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続・弾丸ドイツな週末~ベルリンとポツダム~
まずベルリン。
ベタですが、冷戦のシンボルのひとつ、チェックポイントチャーリーから。
チェックポイントチャーリーとは、ドイツが、そしてベルリンが東西に分断されていた頃に、西と東の境におかれた国境検問所のことです。
看板には、「ここからアメリカ統治地区外へ出ます」と記載がある。
なお、掲げられたソ連兵士の写真は、裏側は米兵の写真になっている。
併設のチェックポイントチャーリー博物館も大変興味深かったです。
旧共産圏のパスポートたち↑
あの手この手で、壁を越えて逃げようとした人々の作戦などが展示されています。
新たに学んだのは、シンドラーや杉原千畝みたいな役割を果たしたこのラウル・ワレンバーグというスウェーデン人の外交官の存在。
ハンガリーで迫害されていた10万人以上のユダヤ人の命を救ったものの、その後進駐したソ連軍に拉致され、行方不明になったそうです。
(後に、ソ連により処刑されていたことが、最近判明したそう。)
博物館は今もNKVD(ソ連の秘密警察)によって消えた人のリストを作成しており、「知人の名前を見つけたら/探している人がいたら、この質問票に記入を」と複数言語で書いてあります。
まだ歴史と呼べない、今と繋がる話なのだと衝撃を受けました。
Wall Museum Checkpoint Charlie
http://www.mauermuseum.de/en/index.html
次の博物館は、DDR博物館。
DDRとは、Deutsche Demokratische Republik、ドイツ民主共和国、つまるところ、東ドイツのことですね。
東ドイツでの暮らしが、インタラクティブに学べる、かなり楽しい博物館です。
東西に引き裂かれた家族の悲哀から、日々のおだやかな暮らし(一般的な東ドイツの家庭のインテリア、流通していた食材、余暇の過ごし方などなど)まで、幅広く取り扱っています。
尋問室もあった!笑。
尋問室の入口には「時間は無限にある」的なフレーズが書いてあります。こわ!!
エンゲルス、レーニン、マルクスの肖像がなのですが、よーくみていると、たまに瞬きする。
そしてたまに目があう!!とても面白いです。子供が行っても楽しめるしかけがたくさん。
DDR Museum
https://www.ddr-museum.de/en
途中アンぺルマンショップでお買い物。
散財したい方はぜひ。
Ampelmann Berlin
https://www.ampelmann.de/en/
そしてお次は、ホロコースト記念碑。
本当は上に乗ってはいけません。若者が乗ってますが。
欧州で虐殺されたユダヤ人を追悼する碑で、博物館が併設されています。
私は博物館で、自分がこれから死ぬと分かった子供が、親に向けて書いた手紙を読んで、涙が出ました。
平静を保ちながら、展示の全てをみるのは難しいかもしれません。
気分転換に、カリーヴルスト博物館。
カリーヴルスト=カレーソーセージ、ベルリンっ子のソウルフードです(多分)。
カリーヴルストの歴史について学びます。
ちなみに併設されているカリーヴルスト屋さんのミニカリーヴルスト無料クーポンつきなので、小腹がすいたときにいいかもしれません。
Deutsches Currywurst Museum
http://currywurstmuseum.com/en/
ちなみに、私は友人のおすすめで、ここのカリーヴルストを食べました。
Curry36
https://www.curry36.de/
チェーンなので、何箇所かありますよ!
てくてく歩いていると突如現れるベルリンの壁跡地。
地面に、まるで切り取り先のようにあとが残っていたり。
壁がごっそり残っていたり。
東側のイーストサイドギャラリーにいくと、壁自体をギャラリーとした空間が残っています。
スパイ博物館も大変面白かった!!
東ドイツ時代には、いわゆる秘密警察「シュタージ」達が暗躍したわけです。
ピッキングセットとか!
偽造身分証明書セットとか!
一番ぞっとしたのは、スパイが監視している相手に、自分の姿は見せずとも、「監視しているぞ」と知らせる方法。
相手に不在中に家にしのび込み、物の置き場所を色々変えておくのだそうです。
本人だけがわかるように。
ひえええー!こわ!
この時代にこの場所に生まれなくてよかった!と思うことばかり!!
