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2024年11月22日
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バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~
2017年10月12日
さあ、モンテネグロを出発して、隣国へ向かいますよ!
写真見返すだけで楽しくて、書くのがおいつきません!笑。
朝ごはんは近くのパン屋さんで買った、ブレック。モンテネグロの食べ物です。
でもブルガリアでも似たようなのを食べたので、多分バルカン半島一帯で食べるタイプのパンなのではないかと推測。
パイ生地にお肉やら、じゃがいもやら、フェタチーズやら、色んなものがつまっています。
朝から食べるにはなかなかハイカロリー!
それから、果物売りのおっちゃんから、プルーンをいくつか買いました。
車に乗り込んで出発!向かうは、フェリー乗り場!
船からの景色もなかなかすてき。フェリーに乗らなくても、たどり着けるんだけど、3倍くらいかかる時間が違う(湾をつっきるか、リアス式海岸みたいな入り組んだ湾岸線をひたすら走り続けるか)ので、フェリーを選びました。
すれ違うフェリー。乗っている人に手を振ると、気付いた人が振り返してくれます。
フェリーを降りたあとは、ぐねぐねカーブの山道を登っていきます。(D氏いつも運転ありがとう。)頂上付近はこれまた絶景。ちょっとしまなみ海道の景色を思い出した。
山道にどんどん入り、目指すは国境です。青い点が現在地。3カ国がぶつかり合う場所、ここで検問です。
どの検問がいいらしい、というところまで調べてくれたMちゃんありがとう。
まずはモンテネグロ出国!Good byeモンテネグロ。
そして、ボスニアに入ります。
こんな国旗の色してたんだね。青x黄色、親近感がわきます。
(なぜならば、私もA家もそれぞれが青x黄色の国旗の国に住んでいるところだから…)
いえーい!ボスニア・ヘルツェゴビナ入国です。検問を越えると下り坂。
大平原が広がっていました。
悠然と広がる平原。
いくつかの絶景を通り過ぎ、通りかかったモーテル兼レストランで腹ごしらえです。
ひゃー!店先には子羊の丸焼き!美味しそう!!という訳で、注文。
友人はお魚(マス)を注文。海から随分遠いところに来てしまったのがわかります。
そう、ボスニアは海岸線がほとんどないんですね~。
満腹になったところで、再び疾走再開!
なんだか、丘の上に巨大なモニュメントに出会いました。大きな手が二つ?のようにも見えるし、炎のようにも見える。
なんとなーく戦跡っぽいぞ、と私の戦跡センサーが反応したので、日本にいる夫氏に写真をとってLINEで送ります。案の定、看板もありました。Battleと書いてある!やはり夫によって鍛えられた私のセンサーは間違っていなかった!
すぐに夫ぺディアにより、関連URLが送られてきます笑。
この地はどうやら1943年に、チトー率いるユーゴスラヴィアのパルチザンたちがナチスドイツ率いる枢軸軍と戦って勝った、ユーゴスラヴィアにとっては歴史的に意味のある場所のようです。
調べたら、この戦いを描いた映画もありました。
http://www.imdb.com/title/tt0070758/
きっと血みどろなのでしょう。見る勇気があまりでません。
うひゃー!ここの湖も絶景!なんて色しているんだろう。
道中、牛さんと併走。牛飼いのお嬢さんが先導していました。
運転しようと思ったけど、ぐねぐね続く細い山道にどんどん自信をなくし、D氏に一任する我。
モンテネグロからボスニアに入り、北上を続けること5時間、くらいかな?サラエボが見えてきました。
歴史の教科書でしか聞いた事のない、サラエボ、まさか、こんなアップダウンのある街だなんて、誰が想像したでしょう!?
サラエボ、この魅惑の響き。世界史選択者なら(でなくても)誰しもが、第一次世界大戦を引き起こす事件が起きたこの地の名前を聞き、「あの、サラエボ!」と思うでしょう。
A家と旅程を相談したとき、「モンテネグロ&クロアチアの海三昧」にするか、「モンテネグロ&ボスニア」の、頑張ってサラエボ訪問コースかで悩んだのですが、「サラエボ」、そして「ヨーロッパの火薬庫」というロマン溢れる響きに勝てず、後者になりました。
ちなみに1ミリも後悔していません。
さあさあ、夢のサラエボ事件が起きたラテン橋に行きますよ!
