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2024年05月18日
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チェルノブイリ・ツアー①

2015年10月17日
チェルノブイリに行ってきました。

ウクライナといえば、チェルノブイリ原発事故を思い起こす人は少なくないでしょう。実際、旦那もそのイメージでした。キエフに住んでいるからには、一回は訪問しておきたいと思っていました。

ちなみにキエフ市内にある「チェルノブイリ博物館」には既に三回ほど訪れています。事故原因の解説や当時の書類などの展示があり、ウクライナでは珍しく日本語の音声ガイドもあります。また「フクシマへの祈り」という企画展も催されています。チェルノブイリに行く時間がない方は、ここで概要を学ぶだけでも良い経験になるかと思います。

さて、チェルノブイリへ行くには一般人だと現地ツアーに参加する他ありません。ただこれまでウクライナで参加したツアーとは異なり、かなりレベルは高かったです。そもそも英語ツアーがあり、ガイドも知識豊富で流暢な英語で一つ一つ丁寧に解説してくれます。そのため、外国からの参加者も多く、早朝キエフ中央駅に集合してバスで二時間ほどかけて現地に向かいました。バス車内では、チェルノブイリ事故のドキュメンタリー映像が流され、事故の概要をおさらいするとともに、当時の町の雰囲気を知ることができます。


下はチェルノブイリの町章。原発とその横を流れる川を表しています。



こちらはチェルノブイリの手前、30km圏内に入るゲートです。
ここで事前に提出した書類とパスポートの照合を行います。
写真撮影が可能な場所とそうでない場所について説明を受けます。

かつての配給場所(お店)。廃墟となった店や家が並んでいます。


この奥には、おばあさんがひとり暮らししていました。
退避後、別の町で生きることにストレスを感じ、戻ってきた人も少なくないのが実情。
ここで住むことについて最近になってようやく国から認定を受けたようですが、彼ら・彼女らはここでほぼ自給自足生活を送っております。もちろん30km圏内なので、消防・救急のサービスもありません。それでも、こちらの生活のほうがよいということでしょう。おばあさんは「キエフは果物が高いでしょ」と言い、笑顔でツアー・コンダクターに大量の果物のお土産を渡していました。


こちらは最近公開されたという、旧ソ連時代の秘密軍事基地



米本土から発射される核兵器に向けられた早期警戒レーダー。
「自動核報復システム」(いわゆる「死の手」)の最初の一歩です。
こんなものに金をかけて、冷戦を戦っていたんですね。すぐに使えなくなるのに...


コンピュータ類は完全に壊されて放置されています。


かつて司令部があったところ。



ところかわって、幼稚園。入り口に覆い茂っていた草木はホットスポット。ガイガーカウンターが鳴り響きます。
  

1986年4月に原発事故を起こした4号炉。事故後に建設された「石棺」は老朽化しているため、現在この横で国際協力のもと、「新シェルター」が建設されています。完成すれば、レールでスライドさせて、この「石棺」の上に被せるようです。ちなみに事故後も隣接する1~3号炉は運転し続けていましたし、また別の場所で今でも原発は稼働しており、ウクライナにとって重要なエネルギー政策の柱となっています。
 

事故直後、十分な情報を与えられず防護服などを着用することなく勇敢に闘った方々の慰霊碑。



場所によっては、ホットスポットがあります。
地面に近づけると急にガイガーカウンターが鳴り出します。

  
 (その2に続く)
 



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ウクライナの独立記念日

2015年09月10日
少し遅くなりましたが、ウクライナにとっての8月の大イベントといえば、独立記念日。

8月24日で、24歳になりました。

私よりも奥様よりも若いのです。

今年は、昨年4月から続く東部での戦闘のため、軍人さんによる小規模な行進のみです。それでもすごい人出。外国からの観光客はそれほど多いように思えないので、国内からきている人が多かったのかな。もちろん、マイダン広場前にはお偉いさんの席があるため、セキュリティが厳しい。