そして、もう一度『善き人のためのソナタ』という映画をみたくなりました。
シュタージに興味ある方で、もしまだみたことがないという方がいたら、ぜひ。
Spy Museum Berlin
http://www.spymuseumberlin.com/en/
もっと詳しくは、友人夫婦のブログをご参照ください↓
奥様は商社ウーマン
http://my-wife-is-a-shosha-woman.doorblog.jp/archives/50841966.html
私とは視点が少し違ったりしていて面白い。
夜はビアバー!THE!な感じの!広くてにぎやか。
ベルリンには幼馴染も同期もいるんですが、この幼馴染と同期がまさかの同大学同学部で、もしかして知り合いなんじゃないかと、ビアバーにて同席の場をセッティングしたら、勿論知り合いだったし、色々発覚して、世界の狭さを実感笑。
みんなでお肉とビールを囲む。
Hofbrau(確か本店はミュンヘンですが)
https://www.hofbraeu-wirtshaus.de/berlin?utm_source=tripadvisor&utm_medium=referral
それから、翌日はベルリンから電車で30分くらいのところにある、ポツダムへ。
日本でポツダムというと、「ポツダム宣言」を思い出す方が大半なのではないでしょうか。
世界遺産も色々あります。例えば、このサンスーシ宮殿。
フランス語の"Sans souci(憂いなし)"だとは、言われるまで頭の中でつながりませんでした。
カタカナの弊害ってこういうとこにありますね。
話題を戻して、サンスーシ宮殿。
プロイセン王のフリードリヒ2世(通称フリードリヒ大王)によって18世紀に建てられた、ロココ調の宮殿です。
こじんまりしていて、明るくて、とても雰囲気がいいです。
とってもロココですねえ。
フリードリヒ大王は、とても芸術を愛する人だったのです。
さて、フリードリヒ大王は、プロイセンにジャガイモを広めた人としても有名で、そのお墓にはじゃがいもが添えられています。
宮殿の庭のはじっこにお墓があるので、ぜひ見つけてみてください。
それから、私がポツダムで一番行きたかったのは、この、ツェツィリエンホーフ宮殿。こちらも世界遺産群の中のひとつです。
第二次世界大戦の後処理をどうするかということを、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳達が集まって話し合った、ポツダム会談が行われた場所です。
建物の手前の赤い星、見えるでしょうか?お花でかたどられているのですが、これはスターリンをお迎えするための「赤い星」だったそうです。
何より感動したのはここ!!!
イギリスはチャーチル、アメリカはトルーマン、ソ連はスターリンが、肩を並べて囲んだ会議用のテーブルです。
とても天井が高くて、大きな窓から明るい光が入ってきます。
会議室には3つの入口があり、それぞれの首脳が、別々の入口から入ってこれるようになっています。
テーブルの上には3国の国旗が。
世界地図を並べて、どの国がどう分割するか話し合ったのでしょうか。
この会談ののち、「ポツダム宣言」が発表され、日本は降伏する訳ですね。
ちなみに、私はなんとなく、ヤルタ会談のイメージで、チャーチル・ルーズベルト・スターリンの3人でポツダム会談に挑んだイメージでいましたが、ルーズベルトはもうその時は退いていたんですね~。
この写真のポストカードを夫のお土産にしました。
ちなみにルーズベルトとチャーチルの間にいるのが、チャーチルのあと首相になるアトリーですね。いい笑顔をしている。
ツェツィリエンホーフ宮殿のすぐお隣には、戦後ソ連管轄区が作られ、多くのソ連兵(とその家族)が駐屯していたことを教えてもらいました。元ソ連管轄区域は高い壁に囲まれて、ポツダムの住民達も中で何が行われてるか、全く知らなかったそうです。
その中で、元KGB刑務所が公開されていると教えてもらい、行ってみることに。
入場は無料でした。ぼろぼろのままの状態で残されています。
なんだか、色んな国で強制収容所を見た結果、「あ、これは懲罰房…」などと、すぐ判別がつくようになってしまった自分が悲しいです。
ちなみにここは、処刑する場所はなかったので、幸い(?)。
元KGB刑務所
http://www.gedenkstaette-leistikowstrasse.de/
気分をかえて、ベルヴェデーレへ。
ここは、プロイセン王、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が19世紀半ばに建てたものです。
こちらも世界遺産群に認定されています。
眺めがよくて、気持ちよかったです。
ポツダムには、オランダ人街もあります。赤レンガがかわいい。
歴史の復習をして、頭を使ったあとは、甘いものを!こちらの有名なチーズケーキ屋さんで一服です。
色んなチーズケーキがあって、目移りしてしまう。
大変美味でございました。(ちなみに私はラズベリーチーズケーキにしました。)
Cafe Guam
http://www.cafe-guam.de/
夜はまたベルリンに戻り、友人の気になっていたドイツ料理のタパスレストランへ。
ドイツ料理、いつも量が多くて「こんなに食べられないよ…」と罪悪感をもって残してしまう事が多いのですが、ここだと、タパスなので、少量色々選んで食べれる!
