政治・経済・社会 便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

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2024年05月04日
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ウクライナのダースベーダー党首、そしてチューバッカ氏逮捕

2015年10月28日
ウクライナの地方選挙は大きな混乱もなく無事おわったようです。11月半ばに第二回投票があるので気は抜けませんが...

投票率は46.6%。与党が支持を減らしていると伝えられています。キエフではクリチコが圧勝ですが、多数を獲れなかったようで、第二回投票にもちこまれるとか。我らが注目していた、「ルフ」のドゥマチェフはぜ〜ぜんダメでした。あんだけビルボード占拠してたのに。

さて今回も世界から注目を浴びていたのは、ダース・ベーダー党首率いる「ウクライナ・インターネット党」。ネタでやっているのかと思いきや、意外とまじめだということがわかった(いや、ネタかな...)。提言内容は極端ですが、電子化の推進とか「政治実験」としてはなかなか面白い。

こちらが政党のプロモーション・ビデオ。

我々も訪れたオデッサの「ポチョムキン階段」を上り、エカテリーナ像前で集結しています。

今回は、ダースベーダー党首がオデッサ市長選に名乗り出て、他40人以上のメンバーが市議会選に出たみたいです。ちなみに党首は、投票所で「ダースベーダー」と書かれたIDを出したため、投票を拒否されたとか...やっぱりネタですね。

ちなみに、日本語のGoogle Newsで「ウクライナ・選挙」で検索すると、チューバッカが警察の身分証不保持で逮捕されたというニュースばかりでてきます。裁判所では、罰金刑として170フリブナ(950円)を言い渡されたけど、地球上には銀河系銀行支店がないため払えないと主張しているそうです。悪目立ちですね。警察と揉み合っている映像はこちら。



やっぱりネタですね。


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さよなら、モスクワ便

2015年10月26日
昨日10月25日から、キエフ・モスクワ便がなくなりました。その他にも、オデッサ・モスクワ便、キエフ・サンクトペテルブル便もなくなるようです。

日本ではニュースにもなっていたみたいですね。
ウクライナをめぐる対立で、ロシアとウクライナの直行便が停止(フジテレビ系FNN)

10月24日に空港に行く用事があり、モスクワ便の表記を最後に写真におさめました。
こちらのニュースによると、最終便は、この後の20:30の便だったみたいですね)


旦那はこの便を利用したことがないのですが、ロシアとウクライナ両方を手掛ける多くの日本人ビジネスマンにとっては、出張一つとっても大変不便になるでしょう。一時間ちょいで安価に行けた道のりを、わざわざどこか(モルドバ、ベラルーシ、ジョージアあたり)で経由するしかなくなるからです。


またウクライナとロシアは現在こんな関係ですが、民間レベルでの経済的・人的結びつきは強いので、両国のビジネスマンにとっても辛い話ですし、何よりも親戚訪問もより厳しくなると思います。また日本からウクライナに来るうえで、時間のロスが少ないのはモスクワ経由です。その魅力が半減されます。

そもそも今回の措置は、9月にウクライナ当局が、ロシアの東部紛争への介入に対する制裁措置の一貫としてロシア籍航空機の乗り入れ禁止・ウクライナ上空の飛行禁止を発表したことがきっかけで、これにロシア側も対抗するかたちとなりました。

ここのところ東部での戦闘は落ち着いているようですが、むしろ「膠着状態」に陥っているというほうが正しく、何ら永続的な安定はもたらされていません。上記の措置は対ロ強硬の象徴でしかなく、むしろ自らの首を締めるかたちになります。

また今後、制裁を解除するにも時の政権は一定の「コスト」を払わなければならず、現在の二国間関係が続く限り、なかなか解除決定を下すことも難しい決断になります。

こういう措置には賛否両論あるでしょうが、とりあえず巷の評判は芳しくありません。「これくらいして当然だ」と感情論で訴えることはわかりやすいのですが、それが国民にダメージをもたらし、さらには政権自らへのダメージにもつながりかねません。

ウクライナから見れば「近くて遠い」ロシアが、「遠くて遠い」ロシアになっていきそうです。


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選挙、選挙、選挙!!祭だ、政だ!!

2015年10月25日
本日10月25日は、ウクライナの地方選挙(市長・市議会)!(27日アップデート)

選挙は見るのが一番。むかーし、友達と事前予想して開票日に候補者一覧を広げながら、そして酒を飲みながら開票を見るというパーティーをやったことがあります。

ウクライナに来てはじめての選挙。勝手に盛り上がっています。昨年だったら、大統領選や議会選があったので、もっと盛り上がったと思いますが...

さて夏が終わる頃から、街の至る所には選挙ポスターが掲げられるようになりました。日本とは異なり、候補者ポスターの公式掲示板はないようで、資金力に応じて自分で広告枠を買い取っているようです。マイダン革命後、新しい政党もどんどんできているうえに、地方選挙ということもあり、聞いたことがない政党もあります。なんでも合わせて132もの政党が全土で選挙に参加するとか。

多くの政党が、空虚な流行語となっている「改革」を掲げていますが、少なくとも55%の国民はこの選挙で何もかわらんと考えているみたいですね。しかも今回から選挙システムが変更になり、制度を理解できている人は少なく、むしろその複雑さゆえに透明性に対する信頼度が低くなっていると報じられています(ここ)。


