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2025年05月09日
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風は南から:「黒海の真珠」オデッサへ〜その2〜
2015年08月19日
「黒海の真珠」オデッサといわれるだけあって、ビーチリゾートが広がっています。
まず、「アルカディア」と呼ばれるビーチリゾート。市内中心部からはタクシーで15分。リゾート開発されているだけあって、ホテルやバーレストランなどがあります。
そして普通のビーチにいってみると、余暇を楽しむウクライナ人でいっぱい。老若男女みんな水着で日焼けしたり、飛び込んだり、本読んだり...危機のなかでも、みんなそれぞれの余暇を継続しています。波は比較的穏やかで子供連れには嬉しいかも。飛び込み出来る箇所もあって小学生や中学生が騒いでいました。
海だけではもったいないので、第二次世界大戦中のパルチザンに関する博物館(地下壕=カタコンベ)に行くため、オプションツアーに参加しました。ロシア語・ウクライナ語オンリーのツアーのため、解説は残念ながらよくわかりませんでしたが、バスで市内から30分です。地下は真夏でもひんやりしています。
60人がこの地下壕に住んで、ドイツ・ルーマニア軍への抵抗運動を展開していたそうです。結果的に、全員ここで亡くなったとか。学校も作られており、子どももいたんだなぁ。
そして最終日のディナーは、海沿いのレストランで海鮮モノを。キエフには海がなく、新鮮な魚を食べることができないので、ここでたらふく海鮮モノを食べました。かなり美味しかったけど、やっぱ刺し身が食べたいなぁ。でも、夕暮れが美しいレストランでした。
オデッサは夏のイメージですが、その通りでした。
またいつか夏に再訪したいです。
リビウ、オデッサに続いて、ウクライナ国内で次どこに行こうかな、
奥様と相談中です。
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まず、「アルカディア」と呼ばれるビーチリゾート。市内中心部からはタクシーで15分。リゾート開発されているだけあって、ホテルやバーレストランなどがあります。
そして普通のビーチにいってみると、余暇を楽しむウクライナ人でいっぱい。老若男女みんな水着で日焼けしたり、飛び込んだり、本読んだり...危機のなかでも、みんなそれぞれの余暇を継続しています。波は比較的穏やかで子供連れには嬉しいかも。飛び込み出来る箇所もあって小学生や中学生が騒いでいました。
海だけではもったいないので、第二次世界大戦中のパルチザンに関する博物館(地下壕=カタコンベ)に行くため、オプションツアーに参加しました。ロシア語・ウクライナ語オンリーのツアーのため、解説は残念ながらよくわかりませんでしたが、バスで市内から30分です。地下は真夏でもひんやりしています。
60人がこの地下壕に住んで、ドイツ・ルーマニア軍への抵抗運動を展開していたそうです。結果的に、全員ここで亡くなったとか。学校も作られており、子どももいたんだなぁ。
そして最終日のディナーは、海沿いのレストランで海鮮モノを。キエフには海がなく、新鮮な魚を食べることができないので、ここでたらふく海鮮モノを食べました。かなり美味しかったけど、やっぱ刺し身が食べたいなぁ。でも、夕暮れが美しいレストランでした。
オデッサは夏のイメージですが、その通りでした。
またいつか夏に再訪したいです。
リビウ、オデッサに続いて、ウクライナ国内で次どこに行こうかな、
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風は南から:「黒海の真珠」オデッサへ〜その1〜
2015年08月18日
今回は「黒海の真珠」と呼ばれる、ウクライナ南部の都市オデッサ。
前回は「バルト海の真珠」リガだったので、なんか「真珠」ばっかりですね。
さて、オデッサへはキエフから飛行機で一時間弱。
いつもどおり金曜夜の出発、金曜夜の到着です。オデッサの空港は本当に小さい。
結構、有名な都市だと思っていたので、びっくりです。
オデッサについては、ユーラシア・ブックレット・シリーズの一つ、嵐田浩吉『オデッサ:黒海に現れたコスモポリタン』を読んで勉強。簡潔に都市の歴史や見所がまとめられていて有用でした。これを出版している東洋書店さんが最近事業継続断念を発表したということで残念です。
港町という感じの市章