感想、思ったより小さい!!
この橋の上で、オーストリア=ハンガリー帝国の王位継承権を持つ、フランツ・フェルディナンドとその妻が、ボスニア系セルビア人の青年に暗殺され、ゆくゆくは第一次世界大戦へと発展していったわけです。
改めて、オーストリア=ハンガリー帝国の領土の大きさに驚きますね。こんなところまで、オーストリア&ハンガリーだったの!?と言いたくなります。
(ご参考までに、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の領土を示す地図はこちら。)
うーん、修理中なせいか、思ったより貧相(失礼)ですね…?橋の上はこんな感じ。
橋を渡ると、サラエボ事件の博物館があります。1部屋しかない、シンプルな博物館でした。
博物館の向かいには、旅行代理店があるのですが、かかげられているツアーがところどころダーク。
↓は「暗殺ツアー」と書いてあります。他にも、大虐殺のあったスレブレニツァへのツアー、ユーゴスラヴィア紛争時に使われていた地下壕の見学ツアーなんかもありました。
歩き進んでいくと、サラエボの旧市街に到着します。
早速ミナレットが見えてきて、たどり着いたのはモスク、ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャーミヤ。にぎわっています。
ボスニアでは何度も実感する事になるのですが、モスクと教会が点在しています。民族がモザイクのように入り乱れて暮らしていることがわかります。
これが、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるゆえんなのだと。
ここのモスク美しい!入場券を払えば、ムスリムでなくても内部を見学できますよ!
それから、こちらがサラエボ旧市街の名所、水のみ場のバシュチャルチャ。
旧市街は、想像以上に魅力的なお買い物スポットだった!!
こういうモチーフ大好きの私としては、あちらへフラフラ、こちらへフラフラ。
カーペット好きにはたまりませんね。ここでは買わないけどね。
イカしたお土産も売ってました。トートバッグ各種:暗殺されたフランツ・フェルディナンド(右上)と、暗殺者のプリンチプ(右下)の似顔絵入り(夫に買いました)、後日訪問予定のステチュツィの石碑に描かれた絵の柄(左上)、ボスニアで使われているキリル文字(今まで訪れたキリル文字使用国では見たことないやつがいる!)の柄(左下)などなど。おしゃれですね。
さあ、日もくれてきたところで夕飯です。
サラエボのビール、サライェブスカをいただきます。右の写真はあっさりとしたシチューのロナッチ。とても美味しかった。
それから、左がボスニアのファストフードともいえる、チェバ・プチチ。釜焼きパンに釜でグリルしたひき肉串とみじん切りタマネギを入れただけのシンプル料理だけど、美味しい!!
右はボスニア料理の盛り合わせだったけど、ドルマっぽいのとか、バターライスとか、キャベツの煮込みとか、トルコ料理を少し連想するようなお味でした。これもすごく美味しかった。
日もすっかりくれて、名所の水のみ場もライトアップ。暗くなっても混んでました。
ホテルへ戻る前に、旧市街の可愛いカフェで一服。
ボスニアコーヒーはあれです、まあトルココーヒーです。あまーいお菓子も一緒に。ロクムがついてくるあたりも、なんかもうトルコです。
落ち着いたところで、ライトアップされたラテン橋をみて、ホテルへ帰ります。
Mちゃんの選んでくれたホテル、かわいいのですよ!天蓋つきベッド!(乙女の夢!)
そして、何より楽しみにしていたのは、ホテルについているハマムです!最高でした。
女子二人(D氏は部屋で留守番)できゃーきゃー言いながら、泳ぎました。蛇口かわいい。
ハマムを出て気付いたのですが、ハマムの入口に建設年が書いてありました。
・・・・・・・1462!!!!
マジで!?
ホテル内には証拠として、ハマム跡を発掘した当時の写真が残っていて、それを元に再建したようです。さすがオスマン帝国の支配下にもあっただけあり、随分昔から、ハマム文化が根付いていたわけですね。
体も温まったところで、部屋へ戻り就寝。
なんたって明日もまた長くてエキサイティングな1日が待っているのですから!
バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~(このページ)
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~
バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~
バルカン旅行記⑤~夢のスヴェティ・ステファンとオストログ修道院~
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写真見返すだけで楽しくて、書くのがおいつきません!笑。
朝ごはんは近くのパン屋さんで買った、ブレック。モンテネグロの食べ物です。
でもブルガリアでも似たようなのを食べたので、多分バルカン半島一帯で食べるタイプのパンなのではないかと推測。
パイ生地にお肉やら、じゃがいもやら、フェタチーズやら、色んなものがつまっています。
朝から食べるにはなかなかハイカロリー!
それから、果物売りのおっちゃんから、プルーンをいくつか買いました。
車に乗り込んで出発!向かうは、フェリー乗り場!
船からの景色もなかなかすてき。フェリーに乗らなくても、たどり着けるんだけど、3倍くらいかかる時間が違う(湾をつっきるか、リアス式海岸みたいな入り組んだ湾岸線をひたすら走り続けるか)ので、フェリーを選びました。
すれ違うフェリー。乗っている人に手を振ると、気付いた人が振り返してくれます。
フェリーを降りたあとは、ぐねぐねカーブの山道を登っていきます。(D氏いつも運転ありがとう。)頂上付近はこれまた絶景。ちょっとしまなみ海道の景色を思い出した。
山道にどんどん入り、目指すは国境です。青い点が現在地。3カ国がぶつかり合う場所、ここで検問です。
どの検問がいいらしい、というところまで調べてくれたMちゃんありがとう。
まずはモンテネグロ出国!Good byeモンテネグロ。
そして、ボスニアに入ります。
こんな国旗の色してたんだね。青x黄色、親近感がわきます。
(なぜならば、私もA家もそれぞれが青x黄色の国旗の国に住んでいるところだから…)
いえーい!ボスニア・ヘルツェゴビナ入国です。検問を越えると下り坂。
大平原が広がっていました。
悠然と広がる平原。
いくつかの絶景を通り過ぎ、通りかかったモーテル兼レストランで腹ごしらえです。
ひゃー!店先には子羊の丸焼き!美味しそう!!という訳で、注文。
友人はお魚(マス)を注文。海から随分遠いところに来てしまったのがわかります。
そう、ボスニアは海岸線がほとんどないんですね~。
満腹になったところで、再び疾走再開!
なんだか、丘の上に巨大なモニュメントに出会いました。大きな手が二つ?のようにも見えるし、炎のようにも見える。
なんとなーく戦跡っぽいぞ、と私の戦跡センサーが反応したので、日本にいる夫氏に写真をとってLINEで送ります。案の定、看板もありました。Battleと書いてある!やはり夫によって鍛えられた私のセンサーは間違っていなかった!
すぐに夫ぺディアにより、関連URLが送られてきます笑。
この地はどうやら1943年に、チトー率いるユーゴスラヴィアのパルチザンたちがナチスドイツ率いる枢軸軍と戦って勝った、ユーゴスラヴィアにとっては歴史的に意味のある場所のようです。
調べたら、この戦いを描いた映画もありました。
http://www.imdb.com/title/tt0070758/
きっと血みどろなのでしょう。見る勇気があまりでません。
うひゃー!ここの湖も絶景!なんて色しているんだろう。
道中、牛さんと併走。牛飼いのお嬢さんが先導していました。
運転しようと思ったけど、ぐねぐね続く細い山道にどんどん自信をなくし、D氏に一任する我。
モンテネグロからボスニアに入り、北上を続けること5時間、くらいかな?サラエボが見えてきました。
歴史の教科書でしか聞いた事のない、サラエボ、まさか、こんなアップダウンのある街だなんて、誰が想像したでしょう!?
サラエボ、この魅惑の響き。世界史選択者なら(でなくても)誰しもが、第一次世界大戦を引き起こす事件が起きたこの地の名前を聞き、「あの、サラエボ!」と思うでしょう。
A家と旅程を相談したとき、「モンテネグロ&クロアチアの海三昧」にするか、「モンテネグロ&ボスニア」の、頑張ってサラエボ訪問コースかで悩んだのですが、「サラエボ」、そして「ヨーロッパの火薬庫」というロマン溢れる響きに勝てず、後者になりました。
ちなみに1ミリも後悔していません。
さあさあ、夢のサラエボ事件が起きたラテン橋に行きますよ!
