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オランダ訪問記~やっぱりチューリップ!キューケンホフ公園&アムステルダム&おまけ~

2017年06月14日
さて、4/17はイースター休暇ということで、3連休!
母君と計画を練り、オランダはアムステルダムにゆく事にしました。土曜の朝にスキポール空港集合です!(母はパリから飛んできます。)
キエフからは飛行機で2時間50分、直行便が飛んでいます。


しかーし。
母のフライトがいきなり3時間ディレイ!手持ち無沙汰な私めは、スケジュール変更を決め、一人で空港で予約したレンタカーをピックし、ある場所へと向かいます…。



アムステルダムから車で1時間弱!着いた場所はユトレヒト!
うわあああー、なんて可愛い街なのでしょうか。うっとり。


ユトレヒトに来たのは、この場所が、ズバリ!ディック・ブルーナの生地だからです。
ミッフィーちゃん(うさこちゃん)の作者、と言えば分かる方も多いのではないでしょうか。

ミッフィー博物館
http://nijntjemuseum.nl/?lang=en



しかし、ミッフィー博物館は、子供向けのようで、博物館前にはぎっしりとベビーカーが停められています。もしかして、アラサー子ども無しの私が1人で行って楽しむ場所ではないのかも…?
ということで、諦めて(本当は入替制で混雑していたので諦めただけ)、代わりに向かいにあるユトレヒトのセントラル・ミュージアムで、「ディック・ブルーナの仕事展」を回ることにしました。
http://centraalmuseum.nl/en/



この限られた線と色での表現力。やはり素晴らしいです。
 


美術館のお庭が素敵・・・!とぶらぶらしていると、謎のミッフィーの置物発見。写真はわかりにくいですが、全面顔になってて、トーテムポールみたいで、ほんと謎でした。可愛いけど。


ちなみに、母(フランス人)曰く、「ミッフィーなんて日本来るまで知らなかった。日本人はみんな知っててビックリした」とのことで、知名度は国によってばらつきがある模様。
確かに向かいの博物館に吸い込まれていくのは主に日本人と韓国人、中国人に見えました。アジアで人気があるのだろうか。

ミッフィー博物館については、こちらの方のブログが詳しいので雰囲気等知りたい方はどうぞ↓
http://mooieiland.com/miffy-museum/



そろそろ母が着陸する頃では?という事で、再び空港に向かいます。
トヨタのYaris(日本名はVitz)を予約したのに、何故かメルセデスのCクラスが出てきたので、道中は大変快適!母をピックし、再び走り出します。


向かう先は!!念願の!キューケンホフ公園!!!わっほーい!
https://keukenhof.nl/en/

人・人・人!ですが、敷地も広大なので、どんどん人を吸収していきます。
ベタな風車!美しい!



遠くでチューリップ畑を管理するおじさんが歩いているのが見えます。



言葉は不要だと思うので、ただ、美しいチューリップの写真をおいときますね。
あ、チューリップ以外も色々ありますからね。




 

 

携帯のカメラロールも花だらけになりました。へっへっへ。



ここで学んだのは、チューリップはトルコから導入されたもので、Tulpan=ターバンという単語からきているそうです。ターバンと形が似ているから。おもしろーい!




帰りは、ちらりとハーグに寄ります。
そう、ハーグといえば「国際刑事裁判所」です。(すみません、国際法専攻だったもので…)
夫が講義の素材に使ってくれるかな?と思い、内助(あんまり内側にいないけど)の功を目指し、写真をパシャリ。


意外とモダンな感じの建物なんですね~。
 




それから、夕食はバーでオランダビールを1杯飲む。オランダでビールといえば、ハイネケンなんですけども、ハイネケンは世界中で飲めるし、ということで、違う銘柄を選びます。
こちらはGrolsch(Websiteは年齢入力させられるよ!徹底してるなー)。飲みやすいです。



そのあとは、素敵なシーサイドレストランで食事を頂きました。
http://goudenreael.nl/en/
旬の白アスパラが食べられて、最高にHAPPYです。前菜もメインもワインも何もかも美味しかったです。(アムス在住の方や、元駐在員に色んなお店を教えてもらったのに、ほぼ予約がとれず、なんとかたどりついたお店がここだったのですが、大成功でした。)



翌日はアムステルダムをぷらぷら。アムステルダム、歩いてるだけで素敵です。
 

たまに馬車が走ったり。



朝食は、「パンケーキ」がお勧めと聞いて、パンケーキ専門店へ。
http://www.pancakes.amsterdam/


日本で言うパンケーキ、よりは薄く、クレープよりは分厚い感じ?一番ベーシックなのは、ベーコン入りの塩っけのあるパンケーキか、バターとシナモンの甘いパンケーキか、のようです。
いずれにせよ、とってもお腹にたまりますね。



腹ごしらえもできたところで、美術館めぐりです!

