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2024年11月28日
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そうだ、ジトーミルにいこう!〜宇宙博物館編〜
2016年08月12日
先週の「チェルニーヒフ」に続き、キエフから2時間以内で行ける街「ジトーミル」にぶらっと行ってきました。
ジトーミルの場所はこちら。なにか大きな目的があってこの街に向かったわけではないのですが、我が家にあるフランス語版「ロンリー・プラネット」でも一応紹介されていたので興味を持った次第。
道中はいつもどおりのヒマワリ畑!
ですが、もう夏の終わりでしょうか、ヒマワリに元気がありません。悲しい色になっています。それでもなんとか局地的に咲き誇っているところをウクライナ国旗とともにパチリ。
日曜午前に家を出発したので、比較的道路も空いていて、キエフから1時間半で到着しました。到着してみてびっくり、google mapで比較的大きな文字で書かれていたのに、想像よりも田舎町。で、ここで何をやるか。さっそくこの地の観光スポットを調べてみると、ここは教会はランキング・トップにきていません。
博物館の前にはコロリョフの胸像とR-5ミサイル!
それにしてもこの博物館、ロケット模型(手前と奥におります)がなければ、絶対気づかない...
こちらはキューバ危機の引き金になった準中距離弾道ミサイルR-12(NATO名SS-4「サンダル」)
建物を見ての通り、博物館はかなり小さいのですが、ところ狭しとミサイルやエンジンの模型、再突入カプセルなどが展示され、興奮しました(マニアではないのですが...)。
ソユーズ・ロケットエンジン・ステアリング
宇宙探査機ベガ2号の再突入モジュール(1984、1: 1模型)
無人月探査機ルナ9号(1966年、模型:1:2)
スプートニク2号・3号
あれ、カプセルのなかに宇宙飛行士がいるよ!
ソユーズ
ボスト―ク・ロケット(1:11)
博物館全景。1階の展示場しかない。いや、一階建ての博物館とか久しぶりに見たし...
宇宙食、まずそぉ。
日本のロケット模型もありましたが、「三○○工」○のところ、漢字が難しくて書けなかったみたい。
米ソデタントの象徴「アポロ・ソユーズテスト計画」(1 972年調印、1975年発射・帰還)
そして、この日は偶然にも、ガガーリンの次に宇宙に行ったソ連飛行士ゲルマン・チトフを載せた「ボストーク2号」が打ちあがって55周年に当たる日でした。そのためかわかりませんが、小さな博物館なのに子供連れでいっぱいでした。下の写真は、チトフについての諸々。ただし特にイベントなどは行われていません。田舎の郷土資料館のような、ほのぼのとした空気が流れています。
ちなみにこの博物館の前にはコロリョフの生家があり、こちらにも展示があります。彼は30年代にエンジニアのヴァレンティン・グルシュコの告発でシベリア流刑にあってるんですね(戦後名誉回復して、グリュシュコと相互不信のなかでR-7を合作したとか)。家の雰囲気を見る限り、良家ですな。モスクワではツポレフに師事。
グリュシュコとはこういう方です。彼らについてはこんなBBCなどの共同制作のドキュメンタリードラマがあるんですね。「SPACE RACE宇宙へ〜冷戦と二人の天才〜」NHKでも放映されたみたいですよ。
ガガーリンとコロリョフ。「地球は青かった」で有名になった(実はこれ日本でしか通じず、直訳すれば「空は暗かった一方で、地球は青みががっていた」らしいです)ガガーリンが世界的に有名にな ったのに対して、コロリョフはその存在を秘密にされ表舞台にでることはなかっ たという。まぁソ連にとってあまりにも重要な人物ですからね。
これで入館料60円(写真撮影40円)なら満足。いろいろ勉強になったので、大満足。子供がいたら色々解説してあげるのに〜と思いながら、いつもように子連れの親子を微笑ましく眺めるのでした。
Wikipediaの「ガガーリン」項目にこんなアネクドート(滑稽な小話)が紹介されていたので、これを引用して記事を締めくくります。
””宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー一世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。
総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」
ガガーリン「見えませんでした。」
総主教「わが子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。
ガガーリン「見えました。」
フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」(レーニン主義は宗教を否定している)”
いかにもソ連らしいアネクドートですね。
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ジトーミルの場所はこちら。なにか大きな目的があってこの街に向かったわけではないのですが、我が家にあるフランス語版「ロンリー・プラネット」でも一応紹介されていたので興味を持った次第。
道中はいつもどおりのヒマワリ畑!
