アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜 便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜

2016年05月28日
アルメニア訪問記最終編。
最後に訪れたのは、「アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム」です。

旦那の限られた知識のなかで、「アルメニアといえばジェノサイド」。

フランスに住んでいた頃、この問題を否定する発言を公に禁止する法律(アルメニア人虐殺否定禁止法)をめぐって大論争が起こっていたことをきっかけに知りました。ちなみにフランスには多くのアルメニア人が住んでいます(50万人とも言われます)。またアメリカにも多くのアルメニア人が住んでいます。こんなにアルメニア国外にアルメニア人が住んでいるのはなぜか。
19世紀末、20世紀初頭にオスマン帝国内でアルメニア人の強制移住や虐殺が行われたからです。とくに第一世界大戦中の15年から17年には、150万とも言われるアルメニア人が虐殺されたということで、昨春には100周年の追悼イベントが行われました。そして現在でも街なかには、「I Remember and Demand」と書かれたポスターが掲げられ、多くのお店の前には同様のステッカーが貼られています。またナチスのホロコーストと並べてその重大さをアピールするポスターもみかけました。



イェレヴァン市内にある博物館。中心街からタクシーで20分ほどで到着します。






アルメニアの学生たちも自国の悲劇について学んでいました。もちろん「修学旅行あるある」で、先生の話を聞かず、騒いで怒られるタイプの学生もいましたが。



ミュージアムの入り口。


ミュージアムを周ってみて、これまで問題は知っていたものの、歴史的経緯を十分に理解できていなかったことを痛感しました。ミュージアムは淡々と写真と説明で解説していくタイプですが、この地域をめぐる大国間関係、オスマン帝国内のアルメニア人の置かれた立場を見事に整理しながら、(トルコ、そして存在を知りながら黙殺したドイツを批判的に)解説しており、非常に理解が進みました。








もちろん現在でも、この問題はアルメニアとトルコの関係に影を落としています。オスマン帝国の継承国家としてトルコは、この問題の計画性を否定しています。それゆえ、この問題も一因となって、両国の国交正常化プロセスは停止しています。そこに最近再燃したナゴルノ・カラバフ紛争、そしてトルコ・ロシア間の対立。「歴史」は終わっていないということでしょうか。

下はアルメニア人が強制的に移住させられたルート。現在問題となっているシリアにも彼らの難民キャンプがあったことをはじめて知りました。



一番胸に突き刺さった写真。息子の頭蓋骨を差し出す老いた父。


周辺の大国は虐殺の現実を目撃していたにも関わらず、戦争のなかの大国間関係によって問題は見過ごされることになります。


日本では、ナチスによるホロコーストに比べれば、このアルメニア人虐殺問題はそれほど知られていないと思います。しかし昨年、この問題を背景にした映画が日本でも上映されました。タイトルは「消えた声が、その名を呼ぶ」。映画サイトの解説によれば..
=以下抜粋=
「1915年、オスマン・トルコ。夜更けに現れた憲兵によって、アルメニア人鍛冶職人、ナザレットの幸せな日々は終わった。妻と娘と引き離され強制連行された砂漠で、突然死刑が宣告され、ナイフで喉を切られた。声を失いながらも、奇跡的に生き延びたナザレットは、生き別れた娘に再び会うため、灼熱の砂漠を歩き、海を越え、森を走り抜ける。娘に会いたい。その想いはたった一つの希望となり、平凡だった男をトルコの砂漠から、遠くアメリカ、ノースダコタの雪降る荒れ地へと導いていく…。」

=抜粋終わり=


もし関心があればDVDでご覧ください!

これにてアルメニア訪問記終了。なかなか日本からは行きにくい国ですが、魅力たっぷりの国なので是非ご訪問いただきたいと思います。メルシー(アルメニアでも「ありがとう」はこれ!)


◇アルメニア旅行記
アルメニア訪問記①~エチミアジンの世界遺産群~
アルメニア訪問記②~イェレヴァンあれこれ~
アルメニア訪問記③~アララト工場~
アルメニア訪問記④~もう一つの世界遺産~
アルメニア訪問記⑤~最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム~





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