旅行 便りがないのは良い便り~Pas de Nouvelles, Bonnes Nouvelles~ 忍者ブログ

[PR]

2024年04月25日
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~

2017年10月20日
さて、サラエボ2日目。

本日はブラックツーリズムの詰め合わせでございます。割とハードな内容がありますので、覚悟してかかってくださいませ。


まず、サラエボ市内を歩いて、ある場所に向かいます。
途中、人々の営みを感じる街中でありながら、気付く事があります。

そう、建物が…銃撃の痕だらけ…。


たった20年前まで、この地はユーゴスラヴィア紛争、とりわけ厳しかったボスニア紛争の激戦地だったのですね。
自分の備忘も兼ねて、ユーゴ紛争について簡単におさらい(私の付け焼刃サマリーなので、ご指摘あれば宜しくお願いします)↓

===================================
・ユーゴスラヴィア連邦の一員であったボスニア・ヘルツェゴビナは、ユーゴ解体(クロアチア独立等)の動きを受け、1992年3月に独立を宣言。
・ボスニアはそもそも、ボスニャク人(ムスリム)が4割・セルビア人(正教徒)が3割・クロアチア人(正教徒)が2割と、ほぼ均衡するような形で異なる民族が共存していたが、独立を求めていたのは、このうち、ボスニャク人やクロアチア人だった。
・ゆえに独立に反発するセルビア人と、セルビア人を無視する形で独立を進めたボスニャク人との民族間対立は劇的に悪化、独立宣言翌月には武力衝突が発生する事態へ(クロアチア人は独立支持派ではあったものの、ボスニャク人と一枚岩ではなかった)。
・ユーゴ解体を避けたいユーゴ連邦軍はセルビア人を支持し、ボスニャク人勢力と衝突、ボスニア全土で、両陣営による空爆や民族浄化といった、おぞましく、激しい内戦が繰り広げられることとなった。
・激しい戦闘は3年半続き、1995年10月に漸く和平合意がなされた。
・この内紛は死者20万人、避難民200万人を出したとされる。
===================================



途中、公園を通りましたが、記念碑と銅像がありました。

銅像の横には、看板があり、英語の記載もあったので読んでみると…
スレブレニツァ(後ほど書きますが、ボスニア紛争でボスニャク人への大虐殺のあった村の名前)で、セルビア軍に捕まったボスニャク人の息子ネルミンに、降伏するよう呼びかける父、ラモの様子だそうです。後にこの親子は、2008年に虐殺の跡地から遺骨が見つかったそうです。
誰かがこの姿をみて、記憶に残し、この銅像を建てる事を考えたのでしょう。
胸が痛みます。



記念碑の方には「ボスニア紛争で命を落とした子供たちの為に」と記載があります。子供の名前と生年、没年が刻まれています。よくみると、みんな私と同年代です。生きていたら、同級生だった子も沢山いました。黙祷。




そして、こちらは市内の道端に点在する「サラエボのバラ」。なんだと思いますか?

ここは市民が砲撃によって命を落とした場所で、えぐれたアスファルトに赤い樹脂を流し込んで固めたものです。その広がる赤いさまから、「サラエボのバラ」と呼ぶのだそうです。

樹脂で固めていないけれど、恐らくここも砲撃があったのだな、とわかる様なえぐれた場所が他にも何箇所もありました。



朝から行くべき場所ではないと思いつつも、こちらのギャラリーにちらりと足を運びました。(つきあってくれたA家ありがとう。母に話したら「またそんな場所行ったの!?」と呆れていました。)

ボスニア紛争では「民族浄化」と呼ばれる、おぞましい大量虐殺がありました。こちらのパネルはボスニアで虐殺が起きた場所を示す地図。


特にこのギャラリーのテーマになっている、スレブレニツァという場所で起きたジェノサイドは、世界的にも有名で、それに関するフォトギャラリーということで、腹をくくってみて来ました。(Wikiにも項目があるので、気になる方はどうぞ。「スレブレニツァの虐殺」)

写真は禁止なので、入口のパネルのみ。



大量のビニールシートに包まれた、埋葬を待つ夥しい数の遺体(↑のパネルの写真)。
埋葬する為に集められたシャベルの山。
亡くなった方の名前が延々と刻まれたパネル。恐らく一家全滅だったのだろうということは、同じ苗字の方の名前が長く続いているのを見て、推測する。
代理戦争に興じる国際社会を揶揄する風刺ポスター。
いたるところから煙のあがる廃墟の中、寝かされている赤ちゃん。
砲弾が弧を描いて着弾し、爆発する映像。


