と呼ばれるソ連時代に作られた「水」をコンセプトにしたテーマパークに出かけます。「テーマパーク」といっても特に入場料は取られません。

普通の人々はドニプロ川沿いの砂浜にシートを広げ、肌を焼いたり、本を読んだり、筋トレしたり、ビーチバレーに興じています。

↓こーんな感じ。




しかし、ウクライナの裕福な人や外国人は汚いドニプロ川に入りたくないのか、Hydroparkの奥にあるリゾート風プールに向かいます。

駐車場には、ポルシェ、ベントレー、メルセデスなど高級外車がズラリ。でも入場料は1500円ほどです。一日過ごせることを考えるとそんなに高くはないのですが、こちらではやはり高価です。

セキュリティ・チェックを受けて入場すると、大きめのプールがあり、その周りに日焼けや読書をしに来た人がデッキチェアでゆっくりしています。DJがいい感じに音楽をかけ、バカンス地でよく見かけるあの風景が広がっています。

奥にはレストランがあったり、ビーチバレーのコートがあったり、子供用遊具があったりと充実しています。そのせいで家族連れも多いですね。

平日はやはり人は少なめですが、週末は多くの人で賑わっています。
ここから見える、ぺチェルスカ大修道院は絶景です。

プライバシーがあるのであまり写真はとれませんが、こちらの女性たちはモデルさながらに写真撮影大会を開いています。確かに美しくスタイル抜群な女性は多いのですが、あまりにも自信があるのでしょうか、撮影大会が終わりません。

そしてキエフの夏は夜10時位まで明るいので、夕方になると日差しは一段と厳しくなります。


ここの食事は少々高めですが、飲み物は市内のバーで飲むくらいの値段。

水辺で涼しいこともあって、仕事をしている人やMTGをしているグループも見かけます。

キエフにはこの他にも市内でバカンス気分を味わえるところがいくつかあります。

行ったことないのですが、近くのモールの屋上には以下のようなプールも...開放的ですね。
日本に伝わっているウクライナイメージからは想像できないと思います。



ここがキエフであるということ、そして戦時下の国にあるということをつい忘れてしまうような雰囲気です。まさにこれこそが現在のウクライナの状況、つまり戦地で戦う人がいる一方で、その犠牲が国民全体でシェアされていない状況を示す「Dual Life」なんでしょう。

戦時下にあり、経済も最悪の状況であるにも関わらず、社会・生活面でのある程度の秩序が保たれている状況。シュールリアルと言ってしまえばそれで終わりですが、これは問うに値する問題かもしれません。


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大量のナターシャたち

2015年07月16日
最近ダンナが食べ物カテゴリ記事しかアップしないので少々心配です。



正確にはナタリアの愛称がナターシャなのですが。
ちなみに、名前にはそれぞれ愛称(あだ名?)があって、それで呼び分けて
いるのかと思いきや、別にそういう訳でもないです。愛称のルールは謎。

例を挙げてみると。。。
ナタリア⇒ナターシャ
イリーナ⇒イーラ
オルガ⇒オーリャ(短くなってない!)
エレーナ⇒リェナ
アレクサンドル⇒サーシャ(!?)
コンスタンティン⇒コスチャ
セルゲイ⇒セリョージャ(短くなってない②!)
イエブゲニー⇒ジェーニャ(!?)

等々。。。最初は戸惑いました。


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有事

2015年05月26日

この国に来て一番ショックだったのは、自分の会社の従業員が徴兵されていったことですね。
東部の戦闘地域へ、1000人単位の若者を中心とした人々がローテーションで派遣されています。

キエフにいると、平和すぎて忘れてしまう。恐ろしいことです。

あと、地味に私の給与から天引きされて、徴収されていく軍事税。
なんだか戦争に加担しているみたいで、胸が痛いです。





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ヴィシヴァンカ

2015年05月24日
5月21日はウクライナの民族衣装「ヴィシヴァンカ」を着用しようという日、National Vyshyvanka Day!!