おしゃれだし、美味しいし、最高でした!!友人ナイスチョイス!
Leibhaftig
http://m.leibhaftig.com/
そんなこんなの、大満足のベルリン散策&ポツダム遠足でした。
付き合ってくださったみなさまにお礼をば。
おわり。
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弾丸ドイツな週末~ボンとデュッセルドルフ~
そう思ってまた、週末だけの弾丸旅に出ます。
今回はドイツの西側、キエフからLCCで直行便の出ている、ケルン・ボン空港から拠点に動きたいと思います!
朝9時に到着、夫の先輩ご夫婦とボン駅で集合です。
ボンはドイツが東西に分断されていた頃の、西ドイツの首都であった街です。
ほかにも、ベートーベンの生まれた街として有名らしく、銅像がありました。
しかし、そんなものには目もくれず、まずはここへ連れていってもらいます。
ちゃらーん!
このクマをみて、一瞬でぴんとくる方はどのくらいいますでしょうか。
全然知りませんでしたが、かの有名なグミの会社、「ハリボー」、ボン発祥だったのですね!
ハンス・リーゲルさんがボンで立ち上げた会社だから、頭文字をそれぞれとって、ハ・リ・ボなのだそうで。ボー=BONNのボー!
私なんかは「じゃあハリボンにすればいいのに」と思いましたが、ドイツ的思考には合わないようです。笑。
グッズが豊富で楽しかったです。私はピンバッジ買いました。
それから、念願の、有名なボンの桜並木!嬉しい!今年初のお花見です。丁度満開でした。
しかし花より団子、次はボンのビール、ボンシュが飲めるバーへと…。
グラスがおしゃれだなあ。そして、ビールもすっきりしてて美味しい!
ビールとともに注文したのは、欧州の春の風物詩、ホワイト・アスパラ!
最高に幸せです。突然朝からおしかけましたが、ご夫婦で嫌な顔ひとつせずお付き合い頂きありがとうございました!
1杯飲んだところで、お二人にお別れをして、次の目的地へ向かいます。
デュッセルドルフの先輩が車でお迎えにきてくださったので(足で使ってはいけない大先輩なのですが!優しすぎる!)、ドライブしつつ。
春の菜の花が美しかったです。
美しい緑と黄色の丘を何度も越えて、たどり着いたのはここ。
ベルギー国境にほど近い、モンシャウという街。
木組みのおうちがかーわいー!
ここは歴史的に、フランスになったり、プロイセンになったり、ベルギーになったりと複雑な地域のようです。
そういう場所、大好き!笑。
また、モンシャウはマスタードが有名らしいですよ!様々な種類のフレーバーのマスタードが売ってましたので、行かれる方は、ぜひお試しください。
白ワインとともに、また白アスパラを注文(お蔭様で今年の白アスパラ摂取のノルマは達成しました)。
さくっとみて、散策して、次へ向かいます。
お次はここ!世界遺産!アーヘンの大聖堂です。
カール大帝の命によって9世紀初頭に建てられた大聖堂。
亡くなったカール大帝自身もここに埋葬されているそうです。
これはかなり好きな内装でした。
ビザンティン様式とか、ゲルマン様式とか、色んな要素が入り混じっていました。
色使いやモザイクが、本当に美しい。そして荘厳。
あと入場無料に感激(撮影は確か2ユーロとられた)。
ステンドグラスも美しかったです。
アーヘンを少しだけ散策して、宿へと向かいます。
宿をとったのはデュッセルドルフです。
昔1度出張できたことがありましたが、どんな場所だったか正直あまり記憶がありません。
夕食の前のひととき、ライン川の夕日。
なんて美しいんだろうなあ。
沈んだのをみて、パブへ向かいます。正統派、デュッセルドルフのパブだそうで。
先輩いわく、デュッセルドルフのビールは、ダークビアが一般的で、グラスは小さめ。
そして、わんこビール方式なので、あいたら勝手に店員さんが次の1杯を持ってくる。
もう飲めなくなったら、空のグラスの上にコースターを置くのだそうだ。
ベタなソーセージや、ポテトサラダ、ちょっと心配な生肉などいただきました。大変美味でした。
ポテトサラダは、本当にお店によって全然味が違って美味しかったです。
ほんとお腹ぱんぱん!!
