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2024年03月19日
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バビ・ヤールの悲劇から75年

2016年10月05日
以前も、1941年に起こったナチスドイツによるユダヤ人虐殺「バビ・ヤールの悲劇」について書きました。その記事はこちら

悲劇から今年で75年。
先週、キエフ郊外のバビ・ヤールでは記念式典が開催され、各国首脳や高官が出席しました。

式典当日はさすがに行けないのでその前に公園を友人と再訪。
前回も訪れた記念像。これは76年に作られたものです。


そしてこれまで見たことのなかった記念碑も見て回りました。


メノーラ型の記念碑。イスラエルの国旗が被せられています。


イスラエルの首脳も記念式典のため、ウクライナを公式訪問(シモン・ペレス元首相の急死で、途中で切り上げたようですが)。それゆえ、キエフの目抜き通りには、ウクライナとイスラエルの国旗が並べて飾られていました。



公園内には「悲しみの道」があり、そこを辿っていくと様々な記念碑にあたります。



犠牲になった子どもたちの記念碑。



犠牲になったロマ人の記念碑。輸送につかわれた列車のかたちをしています。
 

そしてこの週は、文化イベントや学術イベントも同時に開催されました。


一日だけ、学術イベントに参加。会議では『民族浄化のヨーロッパ史』のノーマン・ナイマーク先生や、『ブラックアース』のティモシー・スナイダー先生の話が聞けるということ参加しましたが、告知されていた会場が異なりスナイダー先生の話は聞けず残念でした。「いま」の問題としてバビ・ヤールを振り返るという講演内容だったようです。

そして会場ではバビ・ヤールの展示も。


記念館はないので、これから作る計画があるようですが、なかなか資金が集まらないという話を聞きました。

最後に、ウクライナとユダヤ人に関する本、そしてバビ・ヤールに関する最新の学術本を記念に購入。しっかり勉強したいと思います。




拍手のお返事(遅くなってごめんなさい)
>K様
まだガリバーができる前でしたか笑。今は随分立派ですよ。地下に24時間営業の
巨大スーパーも入ってますし。建設中のモールは他にもあって、こんなに不景気なのに
作ってどうするんだろう、と思ったり思わなかったり…。

>Y様
北海道と似たような気候かもしれませんね。当地のヒーターは建物のセントラルヒーティングが
一般的で、ヒーティングの開始する時期は国が決めています。悲しいかなウクライナは
お金がなくて、今年のヒーターはまだ始まってないので、自分で暖房つけてなんとか
寒さをしのいでいます。寒いです…。







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軍事パレードの予行練習

2016年08月24日
8月24日は、ウクライナ独立記念日。

ウクライナがソ連から独立したのは1991年ですから、今年は25年という節目の年です。



25年といえば、1945年から数えれば1970年。国際社会はもちろん、日本も大きくかわりましたよね。さて、ウクライナはあの日から大きく変わったのでしょうか。ロシアとの関係は、少なくとも当時では全く想像できなかった状況だろうと思います。街なかには以下のような看板が掲げられています。「ウクライナ、生まれながらに自由」という意味だそうで、ウクライナの自由のために様々なかたちで戦ってきた人がとりあげられています。



ちなみに独立記念日に向けて作られたコマーシャル(?)動画はこちら。
キエフルーシ時代からマイダン革命までの歴史を振り返りながら、いかにウクライナの自由を守ってきたかという国民の愛国心をくすぐる内容になっております。


さて、独立記念日には目抜き通りであるフレチャ―チク通りで軍事パレードがあります。昨年はキエフにいましたが、わたしだけ別件がありパレードはちらりとしか見ることができませんでした。当日はかなりの人出で、特に大統領が登場するマイダン広場前はやって意味があるのかわからないセキュリティ・チェックがあります。昨年奥様は、フレチャ―チク通りのレストランの二階に場所を取りパレードの様子をみたようです。こちら「灯台下暗し」状態で、ほとんど人がおらず、上からゆったりと眺めたようです。

