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2024年11月21日
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イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~
2017年05月25日
さて、またイスラエル訪問記に戻って、その③です。
今回はエルサレム旧市街の中の、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のそれぞれの聖地と、パレスチナ自治区にある、イエス生誕の地、ベツレヘム訪問について書きたいと思います。
スローモーでどうもすみません。
旧市街を進むと、「ユダヤ人地区」の案内板が。前回も書きましたが、エルサレムの旧市街は4つに分かれています。アルメニア人地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区そしてムスリム地区。今歩いているのは、ユダヤ人地区ということですね。
下り道を進むと、黄金色の丸いモスク(ムスリム第三の聖地、岩のドーム)の屋根が見えてきます。
今回の旅の一番の目的と言っても過言ではない、念願のユダヤ人の聖地「嘆きの壁」が見えてきます。英語ではシンプルにWestern Wallというんですね。なんだか不思議。(日本は「嘆きの壁」、フランスなんかも"Mur des Lamentations"と呼び、嘆くニュアンスが入っているのですが。)
日本の神社の様に、手を清めてから、祈りにいきます。
男女別に別れていますので、私は女性側へ。
男性側で撮ってもらった写真はこちら(Hさん深謝!)
本当に「嘆いて」います。涙をこぼしている人もいました。
彼らは何を嘆いているのか?それは、「まだ見ぬ真のイスラエル」を思って。
現在の国連決議によって作り出されたイスラエルは、ディアスポラを経て、長く長く真の故郷を追い求める超正統派の方々にとっては、「本当のイスラエル」ではないんですね。
親子で祈る姿も。
さて。ユダヤ教徒の聖地、嘆きの壁を離れて、次はキリスト教徒の聖地へ向かいます。
途中、ラテン語で「苦難の道」を意味する「ヴィア・ドロローサ」という、小道を通ります。この小道、イエスが十字架を背負い、処刑されるゴルゴダの丘へ向かう道とされています。
尚、「ゴルゴダ」とは、ヘブライ語で「頭蓋骨」を意味するのだとか。
このヴィア・ドロローサには、始点と終点を含めると、14箇所の留(りゅう/ガイドさんは”ステーション”と呼んでいた)と呼ばれる中継地点があります。それぞれの留にはストーリーがあって、例えば「イエスが十字架の重みに耐えかねて、膝をついた場所」であるとか、「処刑間近で市民から虐げられながら、小道を歩いたイエスに信心深い市民がこっそりと手を差し伸べた場所」であるとか。
沢山の巡礼者が、イエスの歩いたとされるこの道を辿って歩いていきます。
我々も、ヴィア・ドロローサの途中から、終点である正墳墓教会まで歩いてみることにします。
脱線して、ヴィア・ドロローサの道中のお土産屋さんで見つけたTシャツ、面白いのもあれば、なかなかシニカルなものも…。
ちなみに素敵なパン屋さんも見かけました。頭にのっけて運んでる。こんな穴のあいたパン、中東は色々行きましたが、初めてみました!
