カルパチア登山①~たどり着くまでが遠いよ!~ 便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

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2024年03月28日
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カルパチア登山①~たどり着くまでが遠いよ!~

2018年01月22日
10月の末、ウクライナに新しく祝日が出来ました。
その名も「祖国防衛者の日」。

なかなかインパクトありますね。ウクライナは今も東部では断続的に戦闘が続いているので、国民の愛国感情を高めようというのが、きっと主旨なんでしょうね。

という訳で、三連休になりました。同僚が前々から声をかけてくれていた、「カルパチア登山」にでかけたいと思います。

カルパチア山脈は、スロバキア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニア、チェコ、ハンガリー、セルビアにまたがる巨大山脈です。ウクライナでいうところの、↓このあたり。


この山脈の中で、ウクライナの領土の中で一番高いのが、ガヴェルラ山です。標高2061mです。
私は海も大好きですが、山の麓で生まれた山女なので、ウクライナにいるうちに、やっぱりウクライナ最高峰に登ってみたい!と思っていたのでした。


金曜日の夜、仕事のあと、同僚とメトロに乗って、旅客駅へ向かいます。
完全にみんな登山スタイルな中、満員電車で完全に浮いてました笑。私の装備はこんな感じ↓
 
くしくも青x黄色のスーパーウクライナ愛国的カラーコンビネーションになってしまいました。(わざとじゃないんです。ウクライナ赴任になる遥か昔に買ったものなんです…。)


いえーい!出発!4人のコンパートメントを借りて、夜行列車で出発です。
メンバーはクリミア出身の山とバイクを愛する山男、そして私と同年代のウクライナ女子が二人、そして私です。あとひと家族は、現地集合予定です。
 


おつまみ片手にわいわいおしゃべり。ソ連時代のキエフの話とか、幼少時代の話とか、家族観、恋愛観、色んな話で盛り上がって、抱えているバックグラウンドや文化は違えど、同じ人間、共通するものは山ほどあるなあと思って、とても嬉しくなった。

特に面白いなあと思ったのが、キエフっ子の同僚女子の祖母の話。
祖母はキエフ郊外に住んでいたそうで、第二次世界大戦中、ナチスドイツが進攻してきて(ウクライナはまさにドイツ軍とソ連軍がぶつかり合った場所ですね)、ドイツ軍が祖母宅に駐留していたとのこと。
ドイツ軍はウクライナ人にとっては、敵国の兵士な訳だけど、とても礼儀正しくて、機械の使い方を教えてくれたりしたらしい。一方で、ソ連軍は地方で略奪を繰り返していたものだから、「どちらが敵でどちらが味方がよくわからない」と。「戦争が、そして国のえらい人が、勝手に誰が味方で誰が敵かを決めるのだと思った」、と祖母は言っていたそうです。

面白いですよね。勿論ドイツ軍率いる枢軸軍側も、ソ連軍側も悪名高い蛮行の数々があることは認識しているので、どちらが正義だとか言うつもりは全くないです。



翌朝、早朝6時に、南西の街、イヴァノ・フランキヴスクに到着。カルパチア登山をする人は、この街を拠点にする事が多いようです。
登山口までのバスを待ちながら、早朝からあいているカフェを探しに、街中へ。
夜明け前に見えてくるは…ソ連…。ばーん!!



これはソ連時代共産党が使っていた建物で、今では市庁舎として使われているようです。イヴァノ・フランキヴスクはソ連時代ウクライナで最も反ソ連運動が活発な都市だったそうで、だからこそのこの規模感かもしれないなあと思いました。
 
ちなみに、イヴァノ・フランキヴスクという街の名前は、ウクライナ人作家の「イヴァン・フランコ」の名前を冠しています。昔は、スタニスラーヴと呼ばれていました。歴史上は、ポーランドになったり、オーストリア=ハンガリー帝国になったり、ソ連になったり、ドイツに占領されたりと、なかなか複雑な歴史を持つ地域です。イヴァン・フランコは、そんな中、ウクライナ民族解放活動の第一人者でもありました。


西ウクライナの歴史は本当に面白いですよ。もっと学びたいです。
有名な小話に、こんなものがあります。
「私はオーストリアで生まれ、ポーランドで育ち、ハンガリーの学校に行き、ソ連で就職し、今ウクライナに住んでいる」
「大変な人生でしたね」
「いや、私は生まれてから今まで一度もこの街を出たことがない」
まさに、この辺の地域に住んでいた人に発生した話ですね。100年弱の間に、こんなに帰属国が変わった地域もすごいですよね。



コーヒーを飲んだら、夜が明けてきて、紅葉の美しい町並みが見えてきました。

おしゃれな地元の人のやってるカフェはこちら。市庁舎の真横にあります。
私の持っているウクライナコーヒーガイドにも載っていましたよ。
Urban Space 100


さあ、またこれから長旅です。登山口まで連れていってくれるバス停へ向かいます。

このバスです!うーん、予想通りおんぼろ!

