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リトアニア訪問記③~KGB博物館~

2016年11月29日
夫が最近周囲の人に「ブログ書かないんですか」と言われている模様。
皆さん!もっと言ってやってください!笑。



リトアニア訪問記、最後は夫に「行けない俺の代わりに行って来てくれ!」と頼まれたKGB博物館レポートです。かなり気が滅入る内容なので、苦手な方はご注意下さい。


Google mapに登録しておいたナビを片手に歩いていくと、なにやら全面に字が彫られた建物が見えてきました。

近づいてみると、全て人の名前。リトアニア語の説明の上に、英訳を発見したので読んでみると…"May the names of Lithuanian patriots shot to death in this former KGB building bear witness to duty fulfilled to the motherland, its honour, freedom and independence"と書いてあります。簡単に訳すると、「この旧KGBの建物で銃殺されたリトアニアの愛国者達の名を、彼らが祖国の名誉・自由・独立の遂行に命を捧げた証として記す」、といったところでしょうか。

おっと、これは入館する前からなかなか暗い気持ちになれますね。

もう少し進むと、看板が。博物館の正式名称は"The Museum of Genocide Victims"です。 


更に進むと、沢山の花がたむけられた記念碑があります。リトアニア語しか書かれていませんが、文字列から推測するに「ソ連の占領時代」の慰霊碑のようです。


慰霊碑の横を更に進んでいくと、博物館の入口を発見。重いドアを開けて入ります。
 

入館料は4€。写真撮影は追加で2€です。夫の為に気を引き締めて進みます。1階&2階は常設展です。

リトアニアの第二次世界大戦頃からの歴史をおさらいしながら展示の並んだ部屋を進みます。リトアニアの歴史は、簡単に記せないほど複雑です。出来る限り奥様が付け焼刃で頑張って整理したWW1以降のリトアニアの歴史を記すので、長いですが興味のある方だけどうぞ↓

おさらいがてら、周辺地図をまず↓


1918年、第一次世界大戦中にロシア帝国から独立するも、その後ポーランドに侵攻され、現在の首都ヴィリニュス(南東部)を失い、首都をカウナスに移す。その後1939年にナチスに侵攻され西部都市クライペダを失う。同年、ソ連が侵攻し、ヴィリニュスはリトアニアに一旦返還されるも、すぐにソ連占領下で独立を失う。しかし、翌年1940年、ドイツがソ連侵攻開始、バルバロッサ作戦を展開し、リトアニアは一転ドイツ占領下となる(この間ホロコーストでリトアニアのユダヤ人20万人弱が殺害される)。1944年、再びソ連が侵攻、リトアニアはソ連に編入される(以降、パルチザンがソ連当局と戦いを繰り広げ、多くが逮捕・強制追放される)。その後、1986年のゴルバチョフによるペレストロイカ以降、漸く徐々にリトアニア国内で独立運動が活発化し、1990年に独立回復宣言がなされると、翌年ソ連はKGB部隊をヴィリニュスに派遣しテレビ塔を攻撃、13名の市民が犠牲となる(血の日曜日事件)。翌1991年、ソ連は漸くリトアニアの独立を承認した。

リトアニア国内の都市の位置関係が分かるよう、↓もご参考まで。
 

ご理解頂けたでしょうか?このナチスとソ連に一体何度侵攻されれば良いのかという、血みどろの歴史。大国ロシア・ポーランド(&ドイツ)に挟まれる恐ろしさ。

そしてナチスドイツ侵攻以降、リトアニアで犠牲になった方々の統計はこちら↓

ざくっと引用します。
■ソ連時代:逮捕・尋問・投獄→20万人(内死亡者→2~2.5万人)、強制移住→13.2万人(内死亡者→2.8万人)、殺害されたパルチザンとその協力者→2.2万人
■ナチス時代:投獄・強制収容所送り→3万人、殺害→24万人(内ユダヤ人20万人)、強制労働所送り→6万人
ぞっとしませんか。だって、リトアニアの現在の人口はたった3百万人弱ですよ。
 

このKGB博物館は、ソ連に編入された後の暗い時代の証拠の一つです。
左下写真はソ連に編入されていた時代のリトアニア(リトアニア・ソビエト社会主義共和国)のマーク。右下の写真は、当時のリトアニア共産党の組織図。
 

