便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~

2017年10月20日
さて、サラエボ2日目。

本日はブラックツーリズムの詰め合わせでございます。割とハードな内容がありますので、覚悟してかかってくださいませ。


まず、サラエボ市内を歩いて、ある場所に向かいます。
途中、人々の営みを感じる街中でありながら、気付く事があります。

そう、建物が…銃撃の痕だらけ…。


たった20年前まで、この地はユーゴスラヴィア紛争、とりわけ厳しかったボスニア紛争の激戦地だったのですね。
自分の備忘も兼ねて、ユーゴ紛争について簡単におさらい(私の付け焼刃サマリーなので、ご指摘あれば宜しくお願いします)↓

===================================
・ユーゴスラヴィア連邦の一員であったボスニア・ヘルツェゴビナは、ユーゴ解体(クロアチア独立等)の動きを受け、1992年3月に独立を宣言。
・ボスニアはそもそも、ボスニャク人(ムスリム)が4割・セルビア人(正教徒)が3割・クロアチア人(正教徒)が2割と、ほぼ均衡するような形で異なる民族が共存していたが、独立を求めていたのは、このうち、ボスニャク人やクロアチア人だった。
・ゆえに独立に反発するセルビア人と、セルビア人を無視する形で独立を進めたボスニャク人との民族間対立は劇的に悪化、独立宣言翌月には武力衝突が発生する事態へ(クロアチア人は独立支持派ではあったものの、ボスニャク人と一枚岩ではなかった)。
・ユーゴ解体を避けたいユーゴ連邦軍はセルビア人を支持し、ボスニャク人勢力と衝突、ボスニア全土で、両陣営による空爆や民族浄化といった、おぞましく、激しい内戦が繰り広げられることとなった。
・激しい戦闘は3年半続き、1995年10月に漸く和平合意がなされた。
・この内紛は死者20万人、避難民200万人を出したとされる。
===================================



途中、公園を通りましたが、記念碑と銅像がありました。

銅像の横には、看板があり、英語の記載もあったので読んでみると…
スレブレニツァ(後ほど書きますが、ボスニア紛争でボスニャク人への大虐殺のあった村の名前)で、セルビア軍に捕まったボスニャク人の息子ネルミンに、降伏するよう呼びかける父、ラモの様子だそうです。後にこの親子は、2008年に虐殺の跡地から遺骨が見つかったそうです。
誰かがこの姿をみて、記憶に残し、この銅像を建てる事を考えたのでしょう。
胸が痛みます。



記念碑の方には「ボスニア紛争で命を落とした子供たちの為に」と記載があります。子供の名前と生年、没年が刻まれています。よくみると、みんな私と同年代です。生きていたら、同級生だった子も沢山いました。黙祷。




そして、こちらは市内の道端に点在する「サラエボのバラ」。なんだと思いますか?

ここは市民が砲撃によって命を落とした場所で、えぐれたアスファルトに赤い樹脂を流し込んで固めたものです。その広がる赤いさまから、「サラエボのバラ」と呼ぶのだそうです。

樹脂で固めていないけれど、恐らくここも砲撃があったのだな、とわかる様なえぐれた場所が他にも何箇所もありました。



朝から行くべき場所ではないと思いつつも、こちらのギャラリーにちらりと足を運びました。(つきあってくれたA家ありがとう。母に話したら「またそんな場所行ったの!?」と呆れていました。)

ボスニア紛争では「民族浄化」と呼ばれる、おぞましい大量虐殺がありました。こちらのパネルはボスニアで虐殺が起きた場所を示す地図。


特にこのギャラリーのテーマになっている、スレブレニツァという場所で起きたジェノサイドは、世界的にも有名で、それに関するフォトギャラリーということで、腹をくくってみて来ました。(Wikiにも項目があるので、気になる方はどうぞ。「スレブレニツァの虐殺」)

写真は禁止なので、入口のパネルのみ。



大量のビニールシートに包まれた、埋葬を待つ夥しい数の遺体(↑のパネルの写真)。
埋葬する為に集められたシャベルの山。
亡くなった方の名前が延々と刻まれたパネル。恐らく一家全滅だったのだろうということは、同じ苗字の方の名前が長く続いているのを見て、推測する。
代理戦争に興じる国際社会を揶揄する風刺ポスター。
いたるところから煙のあがる廃墟の中、寝かされている赤ちゃん。
砲弾が弧を描いて着弾し、爆発する映像。