ムカチェボ行きに乗ります。3時間の長旅です。



イヴァノ・フランキヴスクから3時間、道中景色は綺麗だけど、どんどん道は悪くなり、人が増え、私は巨大なバーブシュカ(おばあちゃんの意)にカーブの度に押しつぶされるという修行に耐えながら、生気も抜け切った頃、ようやくラヒウの街に到着しました。


ちなみにおばあちゃんはロシア語でもウクライナ語でもない言語でしゃべっていたので、疑問に思っていたのですが、カルパチア地域はハンガリー系住民が多く、どうやらハンガリー語をお話になっていたようです。(ちなみに、この地域には少数民族も住んでいるんですよ。)

ラヒウの街はこんな感じ↓



ラヒウの街で、ランチをとって、さて最後の移動です。タクシーで登山口まで1時間ほど。
ようやくロッジに到着!電波はとうに入らなくなっています。道もアスファルトではなくなりました。


私のお部屋。とてもシンプルなロッジです。



登山の本番は明日ということで、今日はトレーニングがてら、トレッキングしようということで、山男が指揮をとって、軽く近くを歩き始めます。


あ、看板が出ている。そうなのね、カルパチア山脈は、ユネスコの世界自然遺産に認定されているのね。



しかし歩き始めて気付きました。木がめちゃくちゃになぎ倒されている!!
登山と言うより、もはや冒険…。木の下をくぐったり、上を越えたり・・・。

実は、我々が訪れる前の週に、大きな台風がカルパチア地方を直撃し、山を破壊していったのでした…。

登山ルートを示すマークが描かれた木も容赦なく倒れてしまい、まだメンテナンスが終わっていないようです。山男判断で、今日のトレッキングは諦める事にします。今日の活動終わり!!下山!!


下山したところ、山男が翌日のガチ登山についてのレクチャーを始めます。
山男「まず、本当の登山口まで16kmあるから、明日は登山口まで歩いてから、登山開始ね。」
女子一同「「「は?」」」

山男、女子から大ブーイングをくらい、急遽、ロッジの前に停まっていた軍用車に、明日登山口まで乗せてくれないかと依頼。

マジか~。明日これに乗って登山に行くのか~。
私たち、どうなっちゃうの~~~!?(次回へ続く)



=おまけ=

ところで、唐突ですが、私はきのこが大好きです。食べるのだけでなくて、眺めるのも。
そして、カルパチア山脈は、素敵なきのこの宝庫だったのです!
私が嬉しそうに写真撮るから、同僚たちも、終いには「こっちにあるよ!」と素敵なきのこを発見したら、声をかけてくれるようになりました。ありがとう。

そういう訳で、私の素敵なきのこフォトコレクションをおすそ分けしたいと思います。

どう!?すごいでしょ!?このバリエーションの豊かさ!!最高でした。



そして、マイベストキノコもお見せします。こちら。

素晴らしい。1UPできそうです。美しいですね。




そんなこんなで、カルパチア登山記録はその②に続きますね。
もう二度と登らないよ!


カルパチア登山②~過酷な登山とヨーロッパの中心~へ


<<おまけ>>
ザカルパチア地方を夫と旅した際の旅行記もあります(夫が書いた記事です):
西ウクライナ旅行記①〜ザカルパチア州ウジュホロド〜
西ウクライナ旅行記②〜ザカルパチア州ムカチェボ近郊からハンガリー国境へ〜
西ウクライナ旅行記③〜ザカルパチア州ハンガリー国境沿い温泉地〜
西ウクライナ旅行記④〜番外編:スロバキア東部へ、天空の城ラピュタ!?〜
西ウクライナ旅行記⑤最終編〜ムカチェボからリビブへ〜





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