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2024年11月21日
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イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
2017年05月12日
まずい、書くのを怠っている内に、どんどん記憶が曖昧に…。
次の旅にも出てしまったし…あわあわ。
さて、イスラエル旅行記、続いて念願のエルサレムへ。
歴史的背景や宗教的な知識含め、しっかりと理解したい、ということで、O家が探してくれた日本人ガイドさんと合流して、テルアビブから日帰りエルサレムツアーへ。
遠くに見えるのはヨルダン国境。
オリーブ山から見える、エルサレムの旧市街。金色の屋根は、イスラム教の聖地、岩のドーム。
オリーブ山の周りには、ユダヤ人のお墓がたくさん。
これは、旧約聖書によると、オリーブ山が、神が最後の審判の日に、死者を蘇らせた場所であると記述されているから、なんですね。
ガイドさんに教えてもらったのは、このお墓、全てエルサレムに足を向ける形で人々が埋葬されているということ。これは、復活の日が来た時に、むくりと起き上がって、そのままエルサレムに向かう事が出来る様に、ということらしいです。
そして、もう一つ印象的だったのが、オリーブの丘から見える、エルサレム旧市街を囲む壁の手前にもあるお墓。写真だとわかりにくいんですが、このへんもお墓なんです。
このお墓ゾーンは、ムスリム達のお墓であるとのこと。そして、これらのお墓は皆、オリーブの丘に足を向ける形で、人々が埋葬されています。これは、復活の日を迎えたユダヤ人達が、オリーブの丘を下って来た際に、彼らも復活して、ユダヤ人達がエルサレムに入ってくるのを防ぐ為、なのだそう。
これを聞いたとき、確執の根深さを思い知らされたのでした。
続いて、オリーブの丘をゆるやかに下って、ゲッセマネの園にやってきました。
ゲッセマネ、とはヘブライ語で「オリーブを絞るところ」という意味だそうです。
生前のイエスが好み、1人でよく訪れていたとされる場所です。
この場所で、イエスは最後の晩餐の後、祈りを捧げ、裏切り者のユダによって捕まえられたとされています。
こちらが樹齢6000年と言われるオリーブの木。もし本当ならば、イエスを見た、唯一の生き証人ですね。
オリーブは三度絞られ、最初に絞られた純粋な油は、神への捧げものとして、2度目に力を込めて絞った油は人々の生きる糧として料理に、3度目の種をも砕くほど強く搾り出した油は、ランプに使っていたのだそう。
これが、イエスが処刑される前夜に最後に行ったゲッセマネの祈りー3度の祈り、(1度目は軽く、二度目は力を込めて、3度目は魂が砕けそうなほど自身の全てを込めて)とリンクしているのだとか。
こちらがゲッセマネの隣にある、万国民の教会。その名前だけあって、万国民の教会は、信者でなくても入れるし、他の宗教を信仰していても入れるのだそう。
最後の晩餐のあと、イエスが祈り続けた岩を取り囲むようにして建てられたのが、この教会。中に入ると、中央にイエスがひざをついたと言われる岩が。
パワースポットとも言われるということで、私も手をふれてみました。ひんやり。
教会内はイエスの苦しみを表現するために、暗く、おごそかな雰囲気になっています。
次にやってきたのは、当方念願の場所。シンドラーのお墓。
シンドラーの墓は、シオンの丘にあります。
こちらがシンドラーのお墓です。'OSKAR SCHINDLER"と刻まれているのが読めます。
オスカー・シンドラーは映画にもなったことがあるので、ご存知の方も多いかもしれませんが、ドイツで第二次世界大戦に起きたホロコーストの際、沢山のユダヤ人を自身の工場で働かせる事で、その命を救った実業家です。私はスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」という映画で知りました。
シンドラーは、クリスチャンのドイツ人でしたが、死後はユダヤの友の隣に葬って欲しいと、イスラエルでの埋葬を望んだそうです。(尚、この墓地はクリスチャンの方々のお墓です。)
このお墓で印象的だったエピソードを一つ。
お墓にはいくつもの小石が乗せられていますが、これはユダヤの習慣で、「あなたを思う私の気持ちは、この石の様に、固く変わることはありません」という意味なのだそうです。