また、途中、ムスリムの聖地である、岩のドームもあるのですが、残念ながらムスリムでないと中に入れないということで、遠目から見るのみで終わってしまいました。
脱線から戻ってきて。
留にはそれぞれローマ数字でいくつめの留なのかが示されています。例えば↓の二つは左の留がVI(6つめ)、右がVII(7つめ)ですね。各留で、賛美歌を歌っている巡礼者のグループもちらほら見かけました。
ゆるやかな坂道を登り続けると、さあ、イエスの墓の上に建てられたとされる、クリスチャンの聖地、正墳墓教会へ到着です。この教会は、カトリック教会・東方正教会・アルメニア使徒教会・コプト正教会・シリア正教会等の共同管理になっています。正教会では「復活教会」とも呼ばれるようです。
ここで規模的には大きくないアルメニア教会が出てくるのは、やはり世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国だからでしょうね。アルメニア旅行で学んだ事がここで生きました!笑(アルメニア旅行記のリンクはオマケでこのページの下部に載せておきますね)。
教会内では、沢山の壁画が、イエスの死の前後を描いています。
イエスが十字に架けられ、息を引き取ったとされる場所には、ギリシャ正教の祭壇があり、信者たちが、長い列を作っています。何故なのかと思ったら、祭壇の下は岩肌になっていて、十字架が立っていた場所に直接触る事ができるからなのでした。
この真ん中の大きな石は、十字架からおろされたイエスを横たわらせ、その聖骸に香油を塗ったたとされています。信者たちが悼み、嘆きながらこの石にふれる姿が。
ちなみに今も毎日香油がふりかけられていて、近づくとほんのり香ります。
順路を進むと、ひときわ天井の高い空間に出ます。
そして、その空間の真ん中には、なにやらまた聖堂の様な小さな建物が。
これがヴィア・ドロローサの最終点、最後の留、イエスの墓である復活聖堂・アナスタシスです。私が訪問した時は、修復作業中だったので、ちょっと見た目が悪いですが。ここもものすごい列です。
また、教会内部には、聖地エルサレムをムスリムから奪還するために派遣された十字軍の戦士たちが残した十字架の痕がいたるところに。征服に成功した事を記念して、みんな刻んでいったのでしょうね。歴史を感じて、指でふれてみました。
この教会、クリスチャンの聖地であるゆえに、各宗派の派閥争いがすごいらしく、教会内はきっちりとそれぞれの宗派の管理区画が定められているのだそう。確かに、部屋毎で全然内装やら雰囲気が違うのはそういうことなんですね。
教会内の重要な場所(墓とか十字架建ってた場所とか)は、権力の強い宗派が管理しているのだそうで…。こんな場所だけど、どろどろしている…笑。
また、管理にも細かなルールがあり、基本的に各宗派の判断で行う変更や修理の類は、全宗派の合意を取得しない限り、一切許されないとのこと。たとえ壊れても…。
"STATUS QUO(現状維持)”っていうラテン語のフレーズを聞いた事のある方は多いと思いますが、ここから来ているんですね。
さすがに火事が起きた状態のままにされている椅子の置かれた部屋↓を見て、複雑な気持ちに。
その上、建物の2階には、中途半端にかけられたはしごが。これはあまりお金のないアルメニア教会が、自家栽培で野菜をつくっている場所へ向かう道へのはしごなのですが、STATUS QUOの号令が突然かけられた為、はしごをはずす事さえも、全宗派の合意がないと、かなわないんですって。うーん、すごい世界。)
↓話題のはしごは写真の右上の窓のすぐ下にかけられています。
それから、正墳墓教会で面白かったエピソード。
教会の扉は毎朝晩、内側と外側から鍵を施錠・解錠するのですが、内側は各宗派が順番で担当、外側の鍵は近くに住むムスリムの家族が持っていて、世襲で毎日この扉の開閉を請け負っているのだそう!↑写真の左下の扉が、その扉です。
いくら他宗派に鍵を渡したくないからって、クリスチャンですらない、ムスリムに頼むって、なんて面白いんだろう、と思ってしまいました。
そして、エルサレムの日常では、ユダヤ人も、クリスチャンも、ムスリムも穏やかに仲良く暮らしているんですね。
長々と書きましたが、聖墳墓教会はこの辺で。
次はエルサレムを離れ、パレスチナ自治区へ向かいます。地区内に入って見つけた壁画。パレスチナ自治政府の旗ですね。至って平和な雰囲気でした。
パレスチナに来たのは、ベツレヘム、そう、聖母マリアがイエスを生んだ伝説の地とされる場所に建てられた、生誕教会を訪問するためです!こちらも世界遺産。(Wikipediaには降誕教会とあり、こちらが正式名称なのかも?)
