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2025年01月22日
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風は西から:リビィウへ〜その1〜
2015年05月29日
奥様の3連休が始まるので、金曜夜から週末旅行に行ってきました!
行き先は、ウクライナ西部のリビィウ(Львів)。
あまり知られていないですよね。
歴史に詳しい方であれば、「レンベルグ(Lemberg)」、「ルヴフ(Lwów)」、あるいは「リヴォフ(Львов)」として記憶されているかもしれません。もしくは「ガリツィア地方」というのは聞いたことがあるかな。実はこの呼び方はポーランド語で、ウクライナでは「ハルィチナー地方」と呼ばれます。
なぜこのように様々な呼ばれ方をするのか。それはこの都市が様々な国(帝国)の支配下に置かれてきたからです。ざっくり書くと、ポーランド、オーストリア帝国、そして一時ロシア軍に占領された後、オーストリア=ハンガリー帝国に組み込まれ、WWI終盤に一瞬建国された「西ウクライナ人民共和国」の首都となるも、再びポーランドに組み込まれ、WWIIが始まりナチスによって包囲され、1939年に「モロトフ・リッベントロップ」協定(独ソ不可侵条約)でソ連に引きわたされ....と複雑です。
それゆえ、この街はウクライナ文化やナショナリズムの中心地でもあります。となれば、昨今の一連のウクライナ危機でも重要な役割を果たしますよね。しかも、この街について皆きれいだったよ、というのです。
ということで、こうした歴史をくぐり抜けてきた美しい街リビィウに行ってみたい!となりました。
奥様の仕事後、18時半頃キエフ郊外のボリスピリ空港に向かいます。
夜19時55分発の便。はじめての「ウクライナ国際航空」。聞いたこと無いけど落ちへんかな。でもキエフから国内線のるなら、さけて通れないよね。
え、タラップ!?めちゃ久しぶり。タラップの一番上まであがると、誰も見てないのに機体を背にしてつい手を降って写真とりたくなりますよね。ビートルズの影響かね。そんなどうでもいいことを考えているうちに到着。東京-大阪くらいですね。
21時過ぎというのにまだ明るい。リビィウの空港は小さく、空港のフェンス横で子どもが遊んでいるのが見えます。のどかやなぁ。
そして空港からタクシーで15分、ダァーーーーーーーーーん。目の前に現れたのは要塞。
そう、19世紀半ばにオーストリア帝国政府が作った要塞を改築したホテルに奥様が予約をいれてくれていたのです(わかってるぅ〜〜♪)。それにしてもすんごい雰囲気。高台にあり、大砲も構えています。
ホテルで少し休憩して、夕食のため中心部に繰り出します。
まず街を散策してみて二人がともに感じたのは、
キエフと全く違う。そしてヨーロッパだ。
建物のデザイン、街の作り方が全然違います。
ソ連っぽさがほとんどないのです。
伝わりますかねぇ〜?
さすが、ウクライナ民族主義の中心地。
ということなのでしょうか、「ビール・シアター」という観光名所にもなっている店ではこんなものが...
プーチンも、メルケルも、オバマも皆信じられなーいということでしょうか。
ギャグでも色々考えちゃいますよね。
そして夕食は口コミ評価が高かった「ランプ・バー」というところで。
乾杯のウォッカ。ビーカーできました。
量、おおない?アルコールランプ思い出したわ。
続いてニク!これでお腹いっぱいなるぅー。うまい。
そしておすすめされた、ローカルビール。これはあかんな。
でも、若者が集うええ感じの店でした。遅くまで、かなり混んでたね。
それにしても仕事終わりにきて、こっちで夕食食べて、結構町並み見て変な感じ。
欧州の夏、やっぱ最高やな!
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行き先は、ウクライナ西部のリビィウ(Львів)。
あまり知られていないですよね。
歴史に詳しい方であれば、「レンベルグ(Lemberg)」、「ルヴフ(Lwów)」、あるいは「リヴォフ(Львов)」として記憶されているかもしれません。もしくは「ガリツィア地方」というのは聞いたことがあるかな。実はこの呼び方はポーランド語で、ウクライナでは「ハルィチナー地方」と呼ばれます。
なぜこのように様々な呼ばれ方をするのか。それはこの都市が様々な国(帝国)の支配下に置かれてきたからです。ざっくり書くと、ポーランド、オーストリア帝国、そして一時ロシア軍に占領された後、オーストリア=ハンガリー帝国に組み込まれ、WWI終盤に一瞬建国された「西ウクライナ人民共和国」の首都となるも、再びポーランドに組み込まれ、WWIIが始まりナチスによって包囲され、1939年に「モロトフ・リッベントロップ」協定(独ソ不可侵条約)でソ連に引きわたされ....と複雑です。
それゆえ、この街はウクライナ文化やナショナリズムの中心地でもあります。となれば、昨今の一連のウクライナ危機でも重要な役割を果たしますよね。しかも、この街について皆きれいだったよ、というのです。
ということで、こうした歴史をくぐり抜けてきた美しい街リビィウに行ってみたい!となりました。
奥様の仕事後、18時半頃キエフ郊外のボリスピリ空港に向かいます。
夜19時55分発の便。はじめての「ウクライナ国際航空」。聞いたこと無いけど落ちへんかな。でもキエフから国内線のるなら、さけて通れないよね。
え、タラップ!?めちゃ久しぶり。タラップの一番上まであがると、誰も見てないのに機体を背にしてつい手を降って写真とりたくなりますよね。ビートルズの影響かね。そんなどうでもいいことを考えているうちに到着。東京-大阪くらいですね。
21時過ぎというのにまだ明るい。リビィウの空港は小さく、空港のフェンス横で子どもが遊んでいるのが見えます。のどかやなぁ。
そして空港からタクシーで15分、ダァーーーーーーーーーん。目の前に現れたのは要塞。
そう、19世紀半ばにオーストリア帝国政府が作った要塞を改築したホテルに奥様が予約をいれてくれていたのです(わかってるぅ〜〜♪)。それにしてもすんごい雰囲気。高台にあり、大砲も構えています。
ホテルで少し休憩して、夕食のため中心部に繰り出します。
まず街を散策してみて二人がともに感じたのは、
キエフと全く違う。そしてヨーロッパだ。
建物のデザイン、街の作り方が全然違います。
ソ連っぽさがほとんどないのです。
伝わりますかねぇ〜?
さすが、ウクライナ民族主義の中心地。
ということなのでしょうか、「ビール・シアター」という観光名所にもなっている店ではこんなものが...
プーチンも、メルケルも、オバマも皆信じられなーいということでしょうか。
ギャグでも色々考えちゃいますよね。
そして夕食は口コミ評価が高かった「ランプ・バー」というところで。
乾杯のウォッカ。ビーカーできました。
量、おおない?アルコールランプ思い出したわ。
続いてニク!これでお腹いっぱいなるぅー。うまい。
そしておすすめされた、ローカルビール。これはあかんな。
でも、若者が集うええ感じの店でした。遅くまで、かなり混んでたね。
それにしても仕事終わりにきて、こっちで夕食食べて、結構町並み見て変な感じ。
欧州の夏、やっぱ最高やな!
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