なんというか、カラーの映像が残っている、ということに衝撃を受けてしまった。
人間は、あやまちを繰り返すおろかな生き物だなあ。

このギャラリーでは、こちらのポスターに胸をわしづかみにされたので、購入。


UN - United Nothing
と書かれています。国連からPKO軍として派遣されたオランダ兵が壁に落書きしたもの、と言われていますが、これ以上の皮肉があるでしょうか。
激戦地へ派遣され、その場にいるだけで何もできない。彼は何を思ってこれを書いたのでしょう。




そして、気持ちが落ち込んだあとに向かった場所は、こちらの黄色い建物、”Holiday Inn Hotel"。

今Holiday Hotelという名前になっていますが、ボスニア紛争時、市内で唯一営業を続けたホテルで、多くの報道記者がこちらのホテルに滞在し、ボスニア紛争の現状を世界中に発信していたそうです。


中は割とにぎわっていました。我々はコーヒーを1杯いただく。
夫にLINE電話で繋いでみたら、「どこおんねん!」とつっこまれました笑。
 



このホテルの前の、この大通りも大変有名で、別名”スナイパー通り”と呼ばれていました。
 
何故かというと、ボスニア紛争時に、両陣営が、この通りを通るものは老若男女動くものはなんでも片っ端から狙撃していたからだそうです。(尚、水を汲んだりする為に、この通りを通る必要がある人は多かったのだそう。)




それから、少し離れた場所にある、こちらは広大なお墓。
真新しい白い墓石の数々。刻まれた没年は、のきなみボスニア紛争の起きていた1992年~1995年です。

中には、5人家族全員同じ没年が刻まれた並んだ墓石も。
さすがの我々も、閉口。またしても合掌、黙祷。




それから、サラエボで最後に訪れたのが、こちらの博物館。

http://tunelspasa.ba/#Dobrodo%C5%A1li
サラエボ・トンネル博物館


博物館の壁も見事な蜂の巣状態ですね。


サラエボはボスニア紛争時に、敵陣営に完全に包囲され、物流ルートのほぼ全てを遮断されました。そんな状況下、医療物資や食料品、負傷者や病人の輸送の為に、秘密裏に作られたのが、サラエボ郊外から、サラエボ市内へ抜けるこの約800mのトンネルでした。


どれくらい包囲されていたかというと、パネルによればこんな感じ。詰んでます、四面楚歌。
赤い部分は全て敵、敵のいないところは山です。




今はたった数mしか残っていませんが、トンネルの内部にも入ることができます。
 
映像をみると、雨水がしたたり、とても快適にはみえませんが、サラエボ市内に残された人々の、命綱の役目を果たしていたわけですね。



博物館の敷地には"The Place that ended 20th Century(20世紀を終えた場所)”と書かれた看板がありました。

20世紀を終えた場所をあとにし、次の目的地へ向かいます。




途中、いたるところに”Don't Foreget" / "Never Forget"といった標語が書かれた壁を見かけました。


ボスニア内戦は、まだ歴史に出来ていない、消化しきれていない、今も人の胸に生きている出来事なのだと改めて実感。
移動中のどんな小さな村の家の壁にも、銃撃の痕が残っていた事は、きっと忘れません。





さて、気持ちを切り替えて次の目的地はモスタル。サラエボから南へ120kmほど下った場所にあります。
モスタルには世界遺産の有名な橋、ネレトヴァ川に架かる「スタリ・モスト(古い橋)」があります。
 
最近ではクロアチアのドブロブニクなんかからも、1日ツアーが出ているので、訪れる日本人が増えているそうです。


この橋は、残念ながらボスニア内戦の時に破壊され、2004年になって再建されたもの。

やはり、モスタルにも悲しい歴史がありました。

ボスニア紛争前、モスタルは各民族がモザイクのように入り乱れて暮らす街だったそうです。
モスタルは紛争中、18ヶ月の間包囲状態となり、両陣営がそれぞれ教会やモスクを破壊しあう激しい戦闘が続きました。
そして今では、橋をはさんで片側がキリスト教徒、片側がムスリムの住む街、という風に東西に分断されて暮らすようになってしまったそうです。


10年前にモスタルを訪れた方に「当時はまだ暗くて、橋も再建されておらず、とても観光地と呼べる場所ではなかった」と言われたので、モスタルの街と人々が、一体どれほどの悲しみや憎しみを飲み込んで、今この場所で、隣りあわせで暮らし、復興を遂げてきたのだろうと、こみ上げるものがありました。