しかーし、有名どころのゴッホ美術館は最低3時間待ち…(入場券の事前購入をお勧めします。が、我々はイースターの人ごみで、ネットでの事前購入すら叶わなかったという)、おおお、並びたくない…却下。

次の有名どころ、アンネ・フランクの家、ひええー!長蛇の列が1キロくらいできている…(ここも入場券の事前購入ができます。我々は…以下略)、ううう、これも却下です。


そういうわけで、国立美術館へ。朝一番で来たら、すんなりチケット買えました。
https://www.rijksmuseum.nl/jp/general-information-japanese



そう、ここには、あの名作があります!レンブラントの「夜警」!!すごい人でした。

解説カードも置いてあって、実ははじっこで顔が半分見えているのはレンブラント本人だとか、光と影をどのように強調しているかとか、説明を読みながら、じっくりと絵を鑑賞することができます。

それからもう一作、誰もが知っているフェルメールの「牛乳を注ぐ女」もあるはずだったのですが、不運なことに、パリにお出かけ中でした…。ノー!今回は美術館運がないですな…。
(ちなみに「真珠の耳飾の少女」はハーグにあるよ!)


見学を終えて出る頃には、この国立美術館も長蛇の列が…。
そう、初めて知ったのですが、オランダの人口密度、ヨーロッパで(マルタ等の島国を除いて)一番なんですよ。日本より人口密度ランキング上位なんですよ!オランダは18位、日本は25位だそうです。これは驚きました。
出典:世界経済のネタ帳


雨が降ってきたので、おしゃれなお庭のカフェで一服。
http://eatwelldogood.nl/

オランダはシナモンの効いたアップルパイが有名だそうで。今まで食べたアップルパイの中で一番シナモンのパンチが効いていました。これも、ひとえにスパイス王国インドネシアを植民地としていたオランダだからこそだなあ、と母と舌鼓。




そして結局、人ごみに流された結果、夫も居ないのにレジスタンス博物館に来てしまいました…チーン。笑。


オランダレジスタンス博物館
https://www.verzetsmuseum.org/museum/nl/museum

博物館自体も、とてもよく出来てました。
ナチスドイツに占領されたオランダが、徐々に締め付けられていく様子を、市民の生活という視点から展示していました。



一番ぞっとしたのは、ユダヤ人の権利が段階的に、しかしながら急激に制限されていくさま。
公共市場への立ち入り禁止から、あっという間に公立学校の登校禁止、パスポートへ"JEWISH"の”J"スタンプ押印、そしてダビデの星の着用、強制移送へと進んでいきます。時系列に展示された写真や当時の日用品等をみる内に、本当に心の芯から冷えました。


それから、すごく面白い企画展をやっていました。戦時中の限られた当事の流通網で入手できた食材だけを使って、5人の有名シェフたちが、それぞれ与えられたお題に沿って料理をする!というもの。(1940年に入手できる食材で、伝統的なオランダ料理を作る、等々。1人ずつ違う。)
どうやら実際に料理するイベントもあったようですが、当方が訪問した日は展示のみでした。


さほど大きい博物館ではないですが、私のように有名どころの博物館にフラれた方は、訪れてみてはどうでしょうか?


そんなこんなのアムステルダム3日間でした。メインを見てなさすぎなので、また遊びに行きます!次はすいてる時にね!







