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2024年11月23日
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キエフの共産主義建築
2015年08月11日
まもなくなくなるかもしれない、キエフの共産主義建築...
ウクライナの現政権は「西」に向いていて、将来的なEU加盟を目指しています。その過程で歴史を克服しようとする動きがみられます。そしてソ連時代の党章や建物など象徴的なものを街から取り除いていっています。以下のような「The ソ連」でありながら、街の観光名所・象徴となっているものまで解体するのかはわかりませんが(メトロ駅にある共産党のエンブレムなんかは剥がされているとのこと...)、時間の問題かもしれません。
ということで、最後になるかもしれないため、せっせと記録に残していきます。
①「祖国の母」像
キエフの空港から市内に車を走らせると、まずこの建物を見ることになります。お隣が世界遺産にも登録されているぺチェルスカ大聖堂があるため、こんなものいらないよ!という声もありますし、否、もはやこれはキエフの象徴でしょう!という声もあるようです。
②勇ましい市民像
③友情のアーチ
もちろんソ連時代に建てられた、ロシアとウクライナの「友情」像だそうです。
いまではシュールなネタでしかありません。ところで、どっちがウクライナで、どっちがロシアだったかな?
④アフガン戦争記念碑
共産主義建築ではないのですが、アフガン戦争の記念碑。ソ連にとっての「ベトナム戦争」は79年12月に始まったアフガン戦争。これがソ連崩壊の一因になったと指摘されることも。
⑤主のいないレーニン像
フレチャ−チク通り近くにあるレーニン像。最初見た時は大砲かなにかと思ったが、よく見ると台座には「レーニン」と記されている。マイダン革命で倒されたらしい。
共産主義時代の建物を片っ端から壊すのではなく、残した上で「ウクライナ」を施すほうが皮肉が効いていて個人的には好きなのですが...やっぱり壊すんですかね。
⑥おまけ、ソ連時代のアパート
これは70年代頃からある(てことは、ブレジネフ風アパート?)と聞いています。ソ連系アパートには、スターリン風アパート、60年代のフルシチョフ風アパートとあり、それぞれが時代の特徴を映し出しています。
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ウクライナの現政権は「西」に向いていて、将来的なEU加盟を目指しています。その過程で歴史を克服しようとする動きがみられます。そしてソ連時代の党章や建物など象徴的なものを街から取り除いていっています。以下のような「The ソ連」でありながら、街の観光名所・象徴となっているものまで解体するのかはわかりませんが(メトロ駅にある共産党のエンブレムなんかは剥がされているとのこと...)、時間の問題かもしれません。
ということで、最後になるかもしれないため、せっせと記録に残していきます。
①「祖国の母」像
キエフの空港から市内に車を走らせると、まずこの建物を見ることになります。お隣が世界遺産にも登録されているぺチェルスカ大聖堂があるため、こんなものいらないよ!という声もありますし、否、もはやこれはキエフの象徴でしょう!という声もあるようです。
②勇ましい市民像
③友情のアーチ
もちろんソ連時代に建てられた、ロシアとウクライナの「友情」像だそうです。
いまではシュールなネタでしかありません。ところで、どっちがウクライナで、どっちがロシアだったかな?
④アフガン戦争記念碑
共産主義建築ではないのですが、アフガン戦争の記念碑。ソ連にとっての「ベトナム戦争」は79年12月に始まったアフガン戦争。これがソ連崩壊の一因になったと指摘されることも。
⑤主のいないレーニン像
フレチャ−チク通り近くにあるレーニン像。最初見た時は大砲かなにかと思ったが、よく見ると台座には「レーニン」と記されている。マイダン革命で倒されたらしい。
共産主義時代の建物を片っ端から壊すのではなく、残した上で「ウクライナ」を施すほうが皮肉が効いていて個人的には好きなのですが...やっぱり壊すんですかね。
⑥おまけ、ソ連時代のアパート
これは70年代頃からある(てことは、ブレジネフ風アパート?)と聞いています。ソ連系アパートには、スターリン風アパート、60年代のフルシチョフ風アパートとあり、それぞれが時代の特徴を映し出しています。
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