大・大・大満喫な1日でした。
はい、翌日!何をしようか迷ったんですけども…。
デュッセル郊外にある、この博物館にやってきました。
ネアンデルタール博物館です。
ネアンデルタールってドイツの地名だったのですね~。全然知らなかった。
これが予想外に面白くって、人類の歴史のおさらいになるんですけども、
オーディオガイドを聞くと、色んな原人が話しかけてくるんです。
それがすごく面白くて、自分がどこで見つかったのかとか、どういう名前がついているのかとか、どういう死因なのかとかを説明してくれるんですよ。
例えば、アウストラロピテクスの有名な個体に、エチオピアで見つかった「ルーシー」と名づけられた個体があるんですが、
「私ルーシー!エチオピアで見つかったの。生物学上の名前は、アウストラロピテクスっていうの。こんなに小さいけど、こう見えて成人しているの!」と話しかけてくれたり。
あと、他の原人のマネキンも、
「おれが事故死した日のこと…思い出したくないけれど…」とかって説明してくれて、
じっくり聞き入ってしまいました。子供はきっと楽しいだろうな。
博物館の近くに、実際に骨が発掘された場所があって、そこも訪問できます。
すごくのどかな場所でした。
人類の歴史を振り返りつつ、ボン&デュッセルの旅終わり!
ネアンデルタール博物館
https://www.neanderthal.de/en/
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オーストリア&スロバキアな週末②~鉄のカーテンを越えて~
朝、バスに乗ってウィーンからブラチスラバへと向かいます。
バスはたった6ユーロでした。
スロバキア自体は、以前東部を訪れたことがあったのですが、首都ブラチスラバは初めて訪問します。わくわく。
夫が書いたスロバキア東部の旅行記はこちらをご参照:
西ウクライナ旅行記④〜番外編:スロバキア東部へ、天空の城ラピュタ!?〜
国境ってなんでこんなに楽しいんでしょうね。Google Mapを眺めながら、国境越えの瞬間を待ちます。
ウィーンとブラチスラバは距離にしてたった50km。世界で一番近い首都と言われています。
こんな近い二つの首都の間には、冷戦時代、鉄のカーテンがひかれていて、簡単には通過できなかった訳ですが、今では検問すらないというのが不思議です。
着きました。ブラチスラバ。
バスターミナルから、旧市街へ向かうのにタクシーに乗ったところ、運転手さんに英語が通じない…。
うーむ、困った。
仏英日中クアトロリンガルな母も、ここでは訳に立ちません。
身振り手振りで会話し、うっかり脳内言語スイッチの切替が上手くいかないタイミングで「Да(ダー/ロシア語のイエスですね)」と言ってしまったところ、運転手さんの目が輝きだして、「俺はロシア語ならできるんだ!なんでロシア語できるなら言ってくれないんだ!」と饒舌に…。
さすが、旧共産圏…そしてスラブ言語圏。おかげで、私はまた伝家の宝刀、目も当てられないへたくそな片言ロシア語でコミュニケーションをとるはめに…。
ハンガリーでも、空港からのタクシーでおじいちゃんドライバーと同じ経験をしたのですよね。
今まで自分がいかに西側しかみてこなかったのか、という事をひしひしと痛感します。
ロシア語話者は想像以上に広範囲にまたがっているのですよね。
さあ、なんとか旧市街にたどり着きます。お宿にチェックインすると、興味深いツアーのチラシが置いてあります。
いつか夫と来ようと思います。
まず到着してすぐ、ローカルバスに乗って、ある場所へ向かいます。
そう、城です。
目指すはデヴィン城。最初に建築されたのはどうやら9世紀ですが、何度も壊れて再築してを繰り返し、原型になったのは15世紀、そして19世紀にはナポレオンに爆破されたという城です。
冬季は城の中には入れないけど、敷地には入れるとの情報を確認していたので、行ってみたのですが、なんと閉まっている…敷地にすら入れない…。ちーん。
あいている時に行くとこんな感じの様です↓(勝手にリンクを張らせていただきました)
https://passaulife.blogspot.com/2014/04/blog-post_30.html
仕方がないので、城の周りの遊歩道を歩きます。
この城に惹かれたのは、見た目が好み(石の古い無骨な城)というだけではありません。