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イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~

2017年06月08日
大変時間がかかりましたが、イスラエル旅行記、今回でラストです。また文字が多いです。
(すでにイスラエル以外に2件も旅行記のペンディングを抱えております。まずいです。)


今回の旅で一番印象に残った存在がユダヤ人というアイデンティティ。

実は私の血の繋がらない叔母がユダヤ人だったりします。
身近なようでいて、全く知識に欠けていた、この文化について、自分の備忘録もかねて、学んだ事、思った事を書き残していきたいと思います。


イスラエルにおけるユダヤ人の割合は8割弱だそうです。どこの宗教もそうですが、沢山いれば、信仰のあり方も多様です。Wikipediaによれば、イスラエルにおけるユダヤ人の20%は厳格に信仰する人々、ある程度自由にとらえながら信仰する人々が60%、あまり守らない人が20%だそうです。

叔母なんかは、「ユダヤを宗教ととらえる人もいれば、ユダヤはただの文化だととらえる人もいるわ」とのことでした。叔母は文化寄りですね。

テルアビブには至るところにシナゴーグが。



枝の分かれた燭台。どれもメノーラーというのかと思っていたら、7つに分かれているものだけがメノーラーで、8つか9つに分かれているのはハヌッキーヤーというそうです。学んだ。
と言うわけでこれはハヌッキーヤー。
 


町のいたるところに、正統派の服(黒い帽子、黒いスーツ、伸ばしたひげ)を着た人がちらほら。



と言うわけで、ユダヤをもっと学ぼう!と思い、テルアビブでは、ディアスポラ博物館を訪問しました。きっとO家は興味ないし申し訳ないな、と思ったので、ぱぱっと単独行動です!

博物館は、テルアビブ大学のキャンパス内にあります。
http://www.bh.org.il/



やしの木生えてて、いいですねー。こんな大学に留学してみたかった。
この奥の建物がディアスポラ博物館です。


「ディアスポラ」とは元の住む場所を離れて暮らす人々や、そのように離散することそのものを指します。またしてもWikipediaを引いてみると、"Diaspora"と接頭を大文字で書く場合は、離散して暮らすユダヤ人を指すとのことです。("diaspora"と書く場合は、それ以外の民族も含む。思い浮かぶのはアルメニア人のディアスポラ・コミュニティなんかでしょうか。)


ユダヤ人には、古代エジプトで奴隷となり、モーセに率いられて出エジプトしてから、今に至るまで、迫害され続け、故郷を捜し求め続ける、長い長い数千年に渡るディアスポラの歴史があります。


建物に入って、最初のコーナーは”ボブ・ディラン”コーナー、ユダヤ人だったんですねー!
ディランについての展示区画は素敵な空間でした。BGMは勿論ディラン。



こちらの大きな石像は、古代ローマの凱旋門の復元だそう。ユダヤ人達が働かされている様子が描かれている。(写真だと規模感伝わりませんが、大きくて圧巻です。)
 

展示内容としては、ユダヤ人の古代から今までの歴史、世界各地のシナゴーグの紹介やユダヤ人の習慣・コミュニティ・美術等、様々な観点からユダヤ文化を網羅しています。

美しいですね~!



歴史コーナーは、カナンの地を離れた古代エジプトあたりから始まります。紀元前17世紀?
照明が落とされていて、全体的に暗くて怖いです(私が1人だったというのもある…)。


ばっちりと、ウクライナのコサックがユダヤ人に対して行っていた暴虐(東欧やロシアでのユダヤ人迫害は「ポグロム」と呼ばれます)についても取り上げられていますね。



ユダヤ人はどんな顔をしていると思う?という視覚的な展示。
真っ暗な中、沢山の画面に沢山のユダヤ人の顔が、老若男女、入れ替わりながら表示される。これを見ると、一概に「ユダヤ人」と言っても、人種的には本当に多岐に渡るのだと実感します。



時間がないので、かなり駆け足で回りましたが、博物館は巨大で、充実した展示でした。
また時間のある時に、ゆっくりと見直したいなーと思う次第。




それから、エルサレムでは「メア・シェアリーム」という超正統派の人が多く住む地区を車で通過しました。イスラエルに来て、聖地めぐりも勿論印象的だったのですが、この超正統派と呼ばれる人々があまりにも強烈なインパクトを残していきました。
早速黒い衣装をまとった人が。
 


この超正統派の人々、日々ユダヤの教えに忠実に暮らし、多くの人が労働せず、税金もおさめず、兵役にもついていません(=生活保護で暮らしている)。

ガイドさんによれば、彼らが労働や兵役をまぬかれてきたのは、ひとえに、「ここまで迫害されてきたユダヤの教えを、今まで守ってこれたのは、超正統派の人達がかたくなに習慣を守ってきてくれたからであり、彼らに敬意を払い、免除している」からなのだそう。