「今年のパレードこそ!」と楽しみにしていたのですが、残念ながらキエフを離れてしまうことになり今年もなんと見ることができません。

と悲しんでいると、先日外に出ると、家の前が軍人さんだらけ。次から次へと軍人をのせたトラックが我が家の前に駐車していきます。



街なかに入っていくと...通行止め。なにが始まるんだと思いきや、軍事パレードの予行練習です。


街のど真ん中を軍用車両がどんどん通ります。






フレチャ―チク通りにいくと、戦車が。。。圧倒されます。。


さっきの家の前の軍人さんはパレードの練習に駆りだされていたんですね。
本当に若者が多い。










マイダン広場までいくと音楽隊がウクライナ国歌を練習中。練習ですから完璧ではないですが、
すばらしい行進を見せてくれます。




当日「完成された」パレードを見たかったですが、予行練習はセキュリティが甘く、ギリギリのところで見ることができたのでかえって良かったかもしれません。

普段キエフはあまりにも平和でつい忘れてしまうのですが、現在ウクライナは戦争状態。東部ではいまだに戦闘が散発しここ数ヶ月でかなりの人が亡くなっています。街なかには軍のリクルートに関する宣伝も、賃金が安いですね涙。はやくこの国に平和がくることを祈っております。




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「英雄都市」キエフのゆくえ

2016年06月09日
ご存知の通り、ウクライナはかつてソ連を構成する共和国として、1941年から45年まで第二次世界大戦(「大祖国戦争」)を戦い、ナチス・ドイツに勝利しました。

キエフは、特にドイツ軍に激しく対抗して勝利したということで「英雄都市」の一つとして数えられています。英雄都市にはそれを記念する様々なモニュメントがあります。

下の写真は「英雄都市」であることを示すオベリスク。ここはよく車で通過するのですが、降りて写真を取る機会がなかったので思わず撮影。この大通りの名前も「勝利通り」といいます。




そしてこの通りを郊外に向けて走り続けると、右手に「ソ連兵士の記念碑」が出てきます。


ここには「英雄都市・英雄要塞」の紹介とオベリスクの写真が飾られています。
ちなみに英雄都市・要塞はキエフ以外に、

オデッサ、ケルチ、セヴァストポリ(以上ウクライナ・ロシアが実効支配中のクリミア)

サンクトペテルブルク、ヴォルゴグラード、モスクワ、ノヴォロシースク、ムルマンスク、スモレンスク、トゥーラ(以上、ロシア)、

ミンスク、ブレスト(以上、ベラルーシ)

があります。



最近ウクライナでは、「共産主義」を象徴するものや建物がどんどん取り壊されています。昨年には「脱共産化」の法律も議会で採択され公にこのようなことが起こっているのです。下の戦車もこの前まで「我らソビエト祖国のために!」という文字が記されていたのですが、黒塗りにされていました。



街なかに英雄都市としての遺産が多々あるキエフですが、今後どんどん壊していくのでしょうか。「ソ連的なもの」から脱したいということで象徴的なモノをどんどん壊したい気持ちはわからなくはないのですが、まずは実態としてのソ連的な旧態依然の政治社会システムを改革のほうが先でしょと突っ込みたくなります。





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ウクライナにおけるヨーロッパデー

2016年05月31日
先週の5月21−22日は「ウクライナにおけるヨーロッパ・デー」でした。

聖ミハイル教会前では何やらコンサートやイベントが行われているというので、出かけてきました。


なぜ、ウクライナでこの日が「ヨーロッパデー」なのかよくわかりません。2003年から5月の第三日曜日は「ヨーロッパデー」と定められているようです。

通常「ヨーロッパデー」といえば、欧州連合が定めた5月9日。5月9日といえば旧ソ連諸国では「対独戦勝記念日」ですが、EU諸国では、50年5月9日に、現在のEUにつながる「シューマン宣言」が出されたので、この日が「ヨーロッパデー」となっています。


で、前日には、EUとウクライナの関係についての国際会議が開かれました。その会場で展示されていたEU-ウクライナ関係の政治風刺。ヨーロッパに向かって必死でがんばるウクライナ。でも「歓迎」といわれながら、実態としてはなかなか道のりが遠いのが現状。そもそもマイダン革命が起こった一因は、当時のヤヌコーヴィチ政権がEUとの連合協定署名を凍結したことにあります。



さて「ヨーロッパデー」では色々催し物があるのですが、今年はフランスでサッカーのEURO2016が開かれるので、ウクライナ代表が決起大会としてこのイベントに参加したそうです(ちなみに前回2012年のユーロ開催国はウクライナだったんですよ!)