その立地です。みてください。
オーストリアとスロバキアの間を流れるドナウ川に、モラバ川がちょうど流れ込む地点にデヴィン城はあります。
そして、冷戦時代はこの川沿いに鉄のカーテンがしかれたわけですね。
たくさんの人が、この川を越えて、西側へ逃げようとして命を落としたそうです。
城の裏側、川に面した道を歩いていると、亡くなった人への追悼碑がいくつかあります。
今はオーストリアもスロバキアもEUとなり、シェンゲン協定に加盟したため、パスポートコントロールもなく、国境を越えられます。
不思議なものですね。
亡くなられた方々に黙祷して、ブラチスラバの市内へと戻るバスへ乗り込みます。
市内へ戻ってきました。まず、町のランドマーク、ブラチスラバ城へ。
この城には「ひっくり返したテーブル」というあだ名があります。
四隅の棟が、ちょうどひっくり返したテーブルの脚みたいですよね。
城の中は博物館になっています。我々は入らなかったですが。
城は岡の上にあります。ドナウ川を一望。
かの有名なクラシック曲、「青く美しきドナウ」を昨晩の睡眠前のBGMにしていましたが、ドナウ、あんまり青くないですね。夏に青空が反射したら「青く美しく」見えるのでしょうかね。
寒いせいか(この日は-7度です…)、空気が澄んで美しい。
城から市内へ下っていく小道も、冒険みたいでわくわくしました。
それから、お次はブルーチャーチ。こんな真っ青な教会も珍しいですね?
あんまり意識したことなかったですが、スロバキアはカトリックの国なんですねえ。
ひとくくりに東欧といっても、スラブ言語x正教、スラブ言語xカトリック等でもまた異なりますね。
しかしまあ、東欧の冬は本当に底冷え。寒すぎるので、夜は勿論飲みにいきます。
スロバキアといえば、ビールでしょ!修道院が運営しているというブルワリーへ。
http://klastornypivovar.sk/?lang=en
店内で醸造されたビール樽とサーバーを繋ぐ巨大なパイプが店内を横断しています。
うーん、スロバキアビール、おいしいいい!ライトで飲みやすいです。
ところでビールの名前の後ろに書いてある数字、最初はアルコール度数かな?と思ってたんですが、この軽さ、どう考えても10度以上もないぞ!?と思って、調べてみたところ…
チェコとスロバキアのビールに記載されている数字は、「バリング度」という、発酵前の麦汁の糖度を表す数値だとわかりました。このバリング度が高ければ高いほど、味が濃くなり、アルコール度数も高くなるようです。
またひとつ賢くなった!
お酒のお供はこちら。スロバキア料理の代表格、「ブリンゾベー・ハルシュキ」、ヤギチーズのニョッキです。なかなかの獣臭、そしてカロリーですが、美味しいです。黒胡椒たっぷりかけると美味しいです。
お腹もぱんぱん、寒い路地を駆け足で歩いて、宿へ戻り、就寝です。
翌朝、旧市街のお散歩にでかけます。旧市街はこじんまりとしてかわいらしいです。
いたるところにユニークな銅像がいます。このおじさんはランドマークな様です。
こちらはビロード革命の始点と言われる広場。
寒いので、広場にある「メッサーシュミット・カフェ」なるカフェでコーヒーを1杯。
http://www.messerschmidt.sk/index.php/en/
この彫刻、なんか見覚えあるなあ、と思ったら、前日のウィーンのベルヴェデーレ宮殿でみたやつとそっくりでは?と母と気付く。
メッサーシュミットという名前を聞いて、ミリ好きの方は、第二次世界大戦で活躍したドイツ空軍の戦闘機を思い浮かべる方もいるかもしれません。
しかし、このメッサーシュミットさんは、戦闘機のメッサーシュミット社とは関係のない、ハプスブルク家お抱えの彫刻家だったのです(パリのルーブル美術館で特別展が開かれた事も)。
なんでウィーンにいた人のカフェがブラチスラバに?と不思議に思い、調べると、どうやら彼はブラチスラバで亡くなったそうです。
Messerschmitt、で画像検索していただくと、本当に個性と表情豊かなマスクの彫刻がたくさん表示されます。
興味のある方はこんな動画も。
https://vimeo.com/14909282
ちなみに、このカフェの奥には、無料の小さな「ビロード革命博物館」があります。興味ある方はぜひ。
チェコとスロバキアがどうやって独立していったのかを、時系列に写真とともに展示しています。