しかしながら、敬虔な超正統派と、ユダヤはただの文化、とみなす寛容派の間には、深い溝があります。税金や兵役を免除されている超正統派の人々の生活が成り立つのは、まさに寛容派が沢山の税金を払い(イスラエルはとても税金が高いです!ウクライナの物価と比べてしまっている事を差し引いても、めちゃくちゃ物価高い!)、兵役につき(イスラエルが敵国に囲まれている小さな国である事を忘れてはいけません)、超正統派の人々の義務分をカバーしているからなんですよね。



しかしながら、寛容派の人々が「お前たちが日々祈って暮らせるのは、我々が税金を払い、働き、兵役について国を守っているからだぞ」と言ったところで、超正統派の人達は「何を言っているんだ、お前たちが日々暮らしていられるのは、我々が毎日神に祈っているからだ」と、返すのみ。

わかるでしょうか。この強烈にかみ合わない、全く平行線の議論なのです。

「同じイスラエル人、同じユダヤ人というアイデンティティのはずなのに、全く分かり合えない人々が一つの国で暮らしているのよ」と言うガイドさんの言葉が、心に残りました。


しかしながら、鼠算的に増えていく(避妊が禁じられている)超正統派の人々の存在が、どんどんとイスラエルの国家財政を圧迫し始め、ついに超正統派への兵役を義務付ける法案が、(超正統派からの)大反対を受けながらも採決されたそうです。イスラエル軍は沢山の多国籍傭兵を雇っており、このお給料が馬鹿にならないとのこと。彼らをより安価な給与で済む自国民に置き換えたい、ということですね。

果たして、この国はどうなっていくのでしょう…。
 



漠然とした不安な気持ちになったところで、ガイドさんが教えてくれた面白い話を一つ。
超正統派のユダヤ人たちは、モーセの十戒の教えの一つの「汝姦淫すべからず」という教えの元、女性は肌の露出をしてはいけないし、男性は女性と目を合わせることも避ける、何より夫婦は月に1度しか性行為をしてはいけないルールになっていると。

!!??

びっくりしますよね。その月1回も、その月の生理が終わった後にくる最初の安息日(土曜日)にシナゴーグへ行き、体を清めた後(お風呂みたいな場所があるそうで)、性行為をする、と決まっているそうです。

友人が「わー、排卵日近辺。すごい。」と言ったので、あ、確かに!だから、月1回なのに、超正統派の方々はこんなに子沢山なのね…と。(でも逆に合わない人はとことん合わないのでは…?)

しかも行為時に相手の裸を見てはいけないから、間にシーツをはさんで、肝心の場所にだけ穴をあけておく、そういうシーツも売っているらしい、という、ここだけの話も教えてくれました…。
ほんとかな?もはや一種のプレイ…。戸惑う我々…。


そうしたら、ガイドさん更に驚く話を。
「少し前にテルアビブの売春宿のインタビューが放映されて、そこのお姉さんたちが語るには、宿にやってくる客の多くは超正統派の男性だったそう」と!


ちょっと!!モーセの教え!!全然守れてない!!


まあ、そうですよね。月1回って、ね。辛い人は辛いかもですよね。でもまあ、ねえ…。
(ガイドさんは「それを知るまでは、超正統派の人達って、なんてストイックなのかしら、とちょっと尊敬の気持ちのかけらがあったけれど、それを知ってリスペクトの気持ちは吹っ飛んだ」との事。笑。)



長々と下ネタを書いてしまいました。閑話休題。




とまあ、ラストがこんな話題になっちゃいましたが、イスラエル訪問記終了です。
ありとあらゆるものが混ざった、面白い国でした。


ユダヤ関連で私が今回行きそびれて大変後悔しているのが、「ヤド・バシェム」です。ここは、ホロコーストの犠牲者を追悼する為に作られた、イスラエルの国立博物館です。
http://www.yadvashem.org/

有名なのは、ホロコーストの犠牲者達の名前と写真が一面に貼り付けられた塔、「名前の広間」(Wikipediaの写真へリンク)。いつか訪れてみたいものです。気持ちが落ち込むことは間違いないですが…。


