バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~ 便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

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2024年11月22日
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バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~

2017年11月01日

さて、ボスニア3日目。
モスタルの橋をもう一度みてから、次の町へ出発です。


次に目指すは!メジュゴリエという町です。



この町、何が特殊かというと…。
「1981年6月24日から今日まで、毎日マリア様が出現していると主張する人がいる町」なのです。
6人の青少年が聖母マリアを目撃し、以降、毎日彼らの前に現れているということのようです。
(Wiki項目もあるので、詳しく知りたい方はそちらをどうぞ→「メジュゴリエの聖母」)

ちなみにマリア様が人々の前にその姿を見せることを、「顕現(けんげん)」と呼ぶのだそうです。マリア様は世界各地で姿を現していて、それが本物である場合、カトリック教会と教皇庁が公認するのですが、メジュゴリエの聖母出現は、疑問視する声もあり、正式に公認されていないそうです。(今調査団が調査中とか。)


ふうん…?
無宗教の私、なんともいえない気持ちでメジュゴリエについて調べます。



そして、何もない場所に突如現れる綺麗に舗装された道、人・人・人、スピーカーから聞こえる祈り、そして大きな敷地の教会…。



「これが顕現マネー…」と呟く我々。
 


新しそうな教会。ちょうどミサをやっていましたが、色んな言語で同時通訳されていました。
無料駐車場には、色んな国のナンバーをつけた車と、たくさんの観光バスが停まっていて、本当に不思議な空間。



ショップはとにかく宗教関連雑貨のお店が多かったです。



しかしまあ…無宗教の私は、なんともいえない、しょっぱい顔つきでこの町を通り過ぎたのでした。
わからないよ…人を救うために神がいるなら、どうしてユーゴ紛争は起きたのだろうね。
(信仰をお持ちの方を否定するつもりはないので、あしからず。)




次に、2016年に世界遺産になったばかりという、「ステチュツィ」へと向かいます。

うっかり一度通り過ぎました。こちらの場所のようです。



ステチュツィとは、中世にボスニア王国の領土であった場所において見られる墓石群のことで、クロアチアやモンテネグロ、セルビア、ボスニア等にまたがって存在しているそうです。(地名ではなくて、Statueと同じ単語を語源とする墓標自体を意味する言葉と勝手に理解。)

Wikiによれば、色々謎はあるものの、11世紀~15世紀頃まで作られていたそうです。

この墓標に刻まれたなんとも愛嬌のある絵たち。ふむ、これらはとても私の好みです。


馬や武器や、人々の営みを感じられる絵が刻まれています。



でもまあ、長居する場所でもないので、さくっとこの場所も後にして、出発。





ボスニアを出国すべく、また疾走。
ボスニア域内で気付いたのは、何度も見かけるこの国旗と看板。一瞬ロシア?と思う色合いなのは、色々調べてみて納得したのでした。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、実はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、スルプスカ共和国という二つの国からなる連邦国家なんですね。要は、ムスリム系のボスニャク人が多く住むボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア系キリスト教徒が多く住むスルプスカ共和国、という住み分け。領土比率は丁度半分ずつです。

そして、この2つの国のボーダーラインがなんと入り組んでいることか(Wikiの地図のリンク張っておきます)。いかに民族が混じって暮らしてきたかという証明であったような気がします。それゆえ、走っていると、何度もスルプスカの領土を出たり入ったりすることになったのでした。

あと、もひとつすごいなーと思ったのは、スルプスカ共和国のスペルが驚異の子音の連続だということ笑。キリル文字だと、"Српска"、アルファベットだと、"Srpska"です。どうやって発音したらいーの!笑。



国境って、連邦って、民族って、宗教って…などと答えのないまとまらない考えを頭のなかでめぐらせながら、行きと同じ国境の検問を通って、ボスニア出国です!




海が見えてきた!モンテネグロに戻ってきました。ここからはもう暗い話はなし!



