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2026年02月04日
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ウクライナのチキン風味カップ麺、日本のボルシチ風味カップ麺
2015年10月23日
日本から持ち込んだカップ麺のストックが徐々になくなってきました。
奥様がカップ麺を食べているところを見たことがないのですが、旦那は昼食作りが面倒なときについ食べてしまいます。牛丼とかないからね。
で、ウクライナのスーパーでカップ麺らしきものが売っていたので、勇気を振り絞って買ってみました(日清でも東洋水産でもいいので、輸入してください涙)。
それがこちら!ジャ~ン!
あ、写真が傾いてしまい申し訳ないです。
なんか調味料と油みたいなんが入っていて、ここまで日本のものに似た感じ?
で、3分待って(ウクライナ語読めないので、3分でよいのか10分待たなあかんのか不明)
食べてみました。
鶏ガラスープっぽいのですが、
麺にコシがないし、おいしくなかった。ざんね〜ん。
しかも、お湯を注いだら、カップからお湯漏れ。パッケージどないなっとんねん...。残念。
もう二度と買わないと誓いました。こちらで美味しいラーメンにはまず出会えないので、残念至極。
とりあえずお土産で頂いた、日本の美味しいラーメンを丁寧に食べていきます。
ちなみに、上記のカップ麺を売り出している会社がカップ・スープも売りだしています。まだ旦那は食べていないですが、こちらについては本場ですから美味しいはず。期待。
日本では来週マルちゃんから「ボルシチ」味のカップ麺が発売されるようですね。
(画像:東洋水産HPより)
味はどうなんでしょうか、日本に帰国した際は是非食べようと思います。
本場じゃないし、こんなん「ボルシチじゃない!」て思うのか、それとも日本の輸入文化の良い面が出て「味はええやん」と思うのか。双方は矛盾しませんね。「赤いきつねと緑のたぬき」の東洋水産さんですから、やってくれることを期待しています。
美味しければ、ウクライナに輸入したら売れるかもやで!
でも、なんといっても今一番食べたいのは、再発売された「ペヤング焼きそば」。
ペヤング食べたいよう。 ↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。

奥様がカップ麺を食べているところを見たことがないのですが、旦那は昼食作りが面倒なときについ食べてしまいます。牛丼とかないからね。
で、ウクライナのスーパーでカップ麺らしきものが売っていたので、勇気を振り絞って買ってみました(日清でも東洋水産でもいいので、輸入してください涙)。
それがこちら!ジャ~ン!
あ、写真が傾いてしまい申し訳ないです。
なんか調味料と油みたいなんが入っていて、ここまで日本のものに似た感じ?
で、3分待って(ウクライナ語読めないので、3分でよいのか10分待たなあかんのか不明)
食べてみました。
鶏ガラスープっぽいのですが、
麺にコシがないし、おいしくなかった。ざんね〜ん。
しかも、お湯を注いだら、カップからお湯漏れ。パッケージどないなっとんねん...。残念。
もう二度と買わないと誓いました。こちらで美味しいラーメンにはまず出会えないので、残念至極。
とりあえずお土産で頂いた、日本の美味しいラーメンを丁寧に食べていきます。
ちなみに、上記のカップ麺を売り出している会社がカップ・スープも売りだしています。まだ旦那は食べていないですが、こちらについては本場ですから美味しいはず。期待。
日本では来週マルちゃんから「ボルシチ」味のカップ麺が発売されるようですね。
(画像:東洋水産HPより)
味はどうなんでしょうか、日本に帰国した際は是非食べようと思います。
本場じゃないし、こんなん「ボルシチじゃない!」て思うのか、それとも日本の輸入文化の良い面が出て「味はええやん」と思うのか。双方は矛盾しませんね。「赤いきつねと緑のたぬき」の東洋水産さんですから、やってくれることを期待しています。
美味しければ、ウクライナに輸入したら売れるかもやで!
でも、なんといっても今一番食べたいのは、再発売された「ペヤング焼きそば」。
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霧?煙?
2015年10月21日
ここ数日、少し窓を開けていると煙たい匂いがします。
いま旦那は基本的に引きこもり状態で外に一歩も出ていないので、気分が悪くなるということはないのですが、セントラルヒーティングの換気のために窓を開けると臭い。喉が若干弱いので、気をつけないとイガイガ感が出てきます。