オデッサで一番有名な観光名所といえば...
巨匠エイゼンシュタインのプロパガンダ映画「戦艦ポチョムキン」でも使用された、通称ポチョムキンの階段。最後のほうで、この階段でオデッサ市民を虐殺するシーンはあまりにも有名。
階段の下からとると、階段しか見えず...
階段の上からとると、踊り場しか見えない...
そして記念碑。
この階段を登り切った先には、この街を育てあげたフランス人リシュリュー公爵の像。

そしてその先には、この街を作ったエカチェリーナ二世。

そしてオデッサといえば、19世紀末のクリミア戦争。英国から奪い取った大砲が飾られていました。黒海をめぐっては今も昔も激しい争いが見られます。
ここは、メイン通り。小さいですね。でもおしゃれなお店が並んでいます。
バスはキエフより古いものが走っています。
〜その2〜では、オデッサといえばのビーチ、そしてパルチザン栄光博物館を紹介しま〜す。
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前回は「バルト海の真珠」リガだったので、なんか「真珠」ばっかりですね。
さて、オデッサへはキエフから飛行機で一時間弱。
いつもどおり金曜夜の出発、金曜夜の到着です。オデッサの空港は本当に小さい。
結構、有名な都市だと思っていたので、びっくりです。
オデッサについては、ユーラシア・ブックレット・シリーズの一つ、嵐田浩吉『オデッサ:黒海に現れたコスモポリタン』を読んで勉強。簡潔に都市の歴史や見所がまとめられていて有用でした。これを出版している東洋書店さんが最近事業継続断念を発表したということで残念です。
港町という感じの市章
オデッサで一番有名な観光名所といえば...
巨匠エイゼンシュタインのプロパガンダ映画「戦艦ポチョムキン」でも使用された、通称ポチョムキンの階段。最後のほうで、この階段でオデッサ市民を虐殺するシーンはあまりにも有名。
階段の下からとると、階段しか見えず...
階段の上からとると、踊り場しか見えない...
そして記念碑。
この階段を登り切った先には、この街を育てあげたフランス人リシュリュー公爵の像。
そしてその先には、この街を作ったエカチェリーナ二世。
そしてオデッサといえば、19世紀末のクリミア戦争。英国から奪い取った大砲が飾られていました。黒海をめぐっては今も昔も激しい争いが見られます。
ここは、メイン通り。小さいですね。でもおしゃれなお店が並んでいます。
バスはキエフより古いものが走っています。
〜その2〜では、オデッサといえばのビーチ、そしてパルチザン栄光博物館を紹介しま〜す。
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バルト海の真珠:ラトビア・リガへ〜その2〜
2015年08月14日
引き続き、ラトビア・リガ編。
朝はお散歩がてら、ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)建築群を見にいきました。建築の知識は乏しいのですが、ウクライナに来てから建築デザインに関心を持つようになりました。無機質なソ連スタイルがそのきっかけというのも皮肉ですがね...動機はなんでもええんです。
そして奥様と母上はまったく興味のない、戦間期にアメリカ大使館が入っていた建物まで歩いて行きました。ここは1939年夏に学生時代のJ.F.ケネディが滞在したところとして有名です。彼は第二次世界大戦前夜にここで何を考えたのでしょうか。個人的には、アメリカのソ連専門外交官で、ソ連の封じ込めを説いた「X論文」で有名なジョージ・F・ケナンがここに勤務していたことのほうが思い入れがあるのですが。恐らくここでの勤務経験がその後の活躍につながったと思うので。

そしてまた世界遺産に登録されている旧市街に戻ってきました。
残念ながら工事中だった、リガ大聖堂。ここは、ルター派(ルーテル)教会ですね。
この国は、「ルター派>カトリック>ロシア正教」ですからね。

なかには美しいステンドグラスとかなり大きいパイプオルガンが。
そしてブランチ!パンケーキ屋「シェフバァールス・ウィルヘルムス」で、たらふく食べました。
そして奥様と母上がラトビア・デザイン・ミュージアムを見ている間、旦那は軍事史博物館へ。展示内容は興味深いものばかりでしたが、あまりストーリー性はなく、その意味で面白みは半減。
そして、1991年バリケード博物館。
つい25年ほど前に起こった出来事ですよ。あまり個人的な記憶はないのですが、ドキュメンタリーなんかをみていると、かなり激しい闘争があったようで、あそこで戦い抜いたからこそ今のラトビアがあるんだなと実感。
再び旧市街へ。この日は快晴だったことから、前日とはまた違う雰囲気を感じました。
街には花も一杯。空とのコントラストが本当に美しい。
女性が好きそうな街並みですわ。
そしてここからも個人行動。
疲れた奥様たちがかわいいカフェで休憩している間に、旦那はかつてのKGBの建物(通称「コーナーハウス」)にいってきました。
建物自体は薄暗く...