ドプチェクってスロバキア出身だったのですね。なんとなくチェコだと思ってた。
最後に訪れたのは、ユダヤ文化博物館。
http://www.slovak-jewish-heritage.org/jewish-museum-bratislava.html
東欧のユダヤ人の歴史が壮絶なものである、という事は勿論ある程度は理解しているつもりでしたが、思った以上でした。
スロバキアは第二次世界大戦中、ユダヤ人の7割が強制収容所へ、生き残ったわずかな人々も、ほとんど国外へ移住したという国でした。
欧州でユダヤ系の博物館や建物を訪れると、大抵は厳しいセキュリティチェックが入口にあります。
しかし、ここはゆるゆる。そこでポツリと母が呟きます。
「もしかして、脅威だと思われないほど、スロバキアのユダヤ人は微小な、非力な存在になってしまったのかも。だからセキュリティチェックも必要とされないのかも。それって、もしかして憎まれる事より悲しい事かもしれないね。」と。
展示品も、ナチスドイツが資料として押収したユダヤ人の生活雑貨、移住した人々からの寄贈品等から構成されていて、当時生きていた人の生活を推し量る事のできる品物はほとんどないのがショッキングでした。
ちょっと落ち込んで、ブラチスラバ、そして母とお別れ。
ブラチスラバ空港からキエフへ直行便で帰ります。(1時間でついた!)
東欧はやっぱり点で考えるのが難しい、面で考えなくてはいけないんだなあと思わされた旅でした(主にメッサーシュミットを通して笑)。
あと、知識はあればあるほど、旅が楽しくなる。もっと勉強せねばなあ、と痛感。
さあ、次はどこへ行こうか。楽しみは尽きない。
<<拍手のお返事>>
>尚美様
ひっそりと未だカフェめぐりを続けておりますが、人にお勧めしたくなるカフェも多いです。
7月はとても良い季節です。素敵な滞在となりますように!
>mkparis様
そうですね、全ての作品が目の見えない方対応はしている訳ではありませんが、それを求めるのも無理があろうかと思います。
シュニッツェルは他のお店で食べたときは巨大でした。単にザッハのサイズが謙虚なのでしょう。。。
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オーストリア&スロバキアな週末①~文化的なウィーンの夜を~
母と久々に旅したいと思い、3月の初めに旅行計画を立てました。
今回の訪問先はブラチスラバ!スロバキアの首都にしました。
しかし、母の住むパリからブラチスラバの直行便がない!(キエフからはLCCで去年から直行便が飛び始めました。)ということで、ブラチスラバから車でたった1時間のウィーンで集合することに。
金曜の午後便で出発して、夕方ウィーンの空港で再会!
先に着陸した母がわざわざ、ノンシェンゲンのゲートまできてくれました。
さあ、今晩の目的地へ向かいます。
第一の目的地は、ココ。ベルヴェデーレ宮殿です。うっ、寒い。
ベルヴェデーレ宮殿公式サイト:
https://www.belvedere.at/en
ここで、何が目的かというと、私のクレジットカードの絵柄になっている、クリムトの「接吻」を生でみたい、と考えたのでした。
絵は巨大で、魅入ってしまいます。(私の写真ではサイズ感が伝わらなくて残念)
そして、ここで感動したのは、「目の見えない人のための絵画作品解説」!!!
生まれて初めてみました。
凹凸で表現されています。そうですよね、見えなくたって、どんな作品か知りたいですよね。
そういえば、ベルヴェデーレは最近写真撮影OKとなったそうです。ラッキー!(撮影禁止な作品もあるので、ご注意くださいね。)
母と頷きあったのは、「クリムト、接吻以外の作品の方が好みだね」ということ。
勿論個人差あると思いますが、金色を使っていない作品の方が好きでした。例えばこの母と子の絵とか。(クリムトの「母子」はもっと有名な明るい作品もあるのですが、こちらの方が落ち着いていて、いいなあ。)
あとは、野草の花が咲き乱れる野原を描いた作品もいくつかあって、「まさに私がこれまでみてきた、東欧の春だ!」と、緑と赤と黄色のあふれる色合いや描き方にとても感動しました。
意識したことがなかったけれど、クリムトは東欧の画家なのだ、と思い知らされました。
日が暮れてきて、次の目的地へ。
夢のザッハホテルで元祖ザッハトルテです!