天気予報を見ると「濃霧」と書かれている。
ニュースによると、キエフ州内122ヘクタールの土地で泥炭火災が発生しているとのこと。大使館からも注意喚起の連絡がありました。外に居続けないこと、車を運転する際は昼でもライトをつけ車間距離をあけること。それにしても「泥炭火災」はじめて聞いた...。
実は9月の初めにも同様にキエフが煙に覆われる日が続きました。
その時は残暑で窓を開けっ放しで寝ていたため、あまりにも臭くて火事かと思い朝飛び上がったほどです。その時スマホ天気予報には「煙」と出ていました。その日は学校で新年度が始まったばかりでしたが、いきなり休校措置がとられたみたいです。
キエフにいると大都市にいるようにそこまで空気が汚いなぁと思ったことはありませんが、いったんこういう火災が起こると、キエフ全体を覆う。カリフォルニアの森林火災なんかはよく日本でもニュースでやっていますが、こういう自然火災って防ぎよう無いのかしら。
有害物質の濃度が基準値をだいぶ超えているようなので、注意して生活します。
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いま旦那は基本的に引きこもり状態で外に一歩も出ていないので、気分が悪くなるということはないのですが、セントラルヒーティングの換気のために窓を開けると臭い。喉が若干弱いので、気をつけないとイガイガ感が出てきます。
天気予報を見ると「濃霧」と書かれている。
ニュースによると、キエフ州内122ヘクタールの土地で泥炭火災が発生しているとのこと。大使館からも注意喚起の連絡がありました。外に居続けないこと、車を運転する際は昼でもライトをつけ車間距離をあけること。それにしても「泥炭火災」はじめて聞いた...。
実は9月の初めにも同様にキエフが煙に覆われる日が続きました。
その時は残暑で窓を開けっ放しで寝ていたため、あまりにも臭くて火事かと思い朝飛び上がったほどです。その時スマホ天気予報には「煙」と出ていました。その日は学校で新年度が始まったばかりでしたが、いきなり休校措置がとられたみたいです。
キエフにいると大都市にいるようにそこまで空気が汚いなぁと思ったことはありませんが、いったんこういう火災が起こると、キエフ全体を覆う。カリフォルニアの森林火災なんかはよく日本でもニュースでやっていますが、こういう自然火災って防ぎよう無いのかしら。
有害物質の濃度が基準値をだいぶ超えているようなので、注意して生活します。
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チェルノブイリ・ツアー②
2015年10月19日
チェルノブイリ訪問記の続編。
四号炉を見た後は、プリピャチという街に向かいました。
ここは原発職員らのために作られた街です。

バスのなかで見たドキュメンタリーでは、事故が起こる前のにぎやかで非常に豊かな街の姿が映しだされていました。この街はかつて「憧れの街」として名を馳せていました。平均所得はキエフよりも高く、ソ連中から優秀な科学者が集められていたそうです。高層マンションが並び、文化施設も充実していた。
しかし、原発事故後、この街の住人には退避命令が出され、現在は「ゴーストタウン」となっています。避難の様子は以下の動画でも見ることができます。
かつての市庁舎。この横には要人も泊まっていたという高級ホテルの跡がありました。
市民の憩いの場、文化センター
文化センターのなかにはディスコ跡が。この中には体育館や映画館もありました。かつては市民で賑わっていたのでしょう。
時が止まったままのミニ遊園地。
子どもたちの声は聞こえてきません。

そしてこちらはサッカー場。遠目には草木が覆い茂っており、ここが何の場所だったのか想像することも難しい状況です。このスタンドだけが、サッカー場だったことを示す唯一のものです。
学校跡。恐らく子どもがワイワイ騒いでいた教室や食堂も今やめちゃめちゃ。金目のものだけを取り出して、そのまま放置されて29年。無造作にガスマスクや子供用の人形が散らばっていますが、なかにはジャーナリストや観光客が写真撮影のために「意図的」に置いたものもあるとか。このガスマスクは、米国との核戦争に備えて学校に常備されていたという説明を受けました。
物悲しげな教室。1986年に、例えば7歳だった子たちは今36歳。我々とそんなに変わらない世代です。彼ら・彼女たちはこの経験の後、どこで何をしているのでしょうか。そんな事を考えながら、学校跡地を後にしました。