シンドラーのお墓の上には、これでもかと石が乗せられています。これは、わざわざクリスチャン墓地にお礼参りに来るユダヤ人の多さを示しているんですね。
さて、次はダビデ王の墓へと向かいます。↓がダビデの銅像。
ダビデはソロモンの父、古代イスラエルの王です。
ガイドさんが、「ハープと王冠の組み合わせを見たら、十中八九ダビデ王なんですよ。」と、ダビデの見分け方を教えてくれました。
ちなみに、イスラエルでは毎年聖人の人気投票をしているらしく、このダビデとアブラハム(ノアの洪水後、最初の祝福を受けた預言者)が毎年首位争いのデッドヒートを繰り広げているそうです笑。
ダビデ王のお墓は、男女別の入口になっています。男性はキッパの着用が必須です(レンタルがあるので、その場で借りられます)。写真がブレブレですみません。
女性用の入口を進むと、中に大きな棺おけらしきものが。真ん中にはついたてがあり、男性側と分離されています。信心深いお姉さんが、とても真剣に祈りをささげているところでした。
その後訪問したのは、ダビデ王の墓の上にある、イエスの最後の晩餐が行われたとされる場所。
でもあまりにもあっけなかったので、大した写真を撮りませんでした。自分の馬鹿!
ダヴィンチの絵のイメージがありますが、ガイドさん曰く、当時の習慣を考慮すると、イエスや弟子たちは椅子とテーブルではなく、地べたに座って食事を取っていたと思われるそうです。
次に向かったのは、ようやく壁に囲まれた旧市街の中。
旧市街は4つの地区(アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区、ムスリム地区)に分かれており、取り囲む城壁には、現在7つの門があります。我々はその内の、1540年に作られたという、「シオン門」から入ります。
わかりますか?入口の周りはでこぼこの穴でいっぱい。これは全て銃撃のあとです。
1967年まで、このシオン門がヨルダンとの国境線だったのです。
門の横では、兵士たちが座って休憩中でした。
さて、まだまだ続きますが、長くなってきましたので、門をくぐった続きは、一旦記事を区切って次回と致します!
◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~(この記事)
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~
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次の旅にも出てしまったし…あわあわ。
さて、イスラエル旅行記、続いて念願のエルサレムへ。
歴史的背景や宗教的な知識含め、しっかりと理解したい、ということで、O家が探してくれた日本人ガイドさんと合流して、テルアビブから日帰りエルサレムツアーへ。
遠くに見えるのはヨルダン国境。
オリーブ山から見える、エルサレムの旧市街。金色の屋根は、イスラム教の聖地、岩のドーム。
オリーブ山の周りには、ユダヤ人のお墓がたくさん。
これは、旧約聖書によると、オリーブ山が、神が最後の審判の日に、死者を蘇らせた場所であると記述されているから、なんですね。
ガイドさんに教えてもらったのは、このお墓、全てエルサレムに足を向ける形で人々が埋葬されているということ。これは、復活の日が来た時に、むくりと起き上がって、そのままエルサレムに向かう事が出来る様に、ということらしいです。
そして、もう一つ印象的だったのが、オリーブの丘から見える、エルサレム旧市街を囲む壁の手前にもあるお墓。写真だとわかりにくいんですが、このへんもお墓なんです。
このお墓ゾーンは、ムスリム達のお墓であるとのこと。そして、これらのお墓は皆、オリーブの丘に足を向ける形で、人々が埋葬されています。これは、復活の日を迎えたユダヤ人達が、オリーブの丘を下って来た際に、彼らも復活して、ユダヤ人達がエルサレムに入ってくるのを防ぐ為、なのだそう。
これを聞いたとき、確執の根深さを思い知らされたのでした。
続いて、オリーブの丘をゆるやかに下って、ゲッセマネの園にやってきました。
ゲッセマネ、とはヘブライ語で「オリーブを絞るところ」という意味だそうです。
生前のイエスが好み、1人でよく訪れていたとされる場所です。
この場所で、イエスは最後の晩餐の後、祈りを捧げ、裏切り者のユダによって捕まえられたとされています。
こちらが樹齢6000年と言われるオリーブの木。もし本当ならば、イエスを見た、唯一の生き証人ですね。
