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中欧に吹く秋の風〜プラハの秋③〜
前日、石畳を歩きすぎて、足が棒になっています。
同じ状況になっている観光客は多いんでしょう、タイ・マッサージ店があちこちにあります。
で、今日はプラハ観光のメイン「プラハ城」へ入城!
朝から行ったほうがいいよ、ととあるブログで見たので8時半から行動開始!
前日夜に訪れたカレル橋は観光客でごった返していましたが、朝はさすがに人もまばら。
そして幸運にも、雲一つない青空で、プラハの街並みが映えます。
ごっつ綺麗やん。
世界一美しいと言われるだけあります。個人的にも過去最高の美しさだと思います。
プラハには地下鉄が通っていますが、トラムやバスが縦横無尽に街を走っており、めちゃ便利です。逆に、車の運転は難しいやろうなぁ。
足をいじめぬいて、城に通じる道をなんとか登ると.....
絶景が広がっていました。
そしてプラハ城へ。
プラハ城内にあるシンボル、聖ヴィート大聖堂。
残念ながらミサのため中には入れず。午後に戻ってきましたが、この日は非公開だったのか、
結局中はみれませんでした。
そして旧王宮のパーティーホールから望むプラハ市内。
こんな景色を見ながら毎日過ごしていた王族たち。
議会・裁判の部屋
聖イジー聖堂
黄金の小路。青の家が、かつてカフカが住んでいた家。前住んでいたところがうるさくて、ここに移って来たらしいよ。
そしてプラハ城を見終え、市内に再び戻り、今度はユダヤ人街へ。
他の東欧諸国と同様、かつてこの街には多くのユダヤ人が住んでいました。
が、ナチス・ドイツが強制収容所送りに...
下はシナゴーグですが、犠牲になった方の名前が刻まれています。
別のシナゴーグ。ユダヤ人街には大小4つほどのシナゴーグがあり、それぞれ趣が全く異なります。
そして妹の強いリクエストで、ストラホフ修道院。男性の修道院だったようです。
こちらは「哲学の間」
そしてこちらが「神学の間」
言葉を失ってしまうほど非常に神聖で優雅な雰囲気。
さて、この美しい景色ともお別れしなければなりません。
最後にビールを飲んで、さようなら。
たった二日間の滞在でしたが、プラハはロマンティックな街でした。
朝、昼、夜とその表情がかわります。どの時間帯も素晴らしい景色を披露してくれます。
また戻ってきたいなぁ。今回プラハに行く企画をした妹と父に感謝。久しぶりに一緒に旅行できたのも嬉しかったです。
最後に...チェコのアニメ「クルテク」にお別れです。また会う日まで。


中欧に吹く秋の風〜プラハの秋②〜
プラハを離れ世界遺産の街「チェスキー・クルムロフ」に一泊していた家族と落ちあいました。
なんでも一緒に「共産主義博物館」に行きたいとのこと。
レーニンがお迎えしてくれました。1980年のモスクワ・オリンピックのマスコットキャラクター「こぐまのミーシャ」が銃を持っている絵がここのポスターで使われています。皮肉ですね。
キエフと違って、共産主義感をまったく感じさせないプラハの街。やはりボヘミア王国やオーストリア・ハンガリー帝国の影響があり、大規模な戦闘行為が行われず昔の街並みが残っているのが大きいのかもしれません。共産主義っぽいのはTV塔だけです。これだけ本当「醜い」です。
ところで、共産主義博物館のクオリティはあまり高くありませんでした。政治・社会両レベルからの解説がありますが、規模は小さく、色々なものをかき集めてなんとか作った感じです。普通に行けばおもしろいのでしょうが、ウクライナから行くと幸か不幸かリアリティを感じれないのです(笑)もうすこしチェコスロバキア時代の詳細解説があってもよかったかな。
(なんでもとあるホテルの下に、かつて国防組織があった地下室が公開されていて、そこは評判は良さそう。ただツアーをしている日が限られていて、参加できず...)
で、キエフとプラハのもう一つの違いは、なんといっても観光客の多さ。
それはそうだよなと思いつつ、プラハがこんなに人気だとは知らなかった。
密度でいうと、パリよりも多いのでは?!
特に韓国人がめちゃめちゃ多いのです。なぜかと思い調べてみると、大韓航空とチェコ航空が「スカイチーム」で提携しており、wiki情報によると前者が後者の筆頭株主というのです。恐らく韓国内でチェコの観光PRがめちゃめちゃやられているんだろぉな。空港や街なかの表記にはハングルで書かれたものも...。ここはアジアですかというくらい多いですよ。
あとラトビア同様、観光客を受け入れる体制が非常に整っている。英語は皆上手いですし、様々なオプションツアーに気軽に申し込めるよう、街なかにキオスクのようなものがたくさんあります。旧市街ツアー、ユダヤ人街ツアー、クルージング(ランチ・ディナー)、幽霊ツアー、郊外ツアーなどかなり種類は多かったです。もちろん英語対応ですが、他の言語もあるようです。ウクライナでは大概ロシア・ウクライナ語オンリー。もっとがんばれぇい!