今回の訪問で、自分でもよくわからない何か不思議な感情を持ちました。
いまだに気持ちの整理がついていません。
ここに訪れる前は、広島・長崎・福島の記憶を持つ日本人の一人として、きっとチェルノブイリを見れば、何かしらのショックを受けると考えていました。もちろん悲劇であるということは間違いないのですが、正直に言うと、あまりにもリアリティがない。
この場所が当時のまま残されていると言われながらも、逆にそれがあまりに「観光地化」されているように思えたことが主要な理由かもしれません。訪問中、別のウクライナ人ツアーやベラルーシ人ツアーに何度か遭遇しました。彼ら自身もまた我々と同じく写真をとり、わいわいツアーを楽しんでいるようでした。
ツアーコンダクターは、今のウクライナの子どもたちがあまりにも事故について知らないので、それを語り継いでいく必要がある、とその強い使命感を語っていました。そして、「フクシマではこういう観光ツアーはあるの?今後できそう?」と尋ねてきました。「観光地化プロジェクト」があるのは知っていましたが、ここにきてそれがよい選択肢(しかも誰にとって)のかどうかわからくなってしまった。それが現段階の正直な感想です。もう少し考えないといけない課題ができました(完)。 ↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。

四号炉を見た後は、プリピャチという街に向かいました。
ここは原発職員らのために作られた街です。
バスのなかで見たドキュメンタリーでは、事故が起こる前のにぎやかで非常に豊かな街の姿が映しだされていました。この街はかつて「憧れの街」として名を馳せていました。平均所得はキエフよりも高く、ソ連中から優秀な科学者が集められていたそうです。高層マンションが並び、文化施設も充実していた。
しかし、原発事故後、この街の住人には退避命令が出され、現在は「ゴーストタウン」となっています。避難の様子は以下の動画でも見ることができます。
かつての市庁舎。この横には要人も泊まっていたという高級ホテルの跡がありました。
市民の憩いの場、文化センター
文化センターのなかにはディスコ跡が。この中には体育館や映画館もありました。かつては市民で賑わっていたのでしょう。
時が止まったままのミニ遊園地。
子どもたちの声は聞こえてきません。
そしてこちらはサッカー場。遠目には草木が覆い茂っており、ここが何の場所だったのか想像することも難しい状況です。このスタンドだけが、サッカー場だったことを示す唯一のものです。
学校跡。恐らく子どもがワイワイ騒いでいた教室や食堂も今やめちゃめちゃ。金目のものだけを取り出して、そのまま放置されて29年。無造作にガスマスクや子供用の人形が散らばっていますが、なかにはジャーナリストや観光客が写真撮影のために「意図的」に置いたものもあるとか。このガスマスクは、米国との核戦争に備えて学校に常備されていたという説明を受けました。
物悲しげな教室。1986年に、例えば7歳だった子たちは今36歳。我々とそんなに変わらない世代です。彼ら・彼女たちはこの経験の後、どこで何をしているのでしょうか。そんな事を考えながら、学校跡地を後にしました。
今回の訪問で、自分でもよくわからない何か不思議な感情を持ちました。
いまだに気持ちの整理がついていません。
ここに訪れる前は、広島・長崎・福島の記憶を持つ日本人の一人として、きっとチェルノブイリを見れば、何かしらのショックを受けると考えていました。もちろん悲劇であるということは間違いないのですが、正直に言うと、あまりにもリアリティがない。
この場所が当時のまま残されていると言われながらも、逆にそれがあまりに「観光地化」されているように思えたことが主要な理由かもしれません。訪問中、別のウクライナ人ツアーやベラルーシ人ツアーに何度か遭遇しました。彼ら自身もまた我々と同じく写真をとり、わいわいツアーを楽しんでいるようでした。
ツアーコンダクターは、今のウクライナの子どもたちがあまりにも事故について知らないので、それを語り継いでいく必要がある、とその強い使命感を語っていました。そして、「フクシマではこういう観光ツアーはあるの?今後できそう?」と尋ねてきました。「観光地化プロジェクト」があるのは知っていましたが、ここにきてそれがよい選択肢(しかも誰にとって)のかどうかわからくなってしまった。それが現段階の正直な感想です。もう少し考えないといけない課題ができました(完)。 ↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