KGB職員の机の再現。レーニンの顔が描かれた新聞、手錠、拳銃と黒電話。
 

コートを預けられるクロークの上には、KGB職員のコートが飾ってありました。
 

こちらは、ソ連時代の諜報活動を担っていた、秘密警察の盗聴担当者の部屋。
リトアニアが舞台ではなかったですが、「善き人のためのソナタ」という映画を思い出しました。東ドイツで盗聴を行っていたシュタージ(秘密警察)の主人公が、盗聴先で流れる音楽の美しさに徐々に心がゆらいでいくというストーリー。良作なので、おすすめです。




そして、ついてに私が最も恐れていた場所、KGBの地下房へ。夫はラトビアのKGB博物館も訪問したのですが、その際のKGB地下房は予約制で入れなかったらしく、ぜひとも俺の代わりに!と言われたので、気が進まないものの、薄暗い階段を下りてゆきます。


うっ!早々に独房(↓写真左)。懲罰用でしょうか。試しに入って扉を閉めているおじさんがいました、勇気あるなあ。私は無理です。それから、警備員の部屋にはKGBのコートがかけてあります(↓写真右)。


細長い廊下には、監視窓のついた嫌な色のドアが開かれています。うう、進みたくない。


ソ連時代は様々な人が収監されていました。いくつかの独房は、特定の人々を収監していたようで、3番独房はユダヤ人用の部屋だった模様。それ以外にも聖職者(ソ連時代は宗教に対する弾圧があったので)を収監する部屋なんかもありました。
 



更に進んでいくと、収監時を再現した独房が…。


うっ、更なる難所。拷問に使われていたと思わしき、防音・遮光加工のされたお部屋…。ドアはクッションみたいになっていて、閉じてしまうと、叫んでも外には全く聞こえません。なんだか、染みみたいなのが沢山見える…よし、見なかった事にしましょう…。



廊下の行き止まりまで進むと、捕まって殺害されたパルチザンの方々のお写真が飾られています…。写真は撮りませんでした。というか、正直直視するのが辛いほどの、蜂の巣状態&拷問後のお写真の数々…。目を背けて、ルートを進みます。


もはや半泣きになりながら、進む奥様。次は…ぎええー!行きたくない!!
処刑場はこちら、の看板。ドアは薄暗いし、誰もいないし、無理無理無理ー!(涙)
 
(奥様は、「アイアムアヒーロー」の1巻を読んで3晩連続うなされたほどの怖がりです。)
夫に「行かなくていい?」とLINEしてみるも、「せっかく来たんやから行きーや」とすがない返答。勇気を出して、薄暗いドアをあけます…。



入口には処刑執行日、名前等が実に無機質に記載されたタグが掲げられています。

そして処刑場、思っていたのと違いました。壁に穴が空いているだけ。
きっと、ここに人を立たせて、頭を撃っていたのでしょう。大人の人間の頭の高さあたりに、壁の穴は位置しています。なんだか黒っぽい染みの事は、やはりこの際深く考えない事にします。

一体ここで何名の方が命を落としたのでしょうか。
統計のパネルによると、ソ連による占領時代に逮捕されて亡くなった方の数は2万~2万五千人…。もう一度言います、リトアニアの現在の人口はたった3百万人弱です。恐ろしい数の人々が不当に逮捕され、拷問され、亡くなっていった事を考えると、涙が出ます。

うっ…なんて負の遺産…(涙)。ポーランドでアウシュビッツを見学した時、カンボジアでトゥールスレン(クメールルージュの強制収容所)を見学した時と同じ、息苦しく、胸が痛くなり、勝手に涙が出てくるような場所でした。


人間のおろかさについて、改めて思いをはせ、この時代に生まれなかった事にほっとし、生き抜いた方々へのリスペクトを胸に、KGB博物館を後にしたのでした。


The Museum of Genocide Victims
http://genocid.lt/muziejus/en/




以上、これにてリトアニア訪問記終わり。残るエストニアもいつか制覇します!


◆バルト三国訪問記
◇ラトビア編
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その1~
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その2~

◇リトアニア編
リトアニア訪問記①~シャウレイの十字架の丘とカウナス~
リトアニア訪問記②~首都ヴィリニュス街歩き~
リトアニア訪問記③~KGB博物館~(このページ)




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