なんというか、カラーの映像が残っている、ということに衝撃を受けてしまった。
人間は、あやまちを繰り返すおろかな生き物だなあ。

このギャラリーでは、こちらのポスターに胸をわしづかみにされたので、購入。


UN - United Nothing
と書かれています。国連からPKO軍として派遣されたオランダ兵が壁に落書きしたもの、と言われていますが、これ以上の皮肉があるでしょうか。
激戦地へ派遣され、その場にいるだけで何もできない。彼は何を思ってこれを書いたのでしょう。




そして、気持ちが落ち込んだあとに向かった場所は、こちらの黄色い建物、”Holiday Inn Hotel"。

今Holiday Hotelという名前になっていますが、ボスニア紛争時、市内で唯一営業を続けたホテルで、多くの報道記者がこちらのホテルに滞在し、ボスニア紛争の現状を世界中に発信していたそうです。


中は割とにぎわっていました。我々はコーヒーを1杯いただく。
夫にLINE電話で繋いでみたら、「どこおんねん!」とつっこまれました笑。
 



このホテルの前の、この大通りも大変有名で、別名”スナイパー通り”と呼ばれていました。
 
何故かというと、ボスニア紛争時に、両陣営が、この通りを通るものは老若男女動くものはなんでも片っ端から狙撃していたからだそうです。(尚、水を汲んだりする為に、この通りを通る必要がある人は多かったのだそう。)




それから、少し離れた場所にある、こちらは広大なお墓。
真新しい白い墓石の数々。刻まれた没年は、のきなみボスニア紛争の起きていた1992年~1995年です。

中には、5人家族全員同じ没年が刻まれた並んだ墓石も。
さすがの我々も、閉口。またしても合掌、黙祷。




それから、サラエボで最後に訪れたのが、こちらの博物館。

http://tunelspasa.ba/#Dobrodo%C5%A1li
サラエボ・トンネル博物館


博物館の壁も見事な蜂の巣状態ですね。


サラエボはボスニア紛争時に、敵陣営に完全に包囲され、物流ルートのほぼ全てを遮断されました。そんな状況下、医療物資や食料品、負傷者や病人の輸送の為に、秘密裏に作られたのが、サラエボ郊外から、サラエボ市内へ抜けるこの約800mのトンネルでした。


どれくらい包囲されていたかというと、パネルによればこんな感じ。詰んでます、四面楚歌。
赤い部分は全て敵、敵のいないところは山です。




今はたった数mしか残っていませんが、トンネルの内部にも入ることができます。
 
映像をみると、雨水がしたたり、とても快適にはみえませんが、サラエボ市内に残された人々の、命綱の役目を果たしていたわけですね。



博物館の敷地には"The Place that ended 20th Century(20世紀を終えた場所)”と書かれた看板がありました。

20世紀を終えた場所をあとにし、次の目的地へ向かいます。




途中、いたるところに”Don't Foreget" / "Never Forget"といった標語が書かれた壁を見かけました。


ボスニア内戦は、まだ歴史に出来ていない、消化しきれていない、今も人の胸に生きている出来事なのだと改めて実感。
移動中のどんな小さな村の家の壁にも、銃撃の痕が残っていた事は、きっと忘れません。





さて、気持ちを切り替えて次の目的地はモスタル。サラエボから南へ120kmほど下った場所にあります。
モスタルには世界遺産の有名な橋、ネレトヴァ川に架かる「スタリ・モスト(古い橋)」があります。
 
最近ではクロアチアのドブロブニクなんかからも、1日ツアーが出ているので、訪れる日本人が増えているそうです。


この橋は、残念ながらボスニア内戦の時に破壊され、2004年になって再建されたもの。

やはり、モスタルにも悲しい歴史がありました。

ボスニア紛争前、モスタルは各民族がモザイクのように入り乱れて暮らす街だったそうです。
モスタルは紛争中、18ヶ月の間包囲状態となり、両陣営がそれぞれ教会やモスクを破壊しあう激しい戦闘が続きました。
そして今では、橋をはさんで片側がキリスト教徒、片側がムスリムの住む街、という風に東西に分断されて暮らすようになってしまったそうです。


10年前にモスタルを訪れた方に「当時はまだ暗くて、橋も再建されておらず、とても観光地と呼べる場所ではなかった」と言われたので、モスタルの街と人々が、一体どれほどの悲しみや憎しみを飲み込んで、今この場所で、隣りあわせで暮らし、復興を遂げてきたのだろうと、こみ上げるものがありました。