次回はぜひとも夫も一緒に、イスラエルを再訪した際に訪れたいなーと思います。

おわり。



◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~(このページ)



<<拍手のお返事>>
>Yさま
お返事遅くなりました。ウクライナに仲間が増えるのは、喜ばしいことです!
ブログでピンポイントにご質問にお答えするのは難しいかもしれませんので、気になることがあれば、拍手でメールアドレスをご連絡ください。お返事させて頂きます。






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イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~

2017年05月25日
さて、またイスラエル訪問記に戻って、その③です。

今回はエルサレム旧市街の中の、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のそれぞれの聖地と、パレスチナ自治区にある、イエス生誕の地、ベツレヘム訪問について書きたいと思います。

スローモーでどうもすみません。


旧市街を進むと、「ユダヤ人地区」の案内板が。前回も書きましたが、エルサレムの旧市街は4つに分かれています。アルメニア人地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区そしてムスリム地区。今歩いているのは、ユダヤ人地区ということですね。
 


下り道を進むと、黄金色の丸いモスク(ムスリム第三の聖地、岩のドーム)の屋根が見えてきます。



今回の旅の一番の目的と言っても過言ではない、念願のユダヤ人の聖地「嘆きの壁」が見えてきます。英語ではシンプルにWestern Wallというんですね。なんだか不思議。(日本は「嘆きの壁」、フランスなんかも"Mur des Lamentations"と呼び、嘆くニュアンスが入っているのですが。)



日本の神社の様に、手を清めてから、祈りにいきます。



男女別に別れていますので、私は女性側へ。



男性側で撮ってもらった写真はこちら(Hさん深謝!)

本当に「嘆いて」います。涙をこぼしている人もいました。
彼らは何を嘆いているのか?それは、「まだ見ぬ真のイスラエル」を思って。
現在の国連決議によって作り出されたイスラエルは、ディアスポラを経て、長く長く真の故郷を追い求める超正統派の方々にとっては、「本当のイスラエル」ではないんですね。


親子で祈る姿も。




さて。ユダヤ教徒の聖地、嘆きの壁を離れて、次はキリスト教徒の聖地へ向かいます。
途中、ラテン語で「苦難の道」を意味する「ヴィア・ドロローサ」という、小道を通ります。この小道、イエスが十字架を背負い、処刑されるゴルゴダの丘へ向かう道とされています。
尚、「ゴルゴダ」とは、ヘブライ語で「頭蓋骨」を意味するのだとか。


このヴィア・ドロローサには、始点と終点を含めると、14箇所の留(りゅう/ガイドさんは”ステーション”と呼んでいた)と呼ばれる中継地点があります。それぞれの留にはストーリーがあって、例えば「イエスが十字架の重みに耐えかねて、膝をついた場所」であるとか、「処刑間近で市民から虐げられながら、小道を歩いたイエスに信心深い市民がこっそりと手を差し伸べた場所」であるとか。
沢山の巡礼者が、イエスの歩いたとされるこの道を辿って歩いていきます。
我々も、ヴィア・ドロローサの途中から、終点である正墳墓教会まで歩いてみることにします。


脱線して、ヴィア・ドロローサの道中のお土産屋さんで見つけたTシャツ、面白いのもあれば、なかなかシニカルなものも…。



ちなみに素敵なパン屋さんも見かけました。頭にのっけて運んでる。こんな穴のあいたパン、中東は色々行きましたが、初めてみました!



また、途中、ムスリムの聖地である、岩のドームもあるのですが、残念ながらムスリムでないと中に入れないということで、遠目から見るのみで終わってしまいました。


脱線から戻ってきて。
留にはそれぞれローマ数字でいくつめの留なのかが示されています。例えば↓の二つは左の留がVI(6つめ)、右がVII(7つめ)ですね。各留で、賛美歌を歌っている巡礼者のグループもちらほら見かけました。




ゆるやかな坂道を登り続けると、さあ、イエスの墓の上に建てられたとされる、クリスチャンの聖地、正墳墓教会へ到着です。この教会は、カトリック教会・東方正教会・アルメニア使徒教会・コプト正教会・シリア正教会等の共同管理になっています。正教会では「復活教会」とも呼ばれるようです。