それにしても、この写真よくとれているでしょう。
奥様の名案で、通り沿いのレストラン2階からとったものです。ベストポジションにも関わらず、人があまりいなかったとか。日本だったら特別に席をだしたり、特別メニューをだしたりしそうですが、さすが商売っ気がないですね。




いつもの「友好のアーチ」。普段は静かなこの場所にもいっぱい出店がでていて、盛り上がっていました。

午後のマイダン。東部での戦闘で亡くなった方々の顔が写されています。
これまでに軍人・民間人含めて死者は少なくとも7962人、負傷者は17811人に上っています。
この戦闘が終わるまで、独立記念日は祝えないという記事もありましたが、これが多くの国民の本音でしょう。









ウクライナに平和が訪れるよう皆で寄せ書き。



フレチャ―チク通りでは様々なイベントが。そして「ウクライナ・カラー(青と黄)」もしくは民族衣装ヴィシバンカをよくみかけました。



ポロシェンコ大統領から「Happy Independence day!」
歴史に名を残すことができるのか。



夜もきれいに飾られていました。



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地平線が見えるということ

2015年08月28日


ウクライナの広がる青空と小麦畑の景色は、ウクライナの国旗そのもの(上が青、下が黄色)。
小麦は豊かさの象徴ですね。こっちに来て、想像していたよりはるかに、野菜や
果物が豊富で驚きました。

でも、ずーっと平らな地平線を眺めていると、隣国に攻め込まれ続ける理由がよく分かる。
「この道を、ナチスも通ったのかな」と横でつぶやくダンナ。
ウクライナの歴史を紐解くと、本当に悲しい出来事が多いですね。



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ウクライナのいいところ(男性目線)

2015年08月20日


ウクライナ人女性(というかスラブ女性?)は常にファッションに全力投球。
毎日ドレスアップしてるような感じに見えます。カジュアルなんてダサい、みたいな。

中東から出張してきた同期はウキウキしていました。笑。

でもここ数日めっきり涼しくなってきて、みんなジャケットを着始めたので、
すけすけももう見納めかもしれません。。。


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キエフの共産主義建築

2015年08月11日
まもなくなくなるかもしれない、キエフの共産主義建築...

ウクライナの現政権は「西」に向いていて、将来的なEU加盟を目指しています。その過程で歴史を克服しようとする動きがみられます。そしてソ連時代の党章や建物など象徴的なものを街から取り除いていっています。以下のような「The ソ連」でありながら、街の観光名所・象徴となっているものまで解体するのかはわかりませんが(メトロ駅にある共産党のエンブレムなんかは剥がされているとのこと...)、時間の問題かもしれません。

ということで、最後になるかもしれないため、せっせと記録に残していきます。

①「祖国の母」像
キエフの空港から市内に車を走らせると、まずこの建物を見ることになります。お隣が世界遺産にも登録されているぺチェルスカ大聖堂があるため、こんなものいらないよ!という声もありますし、否、もはやこれはキエフの象徴でしょう!という声もあるようです。


②勇ましい市民像


③友情のアーチ
もちろんソ連時代に建てられた、ロシアとウクライナの「友情」像だそうです。
いまではシュールなネタでしかありません。ところで、どっちがウクライナで、どっちがロシアだったかな?



④アフガン戦争記念碑
共産主義建築ではないのですが、アフガン戦争の記念碑。ソ連にとっての「ベトナム戦争」は79年12月に始まったアフガン戦争。これがソ連崩壊の一因になったと指摘されることも。 


⑤主のいないレーニン像
フレチャ−チク通り近くにあるレーニン像。最初見た時は大砲かなにかと思ったが、よく見ると台座には「レーニン」と記されている。マイダン革命で倒されたらしい。


共産主義時代の建物を片っ端から壊すのではなく、残した上で「ウクライナ」を施すほうが皮肉が効いていて個人的には好きなのですが...やっぱり壊すんですかね。

⑥おまけ、ソ連時代のアパート
これは70年代頃からある(てことは、ブレジネフ風アパート?)と聞いています。ソ連系アパートには、スターリン風アパート、60年代のフルシチョフ風アパートとあり、それぞれが時代の特徴を映し出しています。




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