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2024年11月21日
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チェルノブイリ・ツアー①
2015年10月17日
チェルノブイリに行ってきました。
ウクライナといえば、チェルノブイリ原発事故を思い起こす人は少なくないでしょう。実際、旦那もそのイメージでした。キエフに住んでいるからには、一回は訪問しておきたいと思っていました。
ちなみにキエフ市内にある「チェルノブイリ博物館」には既に三回ほど訪れています。事故原因の解説や当時の書類などの展示があり、ウクライナでは珍しく日本語の音声ガイドもあります。また「フクシマへの祈り」という企画展も催されています。チェルノブイリに行く時間がない方は、ここで概要を学ぶだけでも良い経験になるかと思います。
さて、チェルノブイリへ行くには一般人だと現地ツアーに参加する他ありません。ただこれまでウクライナで参加したツアーとは異なり、かなりレベルは高かったです。そもそも英語ツアーがあり、ガイドも知識豊富で流暢な英語で一つ一つ丁寧に解説してくれます。そのため、外国からの参加者も多く、早朝キエフ中央駅に集合してバスで二時間ほどかけて現地に向かいました。バス車内では、チェルノブイリ事故のドキュメンタリー映像が流され、事故の概要をおさらいするとともに、当時の町の雰囲気を知ることができます。
下はチェルノブイリの町章。原発とその横を流れる川を表しています。
こちらはチェルノブイリの手前、30km圏内に入るゲートです。
ここで事前に提出した書類とパスポートの照合を行います。
写真撮影が可能な場所とそうでない場所について説明を受けます。
かつての配給場所(お店)。廃墟となった店や家が並んでいます。
この奥には、おばあさんがひとり暮らししていました。
退避後、別の町で生きることにストレスを感じ、戻ってきた人も少なくないのが実情。
ここで住むことについて最近になってようやく国から認定を受けたようですが、彼ら・彼女らはここでほぼ自給自足生活を送っております。もちろん30km圏内なので、消防・救急のサービスもありません。それでも、こちらの生活のほうがよいということでしょう。おばあさんは「キエフは果物が高いでしょ」と言い、笑顔でツアー・コンダクターに大量の果物のお土産を渡していました。
こちらは最近公開されたという、旧ソ連時代の秘密軍事基地
米本土から発射される核兵器に向けられた早期警戒レーダー。
「自動核報復システム」(いわゆる「死の手」)の最初の一歩です。
こんなものに金をかけて、冷戦を戦っていたんですね。すぐに使えなくなるのに...
コンピュータ類は完全に壊されて放置されています。
かつて司令部があったところ。
ところかわって、幼稚園。入り口に覆い茂っていた草木はホットスポット。ガイガーカウンターが鳴り響きます。
1986年4月に原発事故を起こした4号炉。事故後に建設された「石棺」は老朽化しているため、現在この横で国際協力のもと、「新シェルター」が建設されています。完成すれば、レールでスライドさせて、この「石棺」の上に被せるようです。ちなみに事故後も隣接する1~3号炉は運転し続けていましたし、また別の場所で今でも原発は稼働しており、ウクライナにとって重要なエネルギー政策の柱となっています。
事故直後、十分な情報を与えられず防護服などを着用することなく勇敢に闘った方々の慰霊碑。
場所によっては、ホットスポットがあります。
地面に近づけると急にガイガーカウンターが鳴り出します。
(その2に続く)
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ウクライナといえば、チェルノブイリ原発事故を思い起こす人は少なくないでしょう。実際、旦那もそのイメージでした。キエフに住んでいるからには、一回は訪問しておきたいと思っていました。
ちなみにキエフ市内にある「チェルノブイリ博物館」には既に三回ほど訪れています。事故原因の解説や当時の書類などの展示があり、ウクライナでは珍しく日本語の音声ガイドもあります。また「フクシマへの祈り」という企画展も催されています。チェルノブイリに行く時間がない方は、ここで概要を学ぶだけでも良い経験になるかと思います。
さて、チェルノブイリへ行くには一般人だと現地ツアーに参加する他ありません。ただこれまでウクライナで参加したツアーとは異なり、かなりレベルは高かったです。そもそも英語ツアーがあり、ガイドも知識豊富で流暢な英語で一つ一つ丁寧に解説してくれます。そのため、外国からの参加者も多く、早朝キエフ中央駅に集合してバスで二時間ほどかけて現地に向かいました。バス車内では、チェルノブイリ事故のドキュメンタリー映像が流され、事故の概要をおさらいするとともに、当時の町の雰囲気を知ることができます。
下はチェルノブイリの町章。原発とその横を流れる川を表しています。
こちらはチェルノブイリの手前、30km圏内に入るゲートです。
ここで事前に提出した書類とパスポートの照合を行います。
写真撮影が可能な場所とそうでない場所について説明を受けます。
かつての配給場所(お店)。廃墟となった店や家が並んでいます。
この奥には、おばあさんがひとり暮らししていました。
退避後、別の町で生きることにストレスを感じ、戻ってきた人も少なくないのが実情。
ここで住むことについて最近になってようやく国から認定を受けたようですが、彼ら・彼女らはここでほぼ自給自足生活を送っております。もちろん30km圏内なので、消防・救急のサービスもありません。それでも、こちらの生活のほうがよいということでしょう。おばあさんは「キエフは果物が高いでしょ」と言い、笑顔でツアー・コンダクターに大量の果物のお土産を渡していました。
こちらは最近公開されたという、旧ソ連時代の秘密軍事基地
米本土から発射される核兵器に向けられた早期警戒レーダー。
「自動核報復システム」(いわゆる「死の手」)の最初の一歩です。
こんなものに金をかけて、冷戦を戦っていたんですね。すぐに使えなくなるのに...
コンピュータ類は完全に壊されて放置されています。
かつて司令部があったところ。
ところかわって、幼稚園。入り口に覆い茂っていた草木はホットスポット。ガイガーカウンターが鳴り響きます。
1986年4月に原発事故を起こした4号炉。事故後に建設された「石棺」は老朽化しているため、現在この横で国際協力のもと、「新シェルター」が建設されています。完成すれば、レールでスライドさせて、この「石棺」の上に被せるようです。ちなみに事故後も隣接する1~3号炉は運転し続けていましたし、また別の場所で今でも原発は稼働しており、ウクライナにとって重要なエネルギー政策の柱となっています。
事故直後、十分な情報を与えられず防護服などを着用することなく勇敢に闘った方々の慰霊碑。
場所によっては、ホットスポットがあります。
地面に近づけると急にガイガーカウンターが鳴り出します。
(その2に続く)
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