モスタルの街中の壁にも書いてありました。「スレブレニツアを忘れない」と。
 




そして今回のお宿。
Mちゃんが選んでくれたお宿がね、最高にね、可愛いんですよ!!!
お人形が部屋を出たところに座っているんですが、等身大サイズなので、けっこう怖い…。ドアあけるといるので、毎度「ひぇっ」ってなってました。

博物館もかねたこのお宿。オスマン帝国時代からの名家のおうちだった場所らしいのですが、奇跡的にもボスニア紛争中で被害をほとんどうけず、こうして残ってくれていました。

Webもあったよ。
http://www.muslibegovichouse.com/


お部屋の内装も可愛いよー。
 


荷物を置いて、再び出かけます。
スタリモスト以外にも可愛い橋があるので、行かれる方はぜひお散歩を。





移動に疲れた我々は橋を眺める特等席を陣取って、くれゆく夕日を眺めることにしました。日没後のライトアップされた橋も素敵でした。
 


夕食は、ボスニアのお肉をもりもり食べました。こんなにTHE・肉!なのに、意外とすんなり全部食べたし、胃もたれもしなかった。ビールはモスタルのビール、モスタルスキェを頂きました。



そんな感じでサラエボとモスタルな長い1日終了。
この晩は、あまりにも胸がいっぱいで、サラエボで見たもの、モスタルで感じたもの、道中で気付いたこと等々、夫と夜1時間くらい長電話してしまった(日本は早朝だったのに、付き合ってくれた夫ありがとう)。

人道的介入ってなんだろうかとか、なんか色々頭をぐるぐる回る夜でした。



次回はまた移動日ですよ!これからはライトな部分のみ!



バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~(このページ)
バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~
バルカン旅行記⑤~夢のスヴェティ・ステファンとオストログ修道院~








↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[8回]

PR

バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~

2017年10月12日
さあ、モンテネグロを出発して、隣国へ向かいますよ!
写真見返すだけで楽しくて、書くのがおいつきません!笑。


朝ごはんは近くのパン屋さんで買った、ブレック。モンテネグロの食べ物です。
でもブルガリアでも似たようなのを食べたので、多分バルカン半島一帯で食べるタイプのパンなのではないかと推測。

パイ生地にお肉やら、じゃがいもやら、フェタチーズやら、色んなものがつまっています。
朝から食べるにはなかなかハイカロリー!


それから、果物売りのおっちゃんから、プルーンをいくつか買いました。





車に乗り込んで出発!向かうは、フェリー乗り場!




船からの景色もなかなかすてき。フェリーに乗らなくても、たどり着けるんだけど、3倍くらいかかる時間が違う(湾をつっきるか、リアス式海岸みたいな入り組んだ湾岸線をひたすら走り続けるか)ので、フェリーを選びました。



すれ違うフェリー。乗っている人に手を振ると、気付いた人が振り返してくれます。





フェリーを降りたあとは、ぐねぐねカーブの山道を登っていきます。(D氏いつも運転ありがとう。)頂上付近はこれまた絶景。ちょっとしまなみ海道の景色を思い出した。
 



山道にどんどん入り、目指すは国境です。青い点が現在地。3カ国がぶつかり合う場所、ここで検問です。
どの検問がいいらしい、というところまで調べてくれたMちゃんありがとう。




まずはモンテネグロ出国!Good byeモンテネグロ。
 



そして、ボスニアに入ります。
 


こんな国旗の色してたんだね。青x黄色、親近感がわきます。
(なぜならば、私もA家もそれぞれが青x黄色の国旗の国に住んでいるところだから…)




いえーい!ボスニア・ヘルツェゴビナ入国です。検問を越えると下り坂。
大平原が広がっていました。
 



悠然と広がる平原。




いくつかの絶景を通り過ぎ、通りかかったモーテル兼レストランで腹ごしらえです。
ひゃー!店先には子羊の丸焼き!美味しそう!!という訳で、注文。



友人はお魚(マス)を注文。海から随分遠いところに来てしまったのがわかります。
そう、ボスニアは海岸線がほとんどないんですね~。



満腹になったところで、再び疾走再開!


なんだか、丘の上に巨大なモニュメントに出会いました。大きな手が二つ?のようにも見えるし、炎のようにも見える。



なんとなーく戦跡っぽいぞ、と私の戦跡センサーが反応したので、日本にいる夫氏に写真をとってLINEで送ります。案の定、看板もありました。Battleと書いてある!やはり夫によって鍛えられた私のセンサーは間違っていなかった!

すぐに夫ぺディアにより、関連URLが送られてきます笑。
この地はどうやら1943年に、チトー率いるユーゴスラヴィアのパルチザンたちがナチスドイツ率いる枢軸軍と戦って勝った、ユーゴスラヴィアにとっては歴史的に