中に入っていくと、薄暗い地下へ進む小さな階段にまたしても長蛇の列が。
階段を降りて地下の空間に入ります。この星↓の上でイエスは生まれたと言われています。
灯されたろうそくが、なんだか幻想的。巡礼者で一杯で、イエスの生誕を祝う賛美歌を合唱するグループもおり、教会の中は、厳かだけれどとても温かい雰囲気でした。
教会の外に出ると、キリストの生誕を再現したプレゼピオが。(プレゼピオはキリスト教圏でクリスマスによくみられる、あのジオラマみたいなやつのことです。)
この降誕教会は、真向かいにモスクがあり、共存する複数の宗教的施設の存在に、なんだかとても不思議な気持ちになりました。
そしてパレスチナを離れる前にもう一箇所…。
ヨルダンとの分離壁もみてきました。物々しい雰囲気の壁、セキュリティカメラ、有刺鉄線。
壁には絵が。バンクシーはみれなかったけどね!
パレスチナの旗を持つ女性が、銃を向けられていますね。
ベルリンでは壁が崩壊し、パレスチナでは壁が建設される。
どこかで壁がなくなり、どこかでまた新たな壁ができる。
「エルサレム」という名前は、「平和のあるところ」を意味する言葉なのだとか。
壁のない、自由な世界が来る日は、そしてエルサレムがその名を体現する場所となる日は、はたしてやってくるのでしょうか…。そんな事をしみじみ考えたパレスチナ自治区訪問でした。
さて、また文字数多めになってしまった今回の記事はこの辺で終わり。
今回の旅行記、あと1記事だけ書く予定です。奥深きユダヤの世界について。
◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~(この記事)
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~
<<拍手のお返事>>
>N子
私も、今なら社食のカレーですら美味しさのあまりほっぺが落ちる確信がある。
おまけ!本文でふれた、世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国、アルメニア。
◆アルメニア旅行記
アルメニア旅行記①〜エチミアジンの世界遺産群〜
アルメニア旅行記②〜イェレヴァンあれこれ〜
アルメニア旅行記③〜アララト工場〜
アルメニア訪問記④〜もう一つの世界遺産〜
アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜
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今回はエルサレム旧市街の中の、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のそれぞれの聖地と、パレスチナ自治区にある、イエス生誕の地、ベツレヘム訪問について書きたいと思います。
スローモーでどうもすみません。
旧市街を進むと、「ユダヤ人地区」の案内板が。前回も書きましたが、エルサレムの旧市街は4つに分かれています。アルメニア人地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区そしてムスリム地区。今歩いているのは、ユダヤ人地区ということですね。
下り道を進むと、黄金色の丸いモスク(ムスリム第三の聖地、岩のドーム)の屋根が見えてきます。
今回の旅の一番の目的と言っても過言ではない、念願のユダヤ人の聖地「嘆きの壁」が見えてきます。英語ではシンプルにWestern Wallというんですね。なんだか不思議。(日本は「嘆きの壁」、フランスなんかも"Mur des Lamentations"と呼び、嘆くニュアンスが入っているのですが。)
日本の神社の様に、手を清めてから、祈りにいきます。
男女別に別れていますので、私は女性側へ。
男性側で撮ってもらった写真はこちら(Hさん深謝!)