ボスニアのお肉は美味しかったけれど、海鮮に飢えていたので、めちゃくちゃお昼ご飯を我慢して、ヘルツエグ・ノビという海辺の町まで戻ってきて海鮮。思い出しても美味しかったなあああ。




そして、遅いお昼のあと、漸くコトルまで戻ってきました。今回のお宿は、コトルの喧騒からは少し離れたコテージ。部屋からダイレクトに海につながっている素晴らしいお宿!!寝室から見えるアドリア海!ベランダに広がるオーシャンビュー!




Mちゃんの采配に脱帽です。階段を降りると海!




海から見た我々のコテージはこんな感じ(A家の防水カメラ優秀!)。両手を挙げてるのは、多分私。笑。
 


日もじわじわ落ちてきて、夕暮れの中、ひと泳ぎ。モンテネグロビールいただきます!




今回の旅では、毎日夕日を見守る事ができて、すごく穏やかな気持ちで過ごす事ができました。
この晩はお昼も遅かったので、スーパーでちょこちょこ買い込んで、家でのんびりと過ごしました。


あと、近くのオープンしたてのカフェで、モンテネグロワインもいただいたよ。
 

コトル湾の夜景はこんな感じでした。



ほろ酔いの素敵な気分で就寝。





*****



さて、翌日はコトル湾のクルーズに行くことに。3時間で30ユーロです。
湾にはかなり大きなクルーザーも停泊していました。勿論我々が乗るのは、小さな船です。





さあ、出発!!
んわあ、すごい揺れ!美しい山並みと海なのに、傾いた写真しかとれなーい!我々の髪の毛も相当すごい感じに逆立ってます!





まず立ち寄ったのは、冷戦時代に潜水艦のドックとして使われていた場所。カモフラージュされています。ユーゴスラビアが、鉄のカーテン最南端であったことを思い出させられます。


ドック内から外をみた時の様子。隠れ家ってなんかわくわくしますね。


ちなみに、世界各国に捨て置かれた潜水艦ドックはたくさんあるようです。
調べたらウクライナにもあった。興味あり。 気になる方はこちらのサイトを↓
10 Abandoned Submarines Bases & Sub Pens of the World




それから、お次はダイバーズスポット、難破船。ダイビングもいいですねえ。





そして、湾を出て、外海に出ます!第一次世界大戦にて監獄として使われていた島を横目に通り過ぎます。うーん、ここには収監されたくない!!(いや、ここに限らず、どこにも収監されたくないけども)





そうしてやってきたのが、青の洞窟。言葉は要りませんよね?写真だけ載せときます。


 






洞窟でひと泳ぎしたのち、湾のほうへ戻ってきます。水はめちゃくちゃ冷たいです。
でも透き通っていて、奥深いところで泳ぐ魚の姿も見えます。




ババババと音がするので見上げたら、プロペラ機が飛んでいました。
「これが本当のアドリア海の飛行艇!」と、「紅の豚」を思い出しながら感動する我々。





そして、次にコトル湾に浮かぶ小島に建てられた教会へと向かいます。



岩礁のマリア教会というそうです。英語だと、Our Lady of the Rocks。

上陸!
とても小さな島です。こういうクルーズでなければ、ぺラストの町から船が出ているので、そちらからも行けるそうです。


15世紀にこの岩礁に乗り上げた漁師が、聖母マリアのイコンが流れ着いているのを発見し、それを祀る為に建てられたのだとか。

教会の中はこんな感じ。

教会の中からみる海も美しいですね。


素敵な3時間でした。ちょっと潮風は肌寒いけどね!



そしてクルーズを終えて、この後、今回の旅の一番といってもいいくらいの見所がやってくるのですが、この記事が長すぎておさまらなさそうなので、④で終えようと思っていた、このバルカン旅行記ですが、次に続きます。次がラストです!





◆バルカン旅行記
バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~
バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~(このページ)
バルカン旅行記⑤~夢のスヴェティ・ステファンとオストログ修道院~






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