ここで厳しい取り調べや拷問などが行われていたようで、ここで亡くなられた方の記念碑も。

建物のなかにも入れます。
ここは人気の観光スポットのようで、ツアーは完売。
残念ながら独房等はみれず...
これにて全日程終了。
ラトビア・リガは想像以上に美しいまちでした。
他のバルト三国、エストニアやリトアニアはどんなんかなぁ。
今から訪問が楽しみです。
◆バルト三国訪問記
◇ラトビア編
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その1~
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その2~(このページ)
◇リトアニア編
リトアニア訪問記①~シャウレイの十字架の丘とカウナス~
リトアニア訪問記②~首都ヴィリニュス街歩き~
リトアニア訪問記③~KGB博物館~
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朝はお散歩がてら、ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)建築群を見にいきました。建築の知識は乏しいのですが、ウクライナに来てから建築デザインに関心を持つようになりました。無機質なソ連スタイルがそのきっかけというのも皮肉ですがね...動機はなんでもええんです。
そして奥様と母上はまったく興味のない、戦間期にアメリカ大使館が入っていた建物まで歩いて行きました。ここは1939年夏に学生時代のJ.F.ケネディが滞在したところとして有名です。彼は第二次世界大戦前夜にここで何を考えたのでしょうか。個人的には、アメリカのソ連専門外交官で、ソ連の封じ込めを説いた「X論文」で有名なジョージ・F・ケナンがここに勤務していたことのほうが思い入れがあるのですが。恐らくここでの勤務経験がその後の活躍につながったと思うので。
そしてまた世界遺産に登録されている旧市街に戻ってきました。
残念ながら工事中だった、リガ大聖堂。ここは、ルター派(ルーテル)教会ですね。
この国は、「ルター派>カトリック>ロシア正教」ですからね。
なかには美しいステンドグラスとかなり大きいパイプオルガンが。
そしてブランチ!パンケーキ屋「シェフバァールス・ウィルヘルムス」で、たらふく食べました。
そして奥様と母上がラトビア・デザイン・ミュージアムを見ている間、旦那は軍事史博物館へ。展示内容は興味深いものばかりでしたが、あまりストーリー性はなく、その意味で面白みは半減。
そして、1991年バリケード博物館。
つい25年ほど前に起こった出来事ですよ。あまり個人的な記憶はないのですが、ドキュメンタリーなんかをみていると、かなり激しい闘争があったようで、あそこで戦い抜いたからこそ今のラトビアがあるんだなと実感。
再び旧市街へ。この日は快晴だったことから、前日とはまた違う雰囲気を感じました。
街には花も一杯。空とのコントラストが本当に美しい。
女性が好きそうな街並みですわ。
そしてここからも個人行動。
疲れた奥様たちがかわいいカフェで休憩している間に、旦那はかつてのKGBの建物(通称「コーナーハウス」)にいってきました。
建物自体は薄暗く...
ここで厳しい取り調べや拷問などが行われていたようで、ここで亡くなられた方の記念碑も。
建物のなかにも入れます。
ここは人気の観光スポットのようで、ツアーは完売。
残念ながら独房等はみれず...
これにて全日程終了。
ラトビア・リガは想像以上に美しいまちでした。
他のバルト三国、エストニアやリトアニアはどんなんかなぁ。
今から訪問が楽しみです。
◆バルト三国訪問記
◇ラトビア編
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その1~
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その2~(このページ)
◇リトアニア編
リトアニア訪問記①~シャウレイの十字架の丘とカウナス~
リトアニア訪問記②~首都ヴィリニュス街歩き~
リトアニア訪問記③~KGB博物館~
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バルト海の真珠:ラトビア・リガへ〜その1〜
2015年08月13日
週末、バルト三国の一つ、ラトビアの首都リガに行ってきました。奥様と母上と。
さて、いつもどおりラトビアの歴史を調べてみると...
こちらも複雑な歴史ですね。
ドイツ騎士団時代、ポーランド・リトアニア時代、スウェーデン時代、帝政ロシア時代、独立国家を経て、ナチス・ドイツとソ連に翻弄され、最終的にはソ連に。そして1991年に血を流して再独立を勝ち取ります。
どのような歴史展示がなされているか(個人的には)楽しみです。
飛行機で2時間弱(帰りは1時間半)。いつもどおり金曜の夜に出発して、金曜の夜にはホテルに入れる。キエフを中心に地図をみると、東西南北に3時間以内で色々な都市に行けるのは大変な魅力です。
さてボリスピリ空港に向かうと、いつもどおりタラップ!
と思ったら、飛行機内蔵型タラップ。
プロペラ付いているし...飛行機嫌いの奥様が恐れています。
今回は夜中到着だったので、そのまま就寝。
観光地にもすぐアクセスできるアパートメントホテルに滞在しました。
実質、二日目。
まずは、Navity of Christ Cathedral
これ、正教会ですね。ロシア帝国時代につくられたとかで、ネオ・ビザンチンスタイル建築。
そしてリガの象徴、自由の記念碑。
ラトビア独立戦争(1918〜20年)で命を落とした戦士のために1935年に作られた。ただその後のナチ時代とソ連時代には、それぞれ都合の良いように記念碑は解釈されたみたい。悲しい歴史。
リガと言えば「猫」らしい。土産屋には、猫ものがいっぱい。それはここから来ている。屋根の上に猫が。
街なかは「ドイツよりもドイツらしい」と言われるだけあり、かわいいヨーロッパの町並み。
ラトビア伝統のデザイン。厚手の靴下と手袋。冬は極寒なんやろうな。
おしゃれ普段着として取り込める伝統デザイン、いいですね。
ここで奥様はかわゆいワンピを購入。
観光客のドイツ人おばちゃんグループにめちゃ褒められていた。