ですが、もう夏の終わりでしょうか、ヒマワリに元気がありません。悲しい色になっています。それでもなんとか局地的に咲き誇っているところをウクライナ国旗とともにパチリ。
日曜午前に家を出発したので、比較的道路も空いていて、キエフから1時間半で到着しました。到着してみてびっくり、google mapで比較的大きな文字で書かれていたのに、想像よりも田舎町。で、ここで何をやるか。さっそくこの地の観光スポットを調べてみると、ここは教会はランキング・トップにきていません。
なんと1位に輝いていたのは、セルゲイ・コロリョフ記念宇宙博物館
そう、あのコロリョフです。米ソ宇宙開発競争真っ只中で、ソ連の宇宙開発を主導したコロリョフ。R-7を開発し、西側に「スプートニク・ショック」を与えた彼の出身地が、なんとジトーミルだったのです!博物館の前にはコロリョフの胸像とR-5ミサイル!
それにしてもこの博物館、ロケット模型(手前と奥におります)がなければ、絶対気づかない...
こちらはキューバ危機の引き金になった準中距離弾道ミサイルR-12(NATO名SS-4「サンダル」)
建物を見ての通り、博物館はかなり小さいのですが、ところ狭しとミサイルやエンジンの模型、再突入カプセルなどが展示され、興奮しました(マニアではないのですが...)。
ソユーズ・ロケットエンジン・ステアリング
宇宙探査機ベガ2号の再突入モジュール(1984、1:
無人月探査機ルナ9号(1966年、模型:1:2)
スプートニク2号・3号
あれ、カプセルのなかに宇宙飛行士がいるよ!
ソユーズ
ボスト―ク・ロケット(1:11)
博物館全景。1階の展示場しかない。いや、一階建ての博物館とか久しぶりに見たし...
宇宙食、まずそぉ。
日本のロケット模型もありましたが、「三○○工」○のところ、漢字が難しくて書けなかったみたい。
米ソデタントの象徴「アポロ・ソユーズテスト計画」(1
そして、この日は偶然にも、ガガーリンの次に宇宙に行ったソ連飛行士ゲルマン・チトフを載せた「ボストーク2号」が打ちあがって55周年に当たる日でした。そのためかわかりませんが、小さな博物館なのに子供連れでいっぱいでした。下の写真は、チトフについての諸々。ただし特にイベントなどは行われていません。田舎の郷土資料館のような、ほのぼのとした空気が流れています。
ちなみにこの博物館の前にはコロリョフの生家があり、こちらにも展示があります。彼は30年代にエンジニアのヴァレンティン・グルシュコの告発でシベリア流刑にあってるんですね(戦後名誉回復して、グリュシュコと相互不信のなかでR-7を合作したとか)。家の雰囲気を見る限り、良家ですな。モスクワではツポレフに師事。
グリュシュコとはこういう方です。彼らについてはこんなBBCなどの共同制作のドキュメンタリードラマがあるんですね。「SPACE RACE宇宙へ〜冷戦と二人の天才〜」NHKでも放映されたみたいですよ。
ガガーリンとコロリョフ。「地球は青かった」で有名になった(実はこれ日本でしか通じず、直訳すれば「空は暗かった一方で、地球は青みががっていた」らしいです)ガガーリンが世界的に有名にな
これで入館料60円(写真撮影40円)なら満足。いろいろ勉強になったので、大満足。子供がいたら色々解説してあげるのに〜と思いながら、いつもように子連れの親子を微笑ましく眺めるのでした。
Wikipediaの「ガガーリン」項目にこんなアネクドート(滑稽な小話)が紹介されていたので、これを引用して記事を締めくくります。
””宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー一世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。
総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」
ガガーリン「見えませんでした。」
総主教「わが子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。
ガガーリン「見えました。」
フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」(レーニン主義は宗教を否定している)”
いかにもソ連らしいアネクドートですね。
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