ここで規模的には大きくないアルメニア教会が出てくるのは、やはり世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国だからでしょうね。アルメニア旅行で学んだ事がここで生きました!笑(アルメニア旅行記のリンクはオマケでこのページの下部に載せておきますね)。

教会内では、沢山の壁画が、イエスの死の前後を描いています。



イエスが十字に架けられ、息を引き取ったとされる場所には、ギリシャ正教の祭壇があり、信者たちが、長い列を作っています。何故なのかと思ったら、祭壇の下は岩肌になっていて、十字架が立っていた場所に直接触る事ができるからなのでした。



この真ん中の大きな石は、十字架からおろされたイエスを横たわらせ、その聖骸に香油を塗ったたとされています。信者たちが悼み、嘆きながらこの石にふれる姿が。
ちなみに今も毎日香油がふりかけられていて、近づくとほんのり香ります。



順路を進むと、ひときわ天井の高い空間に出ます。
そして、その空間の真ん中には、なにやらまた聖堂の様な小さな建物が。

これがヴィア・ドロローサの最終点、最後の留、イエスの墓である復活聖堂・アナスタシスです。私が訪問した時は、修復作業中だったので、ちょっと見た目が悪いですが。ここもものすごい列です。


また、教会内部には、聖地エルサレムをムスリムから奪還するために派遣された十字軍の戦士たちが残した十字架の痕がいたるところに。征服に成功した事を記念して、みんな刻んでいったのでしょうね。歴史を感じて、指でふれてみました。



この教会、クリスチャンの聖地であるゆえに、各宗派の派閥争いがすごいらしく、教会内はきっちりとそれぞれの宗派の管理区画が定められているのだそう。確かに、部屋毎で全然内装やら雰囲気が違うのはそういうことなんですね。

教会内の重要な場所(墓とか十字架建ってた場所とか)は、権力の強い宗派が管理しているのだそうで…。こんな場所だけど、どろどろしている…笑。


また、管理にも細かなルールがあり、基本的に各宗派の判断で行う変更や修理の類は、全宗派の合意を取得しない限り、一切許されないとのこと。たとえ壊れても…。
"STATUS QUO(現状維持)”っていうラテン語のフレーズを聞いた事のある方は多いと思いますが、ここから来ているんですね。
さすがに火事が起きた状態のままにされている椅子の置かれた部屋↓を見て、複雑な気持ちに。
 

その上、建物の2階には、中途半端にかけられたはしごが。これはあまりお金のないアルメニア教会が、自家栽培で野菜をつくっている場所へ向かう道へのはしごなのですが、STATUS QUOの号令が突然かけられた為、はしごをはずす事さえも、全宗派の合意がないと、かなわないんですって。うーん、すごい世界。)
↓話題のはしごは写真の右上の窓のすぐ下にかけられています。

それから、正墳墓教会で面白かったエピソード。
教会の扉は毎朝晩、内側と外側から鍵を施錠・解錠するのですが、内側は各宗派が順番で担当、外側の鍵は近くに住むムスリムの家族が持っていて、世襲で毎日この扉の開閉を請け負っているのだそう!↑写真の左下の扉が、その扉です。
 
いくら他宗派に鍵を渡したくないからって、クリスチャンですらない、ムスリムに頼むって、なんて面白いんだろう、と思ってしまいました。
そして、エルサレムの日常では、ユダヤ人も、クリスチャンも、ムスリムも穏やかに仲良く暮らしているんですね。




長々と書きましたが、聖墳墓教会はこの辺で。
次はエルサレムを離れ、パレスチナ自治区へ向かいます。地区内に入って見つけた壁画。パレスチナ自治政府の旗ですね。至って平和な雰囲気でした。
 



パレスチナに来たのは、ベツレヘム、そう、聖母マリアがイエスを生んだ伝説の地とされる場所に建てられた、生誕教会を訪問するためです!こちらも世界遺産。(Wikipediaには降誕教会とあり、こちらが正式名称なのかも?)