本当に「嘆いて」います。涙をこぼしている人もいました。
彼らは何を嘆いているのか?それは、「まだ見ぬ真のイスラエル」を思って。
現在の国連決議によって作り出されたイスラエルは、ディアスポラを経て、長く長く真の故郷を追い求める超正統派の方々にとっては、「本当のイスラエル」ではないんですね。
親子で祈る姿も。
さて。ユダヤ教徒の聖地、嘆きの壁を離れて、次はキリスト教徒の聖地へ向かいます。
途中、ラテン語で「苦難の道」を意味する「ヴィア・ドロローサ」という、小道を通ります。この小道、イエスが十字架を背負い、処刑されるゴルゴダの丘へ向かう道とされています。
尚、「ゴルゴダ」とは、ヘブライ語で「頭蓋骨」を意味するのだとか。
このヴィア・ドロローサには、始点と終点を含めると、14箇所の留(りゅう/ガイドさんは”ステーション”と呼んでいた)と呼ばれる中継地点があります。それぞれの留にはストーリーがあって、例えば「イエスが十字架の重みに耐えかねて、膝をついた場所」であるとか、「処刑間近で市民から虐げられながら、小道を歩いたイエスに信心深い市民がこっそりと手を差し伸べた場所」であるとか。
沢山の巡礼者が、イエスの歩いたとされるこの道を辿って歩いていきます。
我々も、ヴィア・ドロローサの途中から、終点である正墳墓教会まで歩いてみることにします。
脱線して、ヴィア・ドロローサの道中のお土産屋さんで見つけたTシャツ、面白いのもあれば、なかなかシニカルなものも…。
ちなみに素敵なパン屋さんも見かけました。頭にのっけて運んでる。こんな穴のあいたパン、中東は色々行きましたが、初めてみました!
また、途中、ムスリムの聖地である、岩のドームもあるのですが、残念ながらムスリムでないと中に入れないということで、遠目から見るのみで終わってしまいました。
脱線から戻ってきて。
留にはそれぞれローマ数字でいくつめの留なのかが示されています。例えば↓の二つは左の留がVI(6つめ)、右がVII(7つめ)ですね。各留で、賛美歌を歌っている巡礼者のグループもちらほら見かけました。
ゆるやかな坂道を登り続けると、さあ、イエスの墓の上に建てられたとされる、クリスチャンの聖地、正墳墓教会へ到着です。この教会は、カトリック教会・東方正教会・アルメニア使徒教会・コプト正教会・シリア正教会等の共同管理になっています。正教会では「復活教会」とも呼ばれるようです。
ここで規模的には大きくないアルメニア教会が出てくるのは、やはり世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国だからでしょうね。アルメニア旅行で学んだ事がここで生きました!笑(アルメニア旅行記のリンクはオマケでこのページの下部に載せておきますね)。
教会内では、沢山の壁画が、イエスの死の前後を描いています。
イエスが十字に架けられ、息を引き取ったとされる場所には、ギリシャ正教の祭壇があり、信者たちが、長い列を作っています。何故なのかと思ったら、祭壇の下は岩肌になっていて、十字架が立っていた場所に直接触る事ができるからなのでした。
この真ん中の大きな石は、十字架からおろされたイエスを横たわらせ、その聖骸に香油を塗ったたとされています。信者たちが悼み、嘆きながらこの石にふれる姿が。
ちなみに今も毎日香油がふりかけられていて、近づくとほんのり香ります。
順路を進むと、ひときわ天井の高い空間に出ます。
そして、その空間の真ん中には、なにやらまた聖堂の様な小さな建物が。
これがヴィア・ドロローサの最終点、最後の留、イエスの墓である復活聖堂・アナスタシスです。私が訪問した時は、修復作業中だったので、ちょっと見た目が悪いですが。ここもものすごい列です。
また、教会内部には、聖地エルサレムをムスリムから奪還するために派遣された十字軍の戦士たちが残した十字架の痕がいたるところに。征服に成功した事を記念して、みんな刻んでいったのでしょうね。歴史を感じて、指でふれてみました。
この教会、クリスチャンの聖地であるゆえに、各宗派の派閥争いがすごいらしく、教会内はきっちりとそれぞれの宗派の管理区画が定められているのだそう。確かに、部屋毎で全然内装やら雰囲気が違うのはそういうことなんですね。
教会内の重要な場所(墓とか十字架建ってた場所とか)は、権力の強い宗派が管理しているのだそうで…。こんな場所だけど、どろどろしている…笑。
また、管理にも細かなルールがあり、基本的に各宗派の判断で行う変更や修理の類は、全宗派の合意を取得しない限り、一切許されないとのこと。たとえ壊れても…。