モスタルの街中の壁にも書いてありました。「スレブレニツアを忘れない」と。
 




そして今回のお宿。
Mちゃんが選んでくれたお宿がね、最高にね、可愛いんですよ!!!
お人形が部屋を出たところに座っているんですが、等身大サイズなので、けっこう怖い…。ドアあけるといるので、毎度「ひぇっ」ってなってました。

博物館もかねたこのお宿。オスマン帝国時代からの名家のおうちだった場所らしいのですが、奇跡的にもボスニア紛争中で被害をほとんどうけず、こうして残ってくれていました。

Webもあったよ。
http://www.muslibegovichouse.com/


お部屋の内装も可愛いよー。
 


荷物を置いて、再び出かけます。
スタリモスト以外にも可愛い橋があるので、行かれる方はぜひお散歩を。





移動に疲れた我々は橋を眺める特等席を陣取って、くれゆく夕日を眺めることにしました。日没後のライトアップされた橋も素敵でした。
 


夕食は、ボスニアのお肉をもりもり食べました。こんなにTHE・肉!なのに、意外とすんなり全部食べたし、胃もたれもしなかった。ビールはモスタルのビール、モスタルスキェを頂きました。



そんな感じでサラエボとモスタルな長い1日終了。
この晩は、あまりにも胸がいっぱいで、サラエボで見たもの、モスタルで感じたもの、道中で気付いたこと等々、夫と夜1時間くらい長電話してしまった(日本は早朝だったのに、付き合ってくれた夫ありがとう)。

人道的介入ってなんだろうかとか、なんか色々頭をぐるぐる回る夜でした。



次回はまた移動日ですよ!これからはライトな部分のみ!



バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~(このページ)
バルカン旅行記④(準備中)







↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[4回]

PR

バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~

2017年10月12日
さあ、モンテネグロを出発して、隣国へ向かいますよ!
写真見返すだけで楽しくて、書くのがおいつきません!笑。


朝ごはんは近くのパン屋さんで買った、ブレック。モンテネグロの食べ物です。
でもブルガリアでも似たようなのを食べたので、多分バルカン半島一帯で食べるタイプのパンなのではないかと推測。

パイ生地にお肉やら、じゃがいもやら、フェタチーズやら、色んなものがつまっています。
朝から食べるにはなかなかハイカロリー!


それから、果物売りのおっちゃんから、プルーンをいくつか買いました。





車に乗り込んで出発!向かうは、フェリー乗り場!




船からの景色もなかなかすてき。フェリーに乗らなくても、たどり着けるんだけど、3倍くらいかかる時間が違う(湾をつっきるか、リアス式海岸みたいな入り組んだ湾岸線をひたすら走り続けるか)ので、フェリーを選びました。



すれ違うフェリー。乗っている人に手を振ると、気付いた人が振り返してくれます。





フェリーを降りたあとは、ぐねぐねカーブの山道を登っていきます。(D氏いつも運転ありがとう。)頂上付近はこれまた絶景。ちょっとしまなみ海道の景色を思い出した。
 



山道にどんどん入り、目指すは国境です。青い点が現在地。3カ国がぶつかり合う場所、ここで検問です。
どの検問がいいらしい、というところまで調べてくれたMちゃんありがとう。




まずはモンテネグロ出国!Good byeモンテネグロ。
 



そして、ボスニアに入ります。
 


こんな国旗の色してたんだね。青x黄色、親近感がわきます。
(なぜならば、私もA家もそれぞれが青x黄色の国旗の国に住んでいるところだから…)




いえーい!ボスニア・ヘルツェゴビナ入国です。検問を越えると下り坂。
大平原が広がっていました。
 



悠然と広がる平原。




いくつかの絶景を通り過ぎ、通りかかったモーテル兼レストランで腹ごしらえです。
ひゃー!店先には子羊の丸焼き!美味しそう!!という訳で、注文。



友人はお魚(マス)を注文。海から随分遠いところに来てしまったのがわかります。
そう、ボスニアは海岸線がほとんどないんですね~。



満腹になったところで、再び疾走再開!


なんだか、丘の上に巨大なモニュメントに出会いました。大きな手が二つ?のようにも見えるし、炎のようにも見える。



なんとなーく戦跡っぽいぞ、と私の戦跡センサーが反応したので、日本にいる夫氏に写真をとってLINEで送ります。案の定、看板もありました。Battleと書いてある!やはり夫によって鍛えられた私のセンサーは間違っていなかった!