中に入っていくと、薄暗い地下へ進む小さな階段にまたしても長蛇の列が。


階段を降りて地下の空間に入ります。この星↓の上でイエスは生まれたと言われています。
 

灯されたろうそくが、なんだか幻想的。巡礼者で一杯で、イエスの生誕を祝う賛美歌を合唱するグループもおり、教会の中は、厳かだけれどとても温かい雰囲気でした。


教会の外に出ると、キリストの生誕を再現したプレゼピオが。(プレゼピオはキリスト教圏でクリスマスによくみられる、あのジオラマみたいなやつのことです。)
 

この降誕教会は、真向かいにモスクがあり、共存する複数の宗教的施設の存在に、なんだかとても不思議な気持ちになりました。



そしてパレスチナを離れる前にもう一箇所…。
ヨルダンとの分離壁もみてきました。物々しい雰囲気の壁、セキュリティカメラ、有刺鉄線。


壁には絵が。バンクシーはみれなかったけどね!
パレスチナの旗を持つ女性が、銃を向けられていますね。


ベルリンでは壁が崩壊し、パレスチナでは壁が建設される。
どこかで壁がなくなり、どこかでまた新たな壁ができる。

「エルサレム」という名前は、「平和のあるところ」を意味する言葉なのだとか。
壁のない、自由な世界が来る日は、そしてエルサレムがその名を体現する場所となる日は、はたしてやってくるのでしょうか…。そんな事をしみじみ考えたパレスチナ自治区訪問でした。


さて、また文字数多めになってしまった今回の記事はこの辺で終わり。
今回の旅行記、あと1記事だけ書く予定です。奥深きユダヤの世界について。


◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~(この記事)
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~


<<拍手のお返事>>
>N子
私も、今なら社食のカレーですら美味しさのあまりほっぺが落ちる確信がある。



おまけ!本文でふれた、世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国、アルメニア。
◆アルメニア旅行記
アルメニア旅行記①〜エチミアジンの世界遺産群〜
アルメニア旅行記②〜イェレヴァンあれこれ〜
アルメニア旅行記③〜アララト工場〜
アルメニア訪問記④〜もう一つの世界遺産〜
アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜






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何でもないような事が幸せだったと思う

2017年05月20日
イスラエル旅行記を再び中断して。(すみません・・・)





日本に帰ると、もちろんお寿司とかもうれしいんだけど、コンビニスイーツとか、ココイチのカレーとか、はなまるうどんとか、そういうなんでもないものが、めちゃくちゃうれしく、おいしく感じるんですよね。

あの時憐みの目で見てごめんね、先輩!今は痛いほど気持ちがわかる!





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イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~

2017年05月12日
まずい、書くのを怠っている内に、どんどん記憶が曖昧に…。
次の旅にも出てしまったし…あわあわ。



さて、イスラエル旅行記、続いて念願のエルサレムへ。
歴史的背景や宗教的な知識含め、しっかりと理解したい、ということで、O家が探してくれた日本人ガイドさんと合流して、テルアビブから日帰りエルサレムツアーへ。


遠くに見えるのはヨルダン国境。



オリーブ山から見える、エルサレムの旧市街。金色の屋根は、イスラム教の聖地、岩のドーム。


オリーブ山の周りには、ユダヤ人のお墓がたくさん。
これは、旧約聖書によると、オリーブ山が、神が最後の審判の日に、死者を蘇らせた場所であると記述されているから、なんですね。

ガイドさんに教えてもらったのは、このお墓、全てエルサレムに足を向ける形で人々が埋葬されているということ。これは、復活の日が来た時に、むくりと起き上がって、そのままエルサレムに向かう事が出来る様に、ということらしいです。


そして、もう一つ印象的だったのが、オリーブの丘から見える、エルサレム旧市街を囲む壁の手前にもあるお墓。写真だとわかりにくいんですが、このへんもお墓なんです。
 
このお墓ゾーンは、ムスリム達のお墓であるとのこと。そして、これらのお墓は皆、オリーブの丘に足を向ける形で、人々が埋葬されています。これは、復活の日を迎えたユダヤ人達が、オリーブの丘を下って来た際に、彼らも復活して、ユダヤ人達がエルサレムに入ってくるのを防ぐ為、なのだそう。
これを聞いたとき、確執の根深さを思い知らされたのでした。