観光客が多いので、夕食時間を外して「ホスポダ」と呼ばれるチェコ版居酒屋へ。
チェコといえば、ビール!!!!!!!!
国民一人あたりのビール消費量は世界一!街の至るところにビアホールがあります。
しかもそれぞれの店で作っている自前のビールも。ちゃんと味の解説がメニューに書いているし、何よりエスプレッソより安いため、色々試すことができます。
そしてディナー。美味しかった。ウクライナやバルト三国とはまた違う料理ですね。
ハンガリーとかに近いのでしょうか。
ディナー後はまたまたお散歩。夜のカレル橋、そしてチェコ城を眺めにいってきました。
そして家族で「二次会」というのはやったことがないのですが、早めのディナー、そしてお散歩でお腹も少しすいたので、またまた「ホスポダ」へ!
妹が持ってきたガイドブックにのっていた、ビールの種類が豊富で飲み比べができる店へ。
父はコーヒービールを頼んでいましたが、これが不思議と美味しかった。
すっきりしていて、喉ごしの良いコーヒーです。。
そして下の写真は、ビール飲み比べセット。珍しいものとしては、バナナ・ビール。
風味だけでなく、味もしっかりバナナでした。どうやって作っているのだろうか。
ちなみに隣の席には、黒ビールを夫婦二組で4リットル飲んでいる強者グループが。さすがチェコですね。そして写真下は、ビール飯!ソーセージもスパイス効いていておいしいし、チーズ揚げも名物なのかな、どこの店にもありました。
幸せすぎるぞ。
〜プラハの秋③へ〜
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中欧に吹く秋の風〜プラハの秋①〜
土曜朝4時発、スロバキアのコシチェという街を乗り換えなしの経由をして、6時に到着(時差一時間)、日曜夜10時初、キエフに夜中着という弾丸スケジュール。
ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ空港。ハヴェルは劇作家で「憲章77」を起草し、1989年の「ビロード革命」(民主化革命)を主導した中心人物。その後、初代チェコ大統領を務めました。
空港から市内までは30分。シャトルバスだと300円ほど。
寒いですねぇ。日中15℃くらい..皆秋コート着ています。
市内に到着しました。ホテルが旧市街のどまんなかに位置していて、大変便利。
早朝散歩。朝は静かな街。この時、まさかこの街に大量の観光客が眠っているのを知らず...
共和国広場にある市民会館。なかにはコンサートホールがあったり、ビアホールが入っています。音楽の都でもあるプラハでは街の至るところでコンサートが開かれているようです。
火薬の塔
旧市街広場。世界史で学んだ、チェコの宗教改革者で最終的に火あぶりの刑に処されたヤン・フスの像。彼はチェコでは英雄扱い。そしてこの広場には、ティーン教会と聖ミクラーシュ教会があります。
中世の天文時計。戦争でダメージを受けるも、なんとか修復。
フランツ・カフカはプラハ出身のユダヤ人。
ユダヤ人街に像があります。
そして1968年1月に第一書記に就任したドゥプチェクが進めた「プラハの春」という変革運動をおさえるため、同年8月にワルシャワ条約機構軍が軍事介入してきた場所、ヴァーツラフ広場。旦那にとっても特別な場所。また1989年の民主化革命のデモもここで繰り広げられた。チェコの歴史を見てきた広場です。
ソ連の侵攻と占領に抵抗して、焼身自殺したカレル大学の学生ヤン・パラフを祀る。
ヴァーツラフ通りはいまは市民の憩いの場所になっており、ホットドッグスタンドやカフェ、レストランが並ぶ。朝ごはんがわりにパクリ。
そしてプラハといえば、カレル橋。美しい。
ランチは川下りをしながら。ご飯は残念でしたが、クルーズ自体は素晴らしかった。
〜「プラハの秋」②へ〜
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「水の都」リヨンへ
リヨンはパリに続く第二の都市。パリからはTGVで二時間ほどです(東京〜名古屋くらいかな)。ソーヌ・ローヌ川が流れているため「水の都」と呼ばれたり、美味しいレストランが多いことから「美食の都」とか呼ばれてます。
旦那はフランスによく来ていますが、リヨンは初。
でもリヨン出身の友達もいて、絵葉書のようなきれいな街だよと聞いていたので、楽しみにしていました。
この街に到着すると、小高い丘に美しい聖堂が見えてきます。
街のシンボル、「フルヴィエール大聖堂」です。