すぐに夫ぺディアにより、関連URLが送られてきます笑。
この地はどうやら1943年に、チトー率いるユーゴスラヴィアのパルチザンたちがナチスドイツ率いる枢軸軍と戦って勝った、ユーゴスラヴィアにとっては歴史的に意味のある場所のようです。

調べたら、この戦いを描いた映画もありました。
http://www.imdb.com/title/tt0070758/
きっと血みどろなのでしょう。見る勇気があまりでません。





うひゃー!ここの湖も絶景!なんて色しているんだろう。



道中、牛さんと併走。牛飼いのお嬢さんが先導していました。
運転しようと思ったけど、ぐねぐね続く細い山道にどんどん自信をなくし、D氏に一任する我。






モンテネグロからボスニアに入り、北上を続けること5時間、くらいかな?サラエボが見えてきました。
歴史の教科書でしか聞いた事のない、サラエボ、まさか、こんなアップダウンのある街だなんて、誰が想像したでしょう!?




サラエボ、この魅惑の響き。世界史選択者なら(でなくても)誰しもが、第一次世界大戦を引き起こす事件が起きたこの地の名前を聞き、「あの、サラエボ!」と思うでしょう。


A家と旅程を相談したとき、「モンテネグロ&クロアチアの海三昧」にするか、「モンテネグロ&ボスニア」の、頑張ってサラエボ訪問コースかで悩んだのですが、「サラエボ」、そして「ヨーロッパの火薬庫」というロマン溢れる響きに勝てず、後者になりました。
ちなみに1ミリも後悔していません。



さあさあ、夢のサラエボ事件が起きたラテン橋に行きますよ!


感想、思ったより小さい!!



この橋の上で、オーストリア=ハンガリー帝国の王位継承権を持つ、フランツ・フェルディナンドとその妻が、ボスニア系セルビア人の青年に暗殺され、ゆくゆくは第一次世界大戦へと発展していったわけです。


改めて、オーストリア=ハンガリー帝国の領土の大きさに驚きますね。こんなところまで、オーストリア&ハンガリーだったの!?と言いたくなります。
(ご参考までに、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の領土を示す地図はこちら。)


うーん、修理中なせいか、思ったより貧相(失礼)ですね…?橋の上はこんな感じ。



橋を渡ると、サラエボ事件の博物館があります。1部屋しかない、シンプルな博物館でした。



博物館の向かいには、旅行代理店があるのですが、かかげられているツアーがところどころダーク。
↓は「暗殺ツアー」と書いてあります。他にも、大虐殺のあったスレブレニツァへのツアー、ユーゴスラヴィア紛争時に使われていた地下壕の見学ツアーなんかもありました。



歩き進んでいくと、サラエボの旧市街に到着します。
早速ミナレットが見えてきて、たどり着いたのはモスク、ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャーミヤ。にぎわっています。


ボスニアでは何度も実感する事になるのですが、モスクと教会が点在しています。民族がモザイクのように入り乱れて暮らしていることがわかります。
これが、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるゆえんなのだと。


ここのモスク美しい!入場券を払えば、ムスリムでなくても内部を見学できますよ!



それから、こちらがサラエボ旧市街の名所、水のみ場のバシュチャルチャ。



旧市街は、想像以上に魅力的なお買い物スポットだった!!
こういうモチーフ大好きの私としては、あちらへフラフラ、こちらへフラフラ。


カーペット好きにはたまりませんね。ここでは買わないけどね。
 


イカしたお土産も売ってました。トートバッグ各種:暗殺されたフランツ・フェルディナンド(右上)と、暗殺者のプリンチプ(右下)の似顔絵入り(夫に買いました)、後日訪問予定のステチュツィの石碑に描かれた絵の柄(左上)、ボスニアで使われているキリル文字(今まで訪れたキリル文字使用国では見たことないやつがいる!)の柄(左下)などなど。おしゃれですね。



さあ、日もくれてきたところで夕飯です。
サラエボのビール、サライェブスカをいただきます。右の写真はあっさりとしたシチューのロナッチ。とても美味しかった。


それから、左がボスニアのファストフードともいえる、チェバ・プチチ。釜焼きパンに釜でグリルしたひき肉串とみじん切りタマネギを入れただけのシンプル料理だけど、美味しい!!
右はボスニア料理の盛り合わせだったけど、ドルマっぽいのとか、バターライスとか、キャベツの煮込みとか、トルコ料理を少し連想するようなお味でした。これもすごく美味しかった。