続いて、オリーブの丘をゆるやかに下って、ゲッセマネの園にやってきました。


ゲッセマネ、とはヘブライ語で「オリーブを絞るところ」という意味だそうです。
生前のイエスが好み、1人でよく訪れていたとされる場所です。
 
この場所で、イエスは最後の晩餐の後、祈りを捧げ、裏切り者のユダによって捕まえられたとされています。


こちらが樹齢6000年と言われるオリーブの木。もし本当ならば、イエスを見た、唯一の生き証人ですね。

オリーブは三度絞られ、最初に絞られた純粋な油は、神への捧げものとして、2度目に力を込めて絞った油は人々の生きる糧として料理に、3度目の種をも砕くほど強く搾り出した油は、ランプに使っていたのだそう。
これが、イエスが処刑される前夜に最後に行ったゲッセマネの祈りー3度の祈り、(1度目は軽く、二度目は力を込めて、3度目は魂が砕けそうなほど自身の全てを込めて)とリンクしているのだとか。


こちらがゲッセマネの隣にある、万国民の教会。その名前だけあって、万国民の教会は、信者でなくても入れるし、他の宗教を信仰していても入れるのだそう。


最後の晩餐のあと、イエスが祈り続けた岩を取り囲むようにして建てられたのが、この教会。中に入ると、中央にイエスがひざをついたと言われる岩が。
パワースポットとも言われるということで、私も手をふれてみました。ひんやり。


教会内はイエスの苦しみを表現するために、暗く、おごそかな雰囲気になっています。





次にやってきたのは、当方念願の場所。シンドラーのお墓。
シンドラーの墓は、シオンの丘にあります。


こちらがシンドラーのお墓です。'OSKAR SCHINDLER"と刻まれているのが読めます。

オスカー・シンドラーは映画にもなったことがあるので、ご存知の方も多いかもしれませんが、ドイツで第二次世界大戦に起きたホロコーストの際、沢山のユダヤ人を自身の工場で働かせる事で、その命を救った実業家です。私はスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」という映画で知りました。

シンドラーは、クリスチャンのドイツ人でしたが、死後はユダヤの友の隣に葬って欲しいと、イスラエルでの埋葬を望んだそうです。(尚、この墓地はクリスチャンの方々のお墓です。)

このお墓で印象的だったエピソードを一つ。
お墓にはいくつもの小石が乗せられていますが、これはユダヤの習慣で、「あなたを思う私の気持ちは、この石の様に、固く変わることはありません」という意味なのだそうです。
シンドラーのお墓の上には、これでもかと石が乗せられています。これは、わざわざクリスチャン墓地にお礼参りに来るユダヤ人の多さを示しているんですね。



さて、次はダビデ王の墓へと向かいます。↓がダビデの銅像。
ダビデはソロモンの父、古代イスラエルの王です。

ガイドさんが、「ハープと王冠の組み合わせを見たら、十中八九ダビデ王なんですよ。」と、ダビデの見分け方を教えてくれました。
ちなみに、イスラエルでは毎年聖人の人気投票をしているらしく、このダビデとアブラハム(ノアの洪水後、最初の祝福を受けた預言者)が毎年首位争いのデッドヒートを繰り広げているそうです笑。

ダビデ王のお墓は、男女別の入口になっています。男性はキッパの着用が必須です(レンタルがあるので、その場で借りられます)。写真がブレブレですみません。


女性用の入口を進むと、中に大きな棺おけらしきものが。真ん中にはついたてがあり、男性側と分離されています。信心深いお姉さんが、とても真剣に祈りをささげているところでした。



その後訪問したのは、ダビデ王の墓の上にある、イエスの最後の晩餐が行われたとされる場所。

でもあまりにもあっけなかったので、大した写真を撮りませんでした。自分の馬鹿!
ダヴィンチの絵のイメージがありますが、ガイドさん曰く、当時の習慣を考慮すると、イエスや弟子たちは椅子とテーブルではなく、地べたに座って食事を取っていたと思われるそうです。



次に向かったのは、ようやく壁に囲まれた旧市街の中。
旧市街は4つの地区(アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区、ムスリム地区)に分かれており、取り囲む城壁には、現在7つの門があります。我々はその内の、1540年に作られたという、「シオン門」から入ります。

わかりますか?入口の周りはでこぼこの穴でいっぱい。これは全て銃撃のあとです。
1967年まで、このシオン門がヨルダンとの国境線だったのです。

門の横では、兵士たちが座って休憩中でした。





さて、まだまだ続きますが、長くなってきましたので、門をくぐった続きは、一旦記事を区切って次回と致します!



◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~(この記事)
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~






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