そういえばこの街、観光客多いなぁ〜。なにしろ観光客の受入体制がしっかりしている。そしてみなさん英語がかなりうまい。さすが小国(216万人)で、EU加盟国。外向き志向ですね。ウクライナから来たせいか、特にそう思うのかもしれません。そして観光客はロシア人とドイツ人が多い印象。
聖ペテロ教会とブラックヘッド会館
リガはかつて「ハンザ同盟」に参加。同じくハンザ同盟の中心都市ブレーメン市とは姉妹都市で、そこから送られたのがブレーメンの音楽隊像。「ハンザ同盟って、あの世界史で習った、なんかドイツの...?」て感じですが、主要交易路の地図でみると一発で理解できます。
ちょっと休憩。食事はラトビア料理っていっても、この地域結構似ているよね。
普通にボルシチとかもあったしね。でも美味しかった。
そしてゆっく〜り、まった〜りしていると、いきなりパレードが始まった!!
軍関連のパレードのようだが、今日は何の日?
色々調べて見ると、伝説的なライフル部隊が創設されてから100周年というお祝いらしい。
ラトビア軍は最近のウクライナ情勢を受けて増強中。ロシアへの脅威認識を高めています。国内にロシア系が30%近くいるので、ウクライナと同じようなことが起こるのではないかとの意識。
ただし、ラトビアはEUとNATOの両方に加盟しており、通貨は昨年よりユーロです。
独立後25年でついた、ウクライナとラトビアの「差」について色々考えながら歩いていました。
そして占領博物館へ。
ここもやはりドイツとソ連に翻弄された国。ナチ時代とソ連時代にフォーカスを当て、そこで独立のために闘った市民を賞賛するという流れの展示。
この後は、バルト海に注ぐダウガワ川をクルージング。リガは市内中心部に公園が多く、緑がおおい。気持ちいぃ。
この日は真夏にもかかわらず、日中16度。少し肌寒かったですが、猛暑続くキエフからきたので、良い避暑になりました。でも、一日がながーい。23時くらいまで真っ暗になりません。不思議な感覚。短い週末の旅ですが、一日が長いお陰で様々なところを散策できます。
〜その2〜に続く...
◆バルト三国訪問記
◇ラトビア編
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その1~(このページ)
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その2~
◇リトアニア編
リトアニア訪問記①~シャウレイの十字架の丘とカウナス~
リトアニア訪問記②~首都ヴィリニュス街歩き~
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さて、いつもどおりラトビアの歴史を調べてみると...
こちらも複雑な歴史ですね。
ドイツ騎士団時代、ポーランド・リトアニア時代、スウェーデン時代、帝政ロシア時代、独立国家を経て、ナチス・ドイツとソ連に翻弄され、最終的にはソ連に。そして1991年に血を流して再独立を勝ち取ります。
どのような歴史展示がなされているか(個人的には)楽しみです。
飛行機で2時間弱(帰りは1時間半)。いつもどおり金曜の夜に出発して、金曜の夜にはホテルに入れる。キエフを中心に地図をみると、東西南北に3時間以内で色々な都市に行けるのは大変な魅力です。
さてボリスピリ空港に向かうと、いつもどおりタラップ!
と思ったら、飛行機内蔵型タラップ。
プロペラ付いているし...飛行機嫌いの奥様が恐れています。
今回は夜中到着だったので、そのまま就寝。
観光地にもすぐアクセスできるアパートメントホテルに滞在しました。
実質、二日目。
まずは、Navity of Christ Cathedral
これ、正教会ですね。ロシア帝国時代につくられたとかで、ネオ・ビザンチンスタイル建築。
そしてリガの象徴、自由の記念碑。