日もすっかりくれて、名所の水のみ場もライトアップ。暗くなっても混んでました。



ホテルへ戻る前に、旧市街の可愛いカフェで一服。


ボスニアコーヒーはあれです、まあトルココーヒーです。あまーいお菓子も一緒に。ロクムがついてくるあたりも、なんかもうトルコです。



落ち着いたところで、ライトアップされたラテン橋をみて、ホテルへ帰ります。




Mちゃんの選んでくれたホテル、かわいいのですよ!天蓋つきベッド!(乙女の夢!)



そして、何より楽しみにしていたのは、ホテルについているハマムです!最高でした。
女子二人(D氏は部屋で留守番)できゃーきゃー言いながら、泳ぎました。蛇口かわいい。


ハマムを出て気付いたのですが、ハマムの入口に建設年が書いてありました。


・・・・・・・1462!!!!


マジで!?


ホテル内には証拠として、ハマム跡を発掘した当時の写真が残っていて、それを元に再建したようです。さすがオスマン帝国の支配下にもあっただけあり、随分昔から、ハマム文化が根付いていたわけですね。


体も温まったところで、部屋へ戻り就寝。
なんたって明日もまた長くてエキサイティングな1日が待っているのですから!






バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~(このページ)
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~
バルカン旅行記④~(準備中)





↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[4回]

バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~

2017年10月06日

ついに夏休みー!!!

今回は、夫とは都合が合わなかったので、A家と夏休み計画を立てました。
(可哀想な夫。本当はこの企画を一番エンジョイしたかもしれないのに。)


行き先はモンテネグロ!そしてボスニア・ヘルツェゴビナ!
一生忘れない素敵な旅になりましたので、皆様にも両国を勧めるべく&記憶をとどめておくべく訪問記を書きます。



さー、モンテネグロ。どの辺でしょうか。皆さんご存知ですか?
 
最近日本人の間でめっちゃブームなクロアチア、の南です。
私にとっては、初めての旧ユーゴスラヴィア圏!わくわくです!!

夏の間だけでるシーズナル便(Wind Rose AirlineとOlympos Airlineのコードシェアという、どっちもどこそれ!!って感じのフライト!)で、キエフからたった2時間弱。


降り立ったのは、ティヴァト空港。LCCや旧CIS圏からのフライトを受け入れている、本当に小さな空港です。滑走路に直接下ろされて、徒歩でパスポートコントロールまで歩かされるのは久しぶりでございます。


さくさくっと空港を出て(日本人はビザいりません)、お迎えに来てくれた宿のイケメンお兄さんとすんなり合流、オンボロカーに乗って宿へ向かいます。

途中お兄さんが「スーパーに寄るけど、ビール好き?」と聞かれて、「??好き」と意味もわからず回答すると、早速モンテネグロビールをご馳走してくれました。


宿に着く前から飲めるなんて!笑(ちなみに渡された鍵には栓抜きのキーホルダーがついてた笑)



ティヴァト空港から車で15分程で、世界遺産の旧市街、コトルの街に到着です。

あわわ、まるでおとぎ話の世界。メルヘン。壁に囲まれた要塞型の街です。
入口は全部で3つあって、↓はその内の二つ(2枚目が正門?)。



私ゲームはしないんですが、なんとなくRPGゲームに出てきそうな雰囲気だなあと思ってしまいました。



お兄さん曰く「今日はコトルで一番大きなお祭りの日だから!花火あがるよ。」と。うそー!全く無計画できたけど、まさかのそんな日にぶちあたるとは。確かに街中がお祭りムードっぽい?



待ち合わせのA家は、明日夜到着。ということで、今晩は1人でぶらぶらコトルを散策します。
日が暮れてきて、要塞もライトアップが始まります。大音量で音楽も流れています。



やっぱり1人はちょっと寂しいなーと思いながら、海辺のバーで夕食取りながら飲んでいたら、オランダから来た夫婦と相席になり、おしゃべり。車を借りてバルカンを回っているんだって、羨ましい。




宿に戻って、のんびりしていると、何やら大きな音が聞こえてきました。
うあああああ、本当に花火!ちょっと重なってるけど、宿から見えました。べスポジ宿を調べてくれたA家にまたしても感謝である。(尚、A家は残念ながらこの花火はみれなかったのであった。前日入りした私ラッキー。)



花火と大音量のクラブミュージックを聴きながら、初日の私は眠りについたのでした。


***



翌朝早朝、6時半起床です。はい、相変わらずの朝型です。


早起きの目的はひとつ!暑くなる前に、ここへ向かうのだ!山の上の要塞!