それ以外にも、音楽コンサートが開かれたり、


フランスやイギリスの留学案内ブースや語学学校案内ブースがあったりします。
ウクライナのcivil security sectorを支援するEU Advisory MissionやEU各国がブースを出して支援や魅力をアピールしていました。



そして最後に。この広場の横には、ヒゲの若者の絵が書かれています。彼が誰なのか、キエフに来た当初ずっと疑問に感じていたのですが、この国の動向を知るにつれ、彼はかなりの「英雄」であることがわかりました。

彼の名は、セルギー・ミゴヤン。幼少期にアルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ=カラバフ紛争から逃れるため、アルメニアからウクライナに移住し、ここで育ちました。

そして2013年秋、彼は、由を求めマイダン革命に積極的に参加したものの、政府側の鎮圧で革命の最初の犠牲者となります。若干20歳。自由を求めて戦い、自らの命を失った彼は、EUへの加盟をもとめながら、その条件として要求される政治改革や反汚職改革は滞り、経済も悪化するばかりの今のウクライナの状況を、どう見ているのでしょうか。





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クリミア・タタールの日

2016年05月19日
1944年5月18日

ソ連のスターリンが、クリミア半島の先住民であるクリミア・タタール人を中央アジアに追放した日です。今年で72年目。この日が記念日に指定されているウクライナのマイダン広場では、その記念集会が開かれていました。



久しぶりにマイダン広場に行くと、「1944:Deportation(追放)ー2014:Occupation(占領)」という文字が書かれたポスターが貼られています(拡大版は以下)。



2014年にロシアがクリミアを自国に編入しましたが、その際行われた住民投票では多くのクリミア・タタール人が棄権を選択しました。それもあって、現在、彼らは実行支配するロシアから抑圧されており、多くのクリミア人が再び移動を余儀なくされたと聞きます。

集会にはそれほど多くの人が集まっていませんでしたが、まずウクライナ国歌が流され、そして恐らく自分たちの歌(恐らく民族自治組織メジュリスの歌)が流されていました。クリミア・タタール人は顔をみただけで、タタール系だなという人もいれば、もう色々な血が混ざっていてわからなくなっている人もいます。昨日の集会では、民族衣裳を来た参加者もちらほら見かけました。


さてクリミア・タタール人といえば、先日ストックホルムで開かれた欧州最大の歌謡祭「ユーロビジョン」で、クリミア・タタール人を先祖に持つウクライナ代表Jamala(ジャマラ)が優勝しました。この音楽祭はコンテスト形式で、審査員、そして視聴者による投票から選ばれる仕組みです(自国代表へは投票できません)。

以前、クリミア・タタールレストランの記事で少し書いたとおり、今回彼女が披露した曲のタイトルは「1944」。彼女の祖母が1944年の追放のなかで経験した悲哀が歌われています。


また彼女自身、この歌を現在のクリミアの状況も念頭において作ったとも話しています。このことから、彼女が優勝したことにロシアの一部では反発がみられるようです。しかも来年の開催国は優勝国であるウクライナ。ロシアの対応が注目されています。

でも、こちらの記事にもありますように、一般のウクライナ人はロシア代表に最高の12点を、ロシア人はウクライナ代表に次点の10点を入れているんです。つまり、一般の人々には、政治と文化・音楽は切り離されて考えられているのです。しかも、ヨーロッパ全体で見た時、ロシアとウクライナは同じロシア語文化圏。恐らく音楽の市場も重なるのでしょう。遠いスペインやイタリアなんかの歌よりも、ウクライナにとってはロシア、ロシアにとってはウクライナの歌のほうが身近に感じるのは当然でしょう。

さて、ウクライナではJamalaは一躍「ヒロイン」に。もともと力があって国内選考で勝ち上がったわけですが、来週開かれるコンサートに行こうと思って調べたところ、もう完売です。


いつか機会があれば是非聞きに行ってみたいです。





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