バルト海の真珠:ラトビア・リガへ〜その2〜 便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

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2024年04月25日
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バルト海の真珠:ラトビア・リガへ〜その2〜

2015年08月14日
引き続き、ラトビア・リガ編。


朝はお散歩がてら、ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)建築群を見にいきました。建築の知識は乏しいのですが、ウクライナに来てから建築デザインに関心を持つようになりました。無機質なソ連スタイルがそのきっかけというのも皮肉ですがね...動機はなんでもええんです。




そして奥様と母上はまったく興味のない、戦間期にアメリカ大使館が入っていた建物まで歩いて行きました。ここは1939年夏に学生時代のJ.F.ケネディが滞在したところとして有名です。彼は第二次世界大戦前夜にここで何を考えたのでしょうか。個人的には、アメリカのソ連専門外交官で、ソ連の封じ込めを説いた「X論文」で有名なジョージ・F・ケナンがここに勤務していたことのほうが思い入れがあるのですが。恐らくここでの勤務経験がその後の活躍につながったと思うので。








そしてまた世界遺産に登録されている旧市街に戻ってきました。
残念ながら工事中だった、リガ大聖堂。ここは、ルター派(ルーテル)教会ですね。
この国は、「ルター派>カトリック>ロシア正教」ですからね。


なかには美しいステンドグラスとかなり大きいパイプオルガンが。





そしてブランチ!パンケーキ屋「シェフバァールス・ウィルヘルムス」で、たらふく食べました。
  

そして奥様と母上がラトビア・デザイン・ミュージアムを見ている間、旦那は軍事史博物館へ。展示内容は興味深いものばかりでしたが、あまりストーリー性はなく、その意味で面白みは半減。

 

そして、1991年バリケード博物館。
つい25年ほど前に起こった出来事ですよ。あまり個人的な記憶はないのですが、ドキュメンタリーなんかをみていると、かなり激しい闘争があったようで、あそこで戦い抜いたからこそ今のラトビアがあるんだなと実感。


再び旧市街へ。この日は快晴だったことから、前日とはまた違う雰囲気を感じました。


街には花も一杯。空とのコントラストが本当に美しい。
女性が好きそうな街並みですわ。


そしてここからも個人行動。
疲れた奥様たちがかわいいカフェで休憩している間に、旦那はかつてのKGBの建物(通称「コーナーハウス」)にいってきました。

建物自体は薄暗く...



ここで厳しい取り調べや拷問などが行われていたようで、ここで亡くなられた方の記念碑も。




建物のなかにも入れます。
ここは人気の観光スポットのようで、ツアーは完売。
残念ながら独房等はみれず...


これにて全日程終了。

ラトビア・リガは想像以上に美しいまちでした。
他のバルト三国、エストニアやリトアニアはどんなんかなぁ。
今から訪問が楽しみです。




◆バルト三国訪問記
◇ラトビア編
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その1~
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その2~(このページ)

◇リトアニア編
リトアニア訪問記①~シャウレイの十字架の丘とカウナス~
リトアニア訪問記②~首都ヴィリニュス街歩き~
リトアニア訪問記③~KGB博物館~




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