旧市街の中に、要塞への道の入口が。冒険の序章みたい。



朝8時前ですが、私すでに汗だくなんですけどー?1.5Lペットボトルを抱えて1人もりもり登山。
でも、私は山のふもとで生まれた女なので、実は海より山派。

ぜえはあ言いながらのぼり、振り返るとそこには絶景が…!赤い屋根可愛い!




あー、素敵。

汗をだらだら流し、立ち止まっては景色に感動し、写真を撮ります。



要塞の石組み。




頂上まできました。まだ朝の8時過ぎだけど、太陽はギラギラ、汗はだくだくです。


一応なんか旗とか立ってた。




帰りは同じ道を下るのもつまらないなーと思っていたところ、こちらの方のブログで面白い記事があったので、「私もヤギさんに会いたい!!!」と思って、道を外れることにしました。
http://meetsourcetrip.com/post-8372/


道なき道を、えんやこらー。



ヤギの糞はあるのに、ヤギはいない…。うーむ。っていうか誰もいない…。



ヤギ!と思ったら違う。牛だった笑。後ろ失礼しまーす!





そして、漸くヤギ!
よく見ると、横の小さな看板にカフェと書いてある。疲れたし、立ち寄ってみます。



簡易カフェ、めっちゃ絶壁、めっちゃ絶景でした。慎重に私のコーヒーを運ぶおばちゃん。



コーヒーはトルココーヒーで1ユーロ。絶景を独り占め。最高でした。



グッバイ!ヤギ&絶景!帰り道にはロバもいたよ。




さてさて下山して、夜の合流まで時間があるから何をしようかなとぶらぶら。
せっかくビーチ徒歩5分だし、汗を流すのもかねて、泳いでみたり。
(水はめっちゃ冷たかったです。ぎえええ!って1人心の中で叫びながら入りました。分かち合う相手のいない1人ビーチは、さすがの私もちょっぴり寂しかったです。)

 

魚介を肴に一杯ビールをいただいたり。



あと、旧市街の中にある、海事博物館も訪問してみました。モンテネグロは海事国家だったので、船とかそういうのお好きな方にはとても楽しいと思います。
http://www.museummaritimum.com/eng/eng.htm




オスマン帝国や、イタリア、オーストリア・ハンガリー帝国、様々な強国の支配下となり、ユーゴスラビア連邦となった後、こうして今の独立したモンテネグロがあるわけですね。ゆえに、残された資料は多くの言語で記されていて、歴史を感じます。


創作意欲沸き立つ展示でした。



そんな感じで、1人大満喫です。(元々一人っ子&鍵っ子なので、1人で楽しむすべには長けていると自負しているのですが、ウクライナ赴任以降、そのスキルがどんどん磨かれている気がします!)



夜はようやくA家到着!彼らはポドゴリッツァ(首都!)空港から車でやってきました。
アパートは2ベッドルームだったのですが、私はこのお部屋を二人に残しておきました。(衝撃すぎて写真とっちゃった。)


たんすの上にはLOVE。家主さんの趣味…。





そんな感じで最初の夜&二日目終了です。
明日はモンテネグロを脱出します。



バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~(このページ)
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~





↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[5回]

バイコヴェ墓地散策とドニプロ川くだり

2017年09月26日
最近キエフも見つくしたかなあ…などと思っていたところ… 


カフェで素敵なキエフガイドブックを発見!


ウクライナ人による英語のガイドブックです。キエフのおしゃれカフェなんかに置いています。



すると、未訪問の面白そうな場所がある事に気付きました。


墓地!!