感想、思ったより小さい!!
この橋の上で、オーストリア=ハンガリー帝国の王位継承権を持つ、フランツ・フェルディナンドとその妻が、ボスニア系セルビア人の青年に暗殺され、ゆくゆくは第一次世界大戦へと発展していったわけです。
改めて、オーストリア=ハンガリー帝国の領土の大きさに驚きますね。こんなところまで、オーストリア&ハンガリーだったの!?と言いたくなります。
(ご参考までに、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の領土を示す地図はこちら。)
うーん、修理中なせいか、思ったより貧相(失礼)ですね…?橋の上はこんな感じ。
橋を渡ると、サラエボ事件の博物館があります。1部屋しかない、シンプルな博物館でした。
博物館の向かいには、旅行代理店があるのですが、かかげられているツアーがところどころダーク。
↓は「暗殺ツアー」と書いてあります。他にも、大虐殺のあったスレブレニツァへのツアー、ユーゴスラヴィア紛争時に使われていた地下壕の見学ツアーなんかもありました。
歩き進んでいくと、サラエボの旧市街に到着します。
早速ミナレットが見えてきて、たどり着いたのはモスク、ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャーミヤ。にぎわっています。
ボスニアでは何度も実感する事になるのですが、モスクと教会が点在しています。民族がモザイクのように入り乱れて暮らしていることがわかります。
これが、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるゆえんなのだと。
ここのモスク美しい!入場券を払えば、ムスリムでなくても内部を見学できますよ!
それから、こちらがサラエボ旧市街の名所、水のみ場のバシュチャルチャ。
旧市街は、想像以上に魅力的なお買い物スポットだった!!
こういうモチーフ大好きの私としては、あちらへフラフラ、こちらへフラフラ。
カーペット好きにはたまりませんね。ここでは買わないけどね。
イカしたお土産も売ってました。トートバッグ各種:暗殺されたフランツ・フェルディナンド(右上)と、暗殺者のプリンチプ(右下)の似顔絵入り(夫に買いました)、後日訪問予定のステチュツィの石碑に描かれた絵の柄(左上)、ボスニアで使われているキリル文字(今まで訪れたキリル文字使用国では見たことないやつがいる!)の柄(左下)などなど。おしゃれですね。
さあ、日もくれてきたところで夕飯です。
サラエボのビール、サライェブスカをいただきます。右の写真はあっさりとしたシチューのロナッチ。とても美味しかった。
それから、左がボスニアのファストフードともいえる、チェバ・プチチ。釜焼きパンに釜でグリルしたひき肉串とみじん切りタマネギを入れただけのシンプル料理だけど、美味しい!!
右はボスニア料理の盛り合わせだったけど、ドルマっぽいのとか、バターライスとか、キャベツの煮込みとか、トルコ料理を少し連想するようなお味でした。これもすごく美味しかった。
日もすっかりくれて、名所の水のみ場もライトアップ。暗くなっても混んでました。
ホテルへ戻る前に、旧市街の可愛いカフェで一服。
ボスニアコーヒーはあれです、まあトルココーヒーです。あまーいお菓子も一緒に。ロクムがついてくるあたりも、なんかもうトルコです。
落ち着いたところで、ライトアップされたラテン橋をみて、ホテルへ帰ります。
Mちゃんの選んでくれたホテル、かわいいのですよ!天蓋つきベッド!(乙女の夢!)
そして、何より楽しみにしていたのは、ホテルについているハマムです!最高でした。
女子二人(D氏は部屋で留守番)できゃーきゃー言いながら、泳ぎました。蛇口かわいい。
ハマムを出て気付いたのですが、ハマムの入口に建設年が書いてありました。
・・・・・・・1462!!!!
マジで!?
ホテル内には証拠として、ハマム跡を発掘した当時の写真が残っていて、それを元に再建したようです。さすがオスマン帝国の支配下にもあっただけあり、随分昔から、ハマム文化が根付いていたわけですね。
体も温まったところで、部屋へ戻り就寝。
なんたって明日もまた長くてエキサイティングな1日が待っているのですから!
バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~(このページ)
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~
バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~
バルカン旅行記⑤~夢のスヴェティ・ステファンとオストログ修道院~
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