ラトビア独立戦争(1918〜20年)で命を落とした戦士のために1935年に作られた。ただその後のナチ時代とソ連時代には、それぞれ都合の良いように記念碑は解釈されたみたい。悲しい歴史。
リガと言えば「猫」らしい。土産屋には、猫ものがいっぱい。それはここから来ている。屋根の上に猫が。
街なかは「ドイツよりもドイツらしい」と言われるだけあり、かわいいヨーロッパの町並み。
ラトビア伝統のデザイン。厚手の靴下と手袋。冬は極寒なんやろうな。
おしゃれ普段着として取り込める伝統デザイン、いいですね。
ここで奥様はかわゆいワンピを購入。
観光客のドイツ人おばちゃんグループにめちゃ褒められていた。
そういえばこの街、観光客多いなぁ〜。なにしろ観光客の受入体制がしっかりしている。そしてみなさん英語がかなりうまい。さすが小国(216万人)で、EU加盟国。外向き志向ですね。ウクライナから来たせいか、特にそう思うのかもしれません。そして観光客はロシア人とドイツ人が多い印象。
聖ペテロ教会とブラックヘッド会館
リガはかつて「ハンザ同盟」に参加。同じくハンザ同盟の中心都市ブレーメン市とは姉妹都市で、そこから送られたのがブレーメンの音楽隊像。「ハンザ同盟って、あの世界史で習った、なんかドイツの...?」て感じですが、主要交易路の地図でみると一発で理解できます。
ちょっと休憩。食事はラトビア料理っていっても、この地域結構似ているよね。
普通にボルシチとかもあったしね。でも美味しかった。
そしてゆっく〜り、まった〜りしていると、いきなりパレードが始まった!!
軍関連のパレードのようだが、今日は何の日?
色々調べて見ると、伝説的なライフル部隊が創設されてから100周年というお祝いらしい。
ラトビア軍は最近のウクライナ情勢を受けて増強中。ロシアへの脅威認識を高めています。国内にロシア系が30%近くいるので、ウクライナと同じようなことが起こるのではないかとの意識。
ただし、ラトビアはEUとNATOの両方に加盟しており、通貨は昨年よりユーロです。
独立後25年でついた、ウクライナとラトビアの「差」について色々考えながら歩いていました。
そして占領博物館へ。
ここもやはりドイツとソ連に翻弄された国。ナチ時代とソ連時代にフォーカスを当て、そこで独立のために闘った市民を賞賛するという流れの展示。
この後は、バルト海に注ぐダウガワ川をクルージング。リガは市内中心部に公園が多く、緑がおおい。気持ちいぃ。
この日は真夏にもかかわらず、日中16度。少し肌寒かったですが、猛暑続くキエフからきたので、良い避暑になりました。でも、一日がながーい。23時くらいまで真っ暗になりません。不思議な感覚。短い週末の旅ですが、一日が長いお陰で様々なところを散策できます。
〜その2〜に続く...
◆バルト三国訪問記
◇ラトビア編
バルト海の真珠:ラトビア・リガへ~その1~(このページ)
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◇リトアニア編
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風は西から:リビィウへ〜その3〜
2015年06月01日
リヴィウ三日目。
だいたいメインの観光スポットは昨日で見終わったので、今日はゆっくりお散歩。
そしてお買い物とマッサージ。
この街は一日で十分見終わるくらい小さな町です。
だれ?いつもどおり、タラス・シェフチェンコかと思ったけど違うかった。
オーストリア・ハンガリー帝国下でウクライナ文化振興運動を行ったイヴァン・フランコ。
イヴァン・フランコ記念リビィウ国立大学、美しいですね。
Monuments to Fighters for Ukrainian State System
意味と訳し方がよくわからない。ただ大蛇退治してます。