"STATUS QUO(現状維持)”っていうラテン語のフレーズを聞いた事のある方は多いと思いますが、ここから来ているんですね。
さすがに火事が起きた状態のままにされている椅子の置かれた部屋↓を見て、複雑な気持ちに。
その上、建物の2階には、中途半端にかけられたはしごが。これはあまりお金のないアルメニア教会が、自家栽培で野菜をつくっている場所へ向かう道へのはしごなのですが、STATUS QUOの号令が突然かけられた為、はしごをはずす事さえも、全宗派の合意がないと、かなわないんですって。うーん、すごい世界。)
↓話題のはしごは写真の右上の窓のすぐ下にかけられています。
それから、正墳墓教会で面白かったエピソード。
教会の扉は毎朝晩、内側と外側から鍵を施錠・解錠するのですが、内側は各宗派が順番で担当、外側の鍵は近くに住むムスリムの家族が持っていて、世襲で毎日この扉の開閉を請け負っているのだそう!↑写真の左下の扉が、その扉です。
いくら他宗派に鍵を渡したくないからって、クリスチャンですらない、ムスリムに頼むって、なんて面白いんだろう、と思ってしまいました。
そして、エルサレムの日常では、ユダヤ人も、クリスチャンも、ムスリムも穏やかに仲良く暮らしているんですね。
長々と書きましたが、聖墳墓教会はこの辺で。
次はエルサレムを離れ、パレスチナ自治区へ向かいます。地区内に入って見つけた壁画。パレスチナ自治政府の旗ですね。至って平和な雰囲気でした。
パレスチナに来たのは、ベツレヘム、そう、聖母マリアがイエスを生んだ伝説の地とされる場所に建てられた、生誕教会を訪問するためです!こちらも世界遺産。(Wikipediaには降誕教会とあり、こちらが正式名称なのかも?)
中に入っていくと、薄暗い地下へ進む小さな階段にまたしても長蛇の列が。
階段を降りて地下の空間に入ります。この星↓の上でイエスは生まれたと言われています。
灯されたろうそくが、なんだか幻想的。巡礼者で一杯で、イエスの生誕を祝う賛美歌を合唱するグループもおり、教会の中は、厳かだけれどとても温かい雰囲気でした。
教会の外に出ると、キリストの生誕を再現したプレゼピオが。(プレゼピオはキリスト教圏でクリスマスによくみられる、あのジオラマみたいなやつのことです。)
この降誕教会は、真向かいにモスクがあり、共存する複数の宗教的施設の存在に、なんだかとても不思議な気持ちになりました。
そしてパレスチナを離れる前にもう一箇所…。
ヨルダンとの分離壁もみてきました。物々しい雰囲気の壁、セキュリティカメラ、有刺鉄線。
壁には絵が。バンクシーはみれなかったけどね!
パレスチナの旗を持つ女性が、銃を向けられていますね。
ベルリンでは壁が崩壊し、パレスチナでは壁が建設される。
どこかで壁がなくなり、どこかでまた新たな壁ができる。
「エルサレム」という名前は、「平和のあるところ」を意味する言葉なのだとか。
壁のない、自由な世界が来る日は、そしてエルサレムがその名を体現する場所となる日は、はたしてやってくるのでしょうか…。そんな事をしみじみ考えたパレスチナ自治区訪問でした。
さて、また文字数多めになってしまった今回の記事はこの辺で終わり。
今回の旅行記、あと1記事だけ書く予定です。奥深きユダヤの世界について。
◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~(この記事)
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~
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私も、今なら社食のカレーですら美味しさのあまりほっぺが落ちる確信がある。
おまけ!本文でふれた、世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国、アルメニア。
◆アルメニア旅行記
アルメニア旅行記①〜エチミアジンの世界遺産群〜
アルメニア旅行記②〜イェレヴァンあれこれ〜
アルメニア旅行記③〜アララト工場〜
アルメニア訪問記④〜もう一つの世界遺産〜
アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜
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