お洒落な着こなしができるため、「ヴィシヴァンカ」を着ている人は普段からちょくちょく見かけますが、特にこの日は街中のいたるところで見かけました。ぼくは某大学の国際会議に出席したのですが、そこに参加していた女子学生の7割くらいは着用していたかなぁ。めちゃかわいかったです。

そして日曜日の24日には、市内中心部のゴールデンゲート横から聖ミハイル大聖堂まで行進するイベントが行われていました(東京では銀座で「東京ウクライナ・パレード」が開催されていたみたいですね)。



マイダン革命を見てもわかるように、この国はさまざまな問題(貧富、東西、言語、世代・歴史解釈etc)を軸に分裂しています。なかなか国を一つにまとめるものがないなかで、「ヴィシヴァンカ」を着て愛国心や連帯を示そうということで開かれたイベントのようです。

とはいえ、怖そうな右派セクターがいるわけでもなく、我々が夏に浴衣を着用するようなノリで、多くの人はお堅いこと抜きにセルフィーしながらはしゃいでおり、とても和やかな雰囲気でした。



地域によって刺繍の柄や色が変わるみたいで、めちゃ可愛いです。ほらっ!




ちゅうことで、我々も買ったで!まだ着る機会がないのですが、今度ヴィシヴァンカ・ピクニックをやろうという話になってます。





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2015年の「大祖国戦争」戦勝記念日

2015年05月08日

ちょっとお堅いお話。

終戦70年を記念して「ウクライナ:勝利への道」展が催されている公文書館が近くだったので行ってきました。

戦勝記念日は多くの欧州諸国で「5月8日」、ロシア・旧ソ連諸国では「5月9日」となっていますが、今年からウクライナでは「ヨーロッパ」基準にあわせて、新たに8日を「記憶と和解の日」とし、「大祖国戦争」の戦没者を追悼しています(戦勝記念日はそのまま)。



またこれを機に、これまで追悼の象徴となっていた「ゲオルギー・リボン」のかわりに、英国などでWWIの休戦日につけられる「ポピー」が公式に用いられることになりました。 テレビをつけると多くの放送局が「1939-1945, We Honor, We Prevail」と記されたポピーを掲げ、戦時下の国民を奮い立たせるべく、"Glory to Ukraine, Glory to Heroes!(Слава Украине! Героям слава!"と視聴者に語りかける以下のようなCMを流しています。


お爺ちゃんと孫、最後にはGlory to Ukraine!


お婆ちゃんと孫、最後にはGlory to Heroes!

(ポピー、「1939-1945, We Honor, We Prevail」と)

(ポロシェンコ大統領とバン・キムン国連事務総長はこれを背景に戦勝記念式典を催した)

以下の記事にもあるように、現在ウクライナでは脱共産(ソ連・ロシア)化が進められているようです。4月初頭に議会を通過した一連の諸法案には、ナチスや共産主義のシンボルを掲げることを禁じるものがあり、例えば「大祖国戦争」という呼び方を「第二次世界大戦」に変えようという動きもみられます。またソ連時代に由来する街や道の名前も全て変えなければならなくなるかもしれません。


(ポピーの花飾りをつける祖国の母像)


そして何より興味深いのは、この動きに関連してソ連時代(1917-91年)のウクライナKGBの資料へのアクセスが解禁されたということです。これにより新たな歴史的事実(主に暗部でしょうが...)が発掘されるかもしれません。

昨年成立したポロシェンコ政権としてはこうして「民主主義」の原則を追求する「ヨーロッパ」の国家であることをアピールしたいのでしょうが、他方で上記の諸法案は「表現の自由」に反し、国のイメージダウンにつながるのではないか、また国家主導の歴史の書き換えはいかがなものか、そして国の分裂をいっそう深めてしまうのではないかと懸念する声が親露派・共産主義者以外からもあがっているとのことです。


 
(大祖国戦争博物館。下のボックスには「国連によれば14年4月から15年2月までにウクライナ東部では6000人以上の死者が出たとみられる」と記されている。WWII以降の歴史を振り返り、現在も続く東部地域での戦闘に関する特設展示をみるのは何とも複雑な気分だ)


いずれにせよ「ウクライナの領土を占領したナチスとソ連からの脱却」というフレームで歴史を捉え(直し)たうえで過去と向き合い、現在の危機を乗り越えようとしているのでしょうか。上記 KGB資料を管理することになる「Ukrainian Institute of National Remembrance」主導のもと作成された動画では、昨年の戦闘で23歳の孫を失ったWWIIの退役軍人にスポットライトを当て、エモーショナルに過去と現在をつなげようとしています。

Alexander J. Motyl, "Kiev's Purge: Behind the New Legislation to Decoomunize Ukraine," Foreign Affairs (April 28, 2015)

Olena Goncharova, "Ukraine breaks from Russia in commemorating Victory", Kyiv Post (May 7, 2015)

 



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