オリーブは三度絞られ、最初に絞られた純粋な油は、神への捧げものとして、2度目に力を込めて絞った油は人々の生きる糧として料理に、3度目の種をも砕くほど強く搾り出した油は、ランプに使っていたのだそう。
これが、イエスが処刑される前夜に最後に行ったゲッセマネの祈りー3度の祈り、(1度目は軽く、二度目は力を込めて、3度目は魂が砕けそうなほど自身の全てを込めて)とリンクしているのだとか。
こちらがゲッセマネの隣にある、万国民の教会。その名前だけあって、万国民の教会は、信者でなくても入れるし、他の宗教を信仰していても入れるのだそう。
最後の晩餐のあと、イエスが祈り続けた岩を取り囲むようにして建てられたのが、この教会。中に入ると、中央にイエスがひざをついたと言われる岩が。
パワースポットとも言われるということで、私も手をふれてみました。ひんやり。
教会内はイエスの苦しみを表現するために、暗く、おごそかな雰囲気になっています。
次にやってきたのは、当方念願の場所。シンドラーのお墓。
シンドラーの墓は、シオンの丘にあります。
こちらがシンドラーのお墓です。'OSKAR SCHINDLER"と刻まれているのが読めます。
オスカー・シンドラーは映画にもなったことがあるので、ご存知の方も多いかもしれませんが、ドイツで第二次世界大戦に起きたホロコーストの際、沢山のユダヤ人を自身の工場で働かせる事で、その命を救った実業家です。私はスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」という映画で知りました。
シンドラーは、クリスチャンのドイツ人でしたが、死後はユダヤの友の隣に葬って欲しいと、イスラエルでの埋葬を望んだそうです。(尚、この墓地はクリスチャンの方々のお墓です。)
このお墓で印象的だったエピソードを一つ。
お墓にはいくつもの小石が乗せられていますが、これはユダヤの習慣で、「あなたを思う私の気持ちは、この石の様に、固く変わることはありません」という意味なのだそうです。
シンドラーのお墓の上には、これでもかと石が乗せられています。これは、わざわざクリスチャン墓地にお礼参りに来るユダヤ人の多さを示しているんですね。
さて、次はダビデ王の墓へと向かいます。↓がダビデの銅像。
ダビデはソロモンの父、古代イスラエルの王です。
ガイドさんが、「ハープと王冠の組み合わせを見たら、十中八九ダビデ王なんですよ。」と、ダビデの見分け方を教えてくれました。
ちなみに、イスラエルでは毎年聖人の人気投票をしているらしく、このダビデとアブラハム(ノアの洪水後、最初の祝福を受けた預言者)が毎年首位争いのデッドヒートを繰り広げているそうです笑。
ダビデ王のお墓は、男女別の入口になっています。男性はキッパの着用が必須です(レンタルがあるので、その場で借りられます)。写真がブレブレですみません。
女性用の入口を進むと、中に大きな棺おけらしきものが。真ん中にはついたてがあり、男性側と分離されています。信心深いお姉さんが、とても真剣に祈りをささげているところでした。
その後訪問したのは、ダビデ王の墓の上にある、イエスの最後の晩餐が行われたとされる場所。
でもあまりにもあっけなかったので、大した写真を撮りませんでした。自分の馬鹿!
ダヴィンチの絵のイメージがありますが、ガイドさん曰く、当時の習慣を考慮すると、イエスや弟子たちは椅子とテーブルではなく、地べたに座って食事を取っていたと思われるそうです。
次に向かったのは、ようやく壁に囲まれた旧市街の中。
旧市街は4つの地区(アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区、ムスリム地区)に分かれており、取り囲む城壁には、現在7つの門があります。我々はその内の、1540年に作られたという、「シオン門」から入ります。
わかりますか?入口の周りはでこぼこの穴でいっぱい。これは全て銃撃のあとです。
1967年まで、このシオン門がヨルダンとの国境線だったのです。
門の横では、兵士たちが座って休憩中でした。
さて、まだまだ続きますが、長くなってきましたので、門をくぐった続きは、一旦記事を区切って次回と致します!
◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~(この記事)
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~
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