ホイップクリームが上品な味。そしてチョコは甘すぎず、美味しい!!
前回は長蛇の列が出て来ていて、ギブアップしたのです。友人が「夜行ったらすいてたよ」と教えてくれたので、夜にしました。
今回も並んではいたものの、ティータイムをはずしたので、比較的すんなり入れました。
内装も、店員さんの制服もかわいい。宮殿みたい。
お腹もすいていたので、ビールとシュニッツェル、ウィンナーソーセージも頼んじゃいました。
ホテルザッハー公式サイト:
https://www.sacher.com/en
ほかにウィーンでおすすめしたいのは、国立図書館(プルンクザール)。
国立図書館王広間:
https://www.onb.ac.at/en/
見上げても本・本・本、そしてうっとりする本棚と壁画。
マリア・テレジアの父、神聖ローマ皇帝・カール6世が18世紀前半に作らせたそうです。
バロック様式のヨーロッパ最大の図書館。本好きにはたまらない空間で、うっとりしてしまいます。
それから、音楽の家!
Haus der Musik
階段が鍵盤になっていて、歩くと音がでたり。
著名指揮者の指揮棒が飾ってあったり。
ウィーン・フィルの指揮を疑似体験できたり(腕を動かすと、映像の楽団も合わせて動いて音楽を奏でてくれる)。
すごく楽しい空間です。
さすが音楽の都と呼ばれるだけありますよね。市内のいたるところに音楽家の銅像もあります。
こちらはシュトラウス。
本当は、中央墓地に行って、有名な音楽家たちのお墓めぐりをしたかったのですが、時間が足りなかったのと寒かったので今回は諦めました。
また次回のリベンジ項目としてとっておきます♪
とにかく寒い旅でした笑。母に「こんな寒い時期にわざわざ寒い場所に連れ出すのはあんたくらいだ」と言われたほど笑。
という訳で、今回の旅は、暖をとるためにたくさんコーヒーを飲みました。
こちらはインペリアル・カフェのカフェオレ。もうカップとコーヒーと泡の色合いがなんとも美しくて見とれてしまいます。皇室のマークも素敵。
そして、オーストリアでは、カフェオレのことを、「メランジェ」(フランス語で「混ざったもの」という意味)と呼ぶと知りました。ふむふむ。
ウィーン市内にはいたるところにカップル信号機があります。
色んなカップルの形があって、男女もあれば、男男、女女の組み合わせの信号機もあります。
楽しくってつい信号をじっくりみちゃいますね。
さて、翌日はバスに乗ってのブラチスラバへ。
ブラチスラバ編は次の記事で書くことにします。
<<拍手のお返事>>
>N子
ゆで卵3個は衝撃でしょ…。なんならもう1コ食べたかったらしい。板東英二かよっていう…。
南イタリア横断の旅③~ナポリを見てしね~
さて、年末年始イタリア旅、ラスト記事です。
ポンペイをあとにし、あの街へ向かいます。そう、ナポリへと…。
Vedi Napoli E Poi Muori
ナポリを見てから死ね
有名なフレーズですね。私もみるまでは死ねないなーということで、ナポリです。
日が暮れてきました。早くナポリにつかなくては!