さて、ポスターはこんな感じ。これはポロシェンコ大統領の政党の候補者かな。


民族衣装をきた候補者。この前、議会前で騒ぎを起こした民族主義系ですね。
ただ人気は落下中。


また政党ごとに駅前やスーパー前などでブースを出し、チラシを配っています。


で、早い候補者は、6月くらいから貼っていたように記憶しています。「改革運動(ルフ)」のセルヒー・ドゥマチェフという方ですが、もう街で見ない場所はない。

「どんだけ資金あんねん、どこの金持ちが支えてんねん」

夫婦の夕食時のネタになっています。
家を出て、マンションのエレベーターに乗るとお会いし、道を歩くとそこにいる。そして郊外に車を走らせると、ビル一棟分丸々セルヒーの顔!!帰宅したらエレベーターでセルヒーが迎えてくれます。ウクライナ語がわからず、ウクライナ政治に素人の我々でも、さすがに顔と名前と政党名覚えましたよ。刷り込みですね。

でも、専門家の予想をみると、残念ながら彼の勝ち目はなさそうです。現在、三番手で争っている模様。その相手は、キエフのオシャレ・レストランとして名高く、金持ちが集まってくるグルジア・レストランの「ショティ」やイタリアン・レストランの「パンタグリュエル」や「ナプレ」のオーナーのセルゲイ・グソブスキ(下写真右側)です。彼も途中までは頑張っていたみたいですが、ここ最近モメンタムがなくなったと。飯は確かに上手いんですがね。巻き返しを図るべく、Youtubeの広告でやたらでてきます。





で、圧倒的有利が伝えられているのは、知名度バツグンの現市長、ビタリ・クリチコ(右)。


ちゃんと日本語版Wikipediaにも彼の名前はありますよ。というのも彼は、ボクシングの元ヘビー級王者ですから。文科大臣の馳浩みたいなもんです。そして彼と争うのが、彼のメンターでもある、元キエフ市長オレクサンドル・オメルチェンコ。77歳という高齢ですが、それゆえか高年齢層から支持を得ているみたいですね。

さて、どうなるのか。まぁ選挙結果よりも、それを受けて社会が混乱しないことを一市民として祈るばかりです。

ちなみに日本からは四人の選挙監視員がウクライナに派遣されており、大使館から派遣の六人を加えて十人が選挙監視として立ち会うみたいです。

PS 27日時点でよくまとまっているキエフ・ポストの記事があったので、付け足しまーす。
与党ポロシェンコブロックは各地で厳しい戦いを強いられているみたい。また前大統領ヤヌコビッチの「地域党」の後継党は奮闘中とか。ようわからんな、ウクライナ政治は。


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ロシア式血液型の話

2015年10月22日


血液型と思われる記号の横に書いてある数字はなんなんだろう、と
常々思っていたら、ロシア式の血液型との併記だったみたい。
また一つ賢くなりました。


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チェルノブイリ・ツアー②

2015年10月19日
チェルノブイリ訪問記の続編。

四号炉を見た後は、プリピャチという街に向かいました。

ここは原発職員らのために作られた街です。


バスのなかで見たドキュメンタリーでは、事故が起こる前のにぎやかで非常に豊かな街の姿が映しだされていました。この街はかつて「憧れの街」として名を馳せていました。平均所得はキエフよりも高く、ソ連中から優秀な科学者が集められていたそうです。高層マンションが並び、文化施設も充実していた。

しかし、原発事故後、この街の住人には退避命令が出され、現在は「ゴーストタウン」となっています。避難の様子は以下の動画でも見ることができます。



かつての市庁舎。この横には要人も泊まっていたという高級ホテルの跡がありました。


市民の憩いの場、文化センター


文化センターのなかにはディスコ跡が。この中には体育館や映画館もありました。かつては市民で賑わっていたのでしょう。


時が止まったままのミニ遊園地。



子どもたちの声は聞こえてきません。




そしてこちらはサッカー場。遠目には草木が覆い茂っており、ここが何の場所だったのか想像することも難しい状況です。このスタンドだけが、サッカー場だったことを示す唯一のものです。



学校跡。恐らく子どもがワイワイ騒いでいた教室や食堂も今やめちゃめちゃ。金目のものだけを取り出して、そのまま放置されて29年。無造作にガスマスクや子供用の人形が散らばっていますが、なかにはジャーナリストや観光客が写真撮影のために「意図的」に置いたものもあるとか。このガスマスクは、米国との核戦争に備えて学校に常備されていたという説明を受けました。



物悲しげな教室。1986年に、例えば7歳だった子たちは今36歳。我々とそんなに変わらない世代です。彼ら・彼女たちはこの経験の後、どこで何をしているのでしょうか。そんな事を考えながら、学校跡地を後にしました。


今回の訪問で、自分でもよくわからない何か不思議な感情を持ちました。
いまだに気持ちの整理がついていません。

ここに訪れる前は、広島・長崎・福島の記憶を持つ日本人の一人として、きっとチェルノブイリを見れば、何かしらのショックを受けると考えていました。もちろん悲劇であるということは間違いないのですが、正直に言うと、あまりにもリアリティがない。

この場所が当時のまま残されていると言われながらも、逆にそれがあまりに「観光地化」されているように思えたことが主要な理由かもしれません。訪問中、別のウクライナ人ツアーやベラルーシ人ツアーに何度か遭遇しました。彼ら自身もまた我々と同じく写真をとり、わいわいツアーを楽しんでいるようでした。

ツアーコンダクターは、今のウクライナの子どもたちがあまりにも事故について知らないので、それを語り継いでいく必要がある、とその強い使命感を語っていました。そして、「フクシマではこういう観光ツアーはあるの?今後できそう?」と尋ねてきました。「観光地化プロジェクト」があるのは知っていましたが、ここにきてそれがよい選択肢(しかも誰にとって)のかどうかわからくなってしまった。それが現段階の正直な感想です。もう少し考えないといけない課題ができました(完)。


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