という訳で、お天気の良い週末に出かけます。1人だけど墓地!!
私は割りと墓地が好きなのですが、このバイコヴェ墓地は今まで訪れたことのないタイプの墓地でしたので、備忘録&共有がてら書き残します。

墓地の住所はBaikova St, 6です。


入口はこんな感じ。



進んでいくと、「あ…これは日本の墓地とは違う…」と一瞬で気付きます。


そう。銅像だらけなのです。

死ぬ前に、本人が指定するのか、遺族がデザインするのか、はたまたそのどちらもか、分かりませんが、興味深いですね。


年代が違うと銅像や墓石のスタイルも違います。

ソ連ぽさがにじみ出てたり。



頭かかえて作曲している作曲家がいたり。


この人は多分作家さんかな。大きな羽ペンが下に彫ってある。
緑と花に埋もれててすてきだ。



他にも、サッカーボールの形したモニュメントがついているお墓があったり、バレエシューズの絵が彫られている墓石があったり。大小さまざま。

ここに眠っている方々が、何を愛して、どんな人生を歩んだか、少しわかるような気がして、こういうお墓もいいなと思いました。

顔がわかると、孫とかひ孫とか、会えなかった子孫とかが、「ああ、こんな顔してたんですね」と親近感わくようなお墓ってよくないですか?



うんうん、久々に面白い開拓をした!お天気のよい日には楽しいお散歩となりました。






それから、もう一つ、キエフでやりたいけどやったことない観光がありました。

そう!夏のドニプロ川くだり!!


こちらは長らく改修工事が続いていた川の駅(っていうと上司に「それは港っていうんだろ」とたしなめられるのですが、ここばっかりは川の駅という表現が正しいと私は思っている)。
ついに工事も終わって、行ってみたいと思ってたのです。

メトロ駅だと、Poshtova Ploshchaが最寄です。


川の駅のソ連っぽい壁画。




ロンドンから来た友人が「付き合うよ~」と言ってくれたので、いざ乗船!

いくつかコースがありますが、大体1時間くらいのものが多いです。1時間だと100グリ(400円強)くらい。


我らの乗る船はこちら。
 



簡易椅子とテーブルが置いてあって、店内はゆるいウクライナポップスがかかっています。



働く女子の苦難と楽しみ、行ってよかった旅先、これから行きたい旅先、恋バナ等々の女子トークに花を咲かせながら、クルーズ。


キエフ名物のペチェルスカ修道院のキラキラタマネギ頭と、祖国の母像が見えます。
「ちょっと!手前で釣りしてる人裸じゃない!?」と思わず凝視する我ら。


おだやかに流れる時。



ビーチにはちらほら人が(暑い日だったので)。ドニプロ川で泳ぐ人は割りといます。



すれ違いざまの船に乗った人が手を振ってくれます。



なかなか快適で優雅な1時間でした。






それから、久々に欧州一深いというキエフメトロのアルセナルナ駅の探検もしました!




トークンを購入。



ちなみに値上がりしていた。私が来たばかりの頃は2グリ(当時約10円)だったよ…。



エスカレーターが高速すぎて、乗る時息を止めて飛び乗るほどです。怖い笑。


しかも冷戦時代にはシェルターとして使われていたので、ものすごく深い。
一体どのくらいエスカレーターに乗っているのだろうと思って携帯のストップウォッチで計ったら、5分も乗ってた笑。


この駅は薄暗いけど、駅によってはシャンデリアとかあって、ゴージャス。


愛国カラーのキエフメトロ。


最近あまり乗ってないけど、楽しかったです。もはやアトラクション笑。
ぜひ皆さんもキエフに来たら、高速エスカレーター体験してみてください。




キエフの地下鉄については、過去何度か取り上げているので、気になる方はどうぞ:
キエフの地下鉄 / 地下鉄(4コマ) / 違和感の正体(4コマ)




<<拍手のお返事>>
>Donan様
有難う御座います。キエフの素敵なところをお伝えできるよう引続き頑張ります!

>N子
やはり。今年は積極的に消費する戦略で行こうと思うよ…。
じゃないと調味料類はほんと無理。お好みソース何本あるのか笑。








↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[11回]

在庫管理が下手な話

2017年09月21日



これ、私だけではないというのは、いろんな人と話してわかりました笑。
完全に過剰在庫なんですけど、「なくなってもすぐ買えない」という恐怖感が、どうにも消費する事を妨げて、たまっていくという…。

私の食材の山を見て、母はびっくりしてました笑。


他の駐在員と話した時に「うちは●●だけやたらある」「うちは××が多い」みたいな、特定の食材のパイプラインコントロールがうまくいっていないことが多いと判明したので、今度互いの過剰在庫を持ち合って、交換する会を設けたらいいのではないかという結論にいたりました。
物物交換会楽しそう。






↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[5回]

 | HOME | 次のページ »