奥様は「悪名高いナポリの街中では絶対に運転したくない!!」という意志の元、街中ではなく、空港近くのレンタカーショップへ車の返却に行く計画にしていました。
(バーリ空港店で借りて、ナポリ空港店で返却するというプランです。観光大国はこういう乗り捨てができるので本当に便利。)
大晦日の夜、ナポリにつきました。ナポリのカウントダウンはやばい、そう聞いていましたが、私のプランニングでそうなってしまいました。
(ちなみに旅の計画は基本全て私が決めています。フライトもホテルもルートも。夫はそれに文句ひとつつけずエンジョイしてくれる、最高のパートナーです。)
暗くなってしまいましたが、少しお散歩。
こちらはウンベルト1世のガレリア。
カウントダウンを元気に過ごせるように、ホテルに戻って、カウントダウンまで仮眠をとる我々笑。
ものすごい爆竹の音で目が覚めます。窓を開けて確認すると、いたるところで私的な花火もあがっています。
テロ!?とでも勘違いしそうな爆音たち。
爆竹鳴り響く中、プレビシート広場まで出てくると、街全体がまるでクラブになったかの様に、低音ビートのきいた音楽が流れていて、みんな踊っています。
2018年おめでとう!ライブみたい笑。
二人で道端で売ってたスプマンテのボトルを買って、道端で乾杯して新年をお祝い。
いつまで別居婚かわからないけど、今年も頑張ろうね、などと話しながら、これまた道端で売ってたピザを食べ、スプマンテをがぶがぶのみながら、ねぎらいあいます。
飲んだらすぐ眠くなったので、大人しくホテルへ戻ります。
街はまだまだ寝る気配がないけれど、我々はひとまずお休みなさい。
******
さて元旦です、おはようございます。
一緒にキエフで暮らしていた夫が日本に帰国して早1年半。
筋トレを始めた夫、トレーナーの指導の元、10キロ近く痩せて、食生活にも随分気をつけるようになりました。
しかし、朝ごはんにゆで卵を3個も食べたので、「まじかよ…」って思いました。
8ヶ月ぶりに会う夫、まるで別人です。見た目も勿論スッキリしたのですが、何より中身が。
さあ、街歩きスタートです。ナポリ歴史地区は世界遺産となっています。
まずは宿の近くの海辺のこのお城。
ヌォーヴォ城です。アンジュー家のお城だったそうです。年末で閉まってました。
昨晩はあんなに賑やかだったプレビシート広場は、すっかり元通りに。
そして向かうは、サン・セヴェーロ礼拝堂。
とても有名な彫刻、「ヴェールに包まれたキリスト」がみたかったのです。
写真禁止なので、気になる方はこちらの公式サイトでチェックください。
http://www.museosansevero.it/en
彫刻なのに、ヴェールの薄さ、キリストの表情、人体の丸み、やわらかさ、繊細さが表現されていて、感動します。
中の彫刻は、それ以外もとにかくゴージャスです。私は彫刻が好きなので、眼福でした。
事前予約して、朝一番で行ったのですが、けっこう混んでましたね。
そして、ナポリの街を真っ二つに突っ切る道、スパッカ・ナポリへ。この写真だと伝わりにくいんですが、一直線になっていて、奥はすごい坂道になっています。
スパッカ・ナポリ、とは「ナポリを真っ二つに割る」という意味なのだそうで。
下町、落ち着いた色合いで好きだな。
そしてナポリ名物ときいて、ラム酒シロップをたっぷりしみこませたケーキ「ババ」を買います。
食べ歩きしちゃうよん。すごい大人の味だ。フォークを指すと、あふれ出るラム酒。夫はいたく気に入った様です。
ジェズ・ヌォーヴォ教会。外観がみたことない感じ。
中は荘厳。
しかしまあ、ナポリの人々のなんとおしゃれなことでしょう。おじいちゃんさえ、おしゃれなんです。
道行く人々をみながら、夫と二人で「おしゃれ・・・」とため息。
そして、リーズナブルなスーツをあつかうお店がところ狭しと並んでいて、夫はジャケットを爆買いしていました。あんなに目をキラキラさせながら買い物し続ける夫は初めて見たような気がします。
(本当は私も買い物にいそしみたかったのですが、旅の2週間程前に、アイスバーンで滑ってこけて腰を強打し、何をするにも腰が痛い状況だったので、大人しく試着したり、店員さんとあれこれ会話する夫を、ソファに腰掛けて見守る私でした。)
丘の上には、これまたお城がみえます。
サンテルモ城です。あんまり時間がなかったので、スキップしたのですが、あとで調べてみたところ、14世紀に作られた星型要塞だったようで、星型要塞好きとしては、しまったなあ、と後悔してます。
また次回。
そして、ナポリといえば、ボンゴレ~~~
今までわざわざボンゴレ注文した事なかったのですが、名物と聞いて注文してみたところ、「ボンゴレってこんなに美味しかったの!?」と感動しました。
それから揚げピッツァも初めて食べました。揚げカルツォーネと呼ぶべきか。
海辺のレストランのテラスで、ワインをのみながらの舌鼓。
元旦、のんびりと海辺を歩きます。
こちらがナポリ最古の要塞、卵城です。
んんー、やっぱり要塞はいいですね。心惹かれるものがあります。何故でしょうね。
ナポリはみるべきものが沢山あるにも関わらず、全然時間をとらなかったので、いつかリベンジしたいと思います。
今回の旅は是にて終了。
元旦の午後、キエフへと戻ります。ばいばいイタリア。また開拓に来まーす。
南イタリア横断の旅①~港町バーリと世界遺産たち~
南イタリア横断の旅②~サレルノとアマルフィ海岸、そしてポンペイへ~