ケーブル・カーもあるみたいですが、階段で必死にのぼって丘の上にたどり着くと、美しいリヨンの景色が一望できます。奥のほうは新市街で、この街は金融の中心地でもあるため、比較的新しい高いビルが並んでいます。
フルヴィエール大聖堂
最近、東方正教会に見慣れてしまったため、こういうのが新鮮。
リヨン・サンジャン大教会。
そして世界遺産に登録されている旧市街。ホテルもこのあたりで、古くて狭い建物を上手くリノベしていました。
「美食の都」だけあって、旧市街にはリヨン料理が食べれるレストランが軒を連ねています。
ソーヌ川。川がある街はいいよね。時間がゆる〜く流れている気がします。
リヨンの有名人を描いた壁画。『星の王子さま』が代表作のサン=テグジュペリもリヨン出身。リヨンの空港名は彼の名前からとっています。
そして旧市街のなかで長蛇の列になっていたジェラート・ショップ。
店の名前は「Terre Adelice」。過去最高レベルの味。季節のおすすめ、メロン味は絶品です。
あぁ、日も暮れてきました。
夜の旧市街、すごく落ち着きますね。
リヨンは想像以上に素晴らしい街でした。ヘタしたらパリ以上かも。街のサイズもちょうどよく、旧市街は落ち着いた雰囲気で、住みやすそうだなぁ。
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フランスの結婚式
フランスのボジョレー地方に行ってきました。
「ボジョレー・ヌーボー」で有名なところですが、目的は親友二人の結婚式。
ふたりともフランス人の外交官ですが、パリ、そして東京で机を並べて勉強した仲です。
久しぶりのフランス。
キエフからパリまで飛行機で3時間。そこからリヨンまでTGV(高速鉄道)で2時間。そこでコートジボワールから参列する友人(日本人)と落ちあい、レンタカーで1時間。
ダンナ、初めての左ハンドル。めちゃ緊張です。イライラします。どんどん中央の車線に近づいてしまいます。リヨン市内は道が狭く、危ない場面もありましたが、なんとかクリア。高速に乗れば道も広がり楽になります。
そして見えてきた、ボジョレー地方。ぶどう畑が視界に広がります。
あまりにも美しいので、我慢できず途中でワイン・カーヴ(貯蔵庫)に寄りました。
奥様、そして友人と女子達はワインの試飲。ダンナは運転のため、ぶどうジュース。
周りのフランス人は車できていても、試飲はいいでしょ的な感じで、普通に飲んでますが...
「ヌーボーじゃないボジョレ」をはじめて飲んだと女子達はわいわい。
ぶどうジュースも美味しかったよ...
で、そこから30分くらい離れたところに結婚式が開かれる小さな村が見えてきました。
街のメイン通り。小さなスーパ、薬局、カフェ、パン屋が。
ここにもワインカーヴがありました。立派です。
そして車で丘の上まで登ると「テラス」というボジョレー地方を一望できるレストランにありつきました。ここでランチ。
やっぱり、デザートのレベルがキエフとは違う。それはそうか...。美味しかったなぁ。
で、今回フランスの結婚式にはじめて出たんですが、日本とはまるっきり違う。
今回だと、金曜夜は前夜祭で、貸し切りシャトー(お城)に家族、そして前入りしたゲストが一緒になってディナー。
土曜午後一で教会での結婚式。そこからシャトーに移動して、お庭で生演奏を聞きながら夜まで旧交を温めます。パリや東京で一緒に学んだ友人もいっぱい来ていました。皆、優秀で世界各地で活躍中。だいたい最初の質問は「いまどこ住んでるの?」。パリはもちろん、東京、大阪、北京、アディスアベバ、アビジャン、ベルギー、でキエフ...みんなはるばるやって来ました。我々には「キエフ大丈夫なん?」「で、キエフで何やっているの?」との質問が飛び交いましたが...
幼なじみの友人が出し物をしたり、プロのマジシャンがマジックショーをやったり、新郎新婦がサプライズでダンスしたり。
そして23時を過ぎた頃に披露宴はお開きになりますが、そこから朝までダンスパーティ(笑)
クラブDJもいて、最初は若い人たちのみならず、お母さんやお父さん、おじさん、おばさんもみんなでダンス。すごい光景だ。我々は朝3時くらいで脱落。でも5時まで踊っていた面々もいるみたい。
翌日は朝遅めに皆起きてきて、お庭でゆっくりブランチ。太陽も出てきて気持ちよかったです。世界のどこかで再会することを誓って、お別れ。新郎新婦は新婚旅行にでかけました。
次みんなに会えるのはいつかな〜。