そしてリビィウを一望できる丘の頂上へ。旦那、「めっちゃ登るんしんどいやーん」と、愚痴いってます。今日はウクライナ軍も休みなんでしょうか、軍人のみなさんも一緒に登っています。
腹が減ったので夕食は、「肉と正義」。昨日のWWIIの系列店です。
店内は賑わっており、ここでも少し待ちました。
ここもエンタメ系ですが、本当肉美味しかった!
そして帰りは飛行機ではなく寝台列車で。旦那は初めての寝台列車。奥様は何度かあるみたい。夜10時過ぎに駅に到着。まだ薄暗い感じで、リビィウ駅、ええ雰囲気だしています。
なんか外国の中央駅っていいですね。歴史が感じられます。

ホームではもうキエフ行き列車がまっています。
各車両のまえでは車掌さんがチケット確認をしています。

なかに入ると、部屋はこんな感じ!これ一等車で、コーヒorお茶2杯付き。
これで一人3000円ほど。めちゃ安い!夜にのってキエフまで8時間程。
それにしてもリビィウは素敵な街でした。観光スポットはだいたい見終わったけど、また戻ってきたいなぁと思う。街なかではウクライナ語が中心に話されているということにも驚き。ロシア語で話しかけても通じなかったり、ロシア語で返されず英語で返されたりという印象。キエフとは全く違う国に来たという感じです。「やっぱり、ここはヨーロッパや」ということで、早朝のキエフに到着して街を見渡すと、なんて無機質な街並みなんだと感じてしまいました(爆)。
リビィウ旅行記(完) ↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。

だいたいメインの観光スポットは昨日で見終わったので、今日はゆっくりお散歩。
そしてお買い物とマッサージ。
この街は一日で十分見終わるくらい小さな町です。
だれ?いつもどおり、タラス・シェフチェンコかと思ったけど違うかった。
オーストリア・ハンガリー帝国下でウクライナ文化振興運動を行ったイヴァン・フランコ。
イヴァン・フランコ記念リビィウ国立大学、美しいですね。
Monuments to Fighters for Ukrainian State System
意味と訳し方がよくわからない。ただ大蛇退治してます。
そしてリビィウを一望できる丘の頂上へ。旦那、「めっちゃ登るんしんどいやーん」と、愚痴いってます。今日はウクライナ軍も休みなんでしょうか、軍人のみなさんも一緒に登っています。
腹が減ったので夕食は、「肉と正義」。昨日のWWIIの系列店です。
店内は賑わっており、ここでも少し待ちました。
ここもエンタメ系ですが、本当肉美味しかった!
そして帰りは飛行機ではなく寝台列車で。旦那は初めての寝台列車。奥様は何度かあるみたい。夜10時過ぎに駅に到着。まだ薄暗い感じで、リビィウ駅、ええ雰囲気だしています。
なんか外国の中央駅っていいですね。歴史が感じられます。
ホームではもうキエフ行き列車がまっています。
各車両のまえでは車掌さんがチケット確認をしています。
なかに入ると、部屋はこんな感じ!これ一等車で、コーヒorお茶2杯付き。
これで一人3000円ほど。めちゃ安い!夜にのってキエフまで8時間程。
それにしてもリビィウは素敵な街でした。観光スポットはだいたい見終わったけど、また戻ってきたいなぁと思う。街なかではウクライナ語が中心に話されているということにも驚き。ロシア語で話しかけても通じなかったり、ロシア語で返されず英語で返されたりという印象。キエフとは全く違う国に来たという感じです。「やっぱり、ここはヨーロッパや」ということで、早朝のキエフに到着して街を見渡すと、なんて無機質な街並みなんだと感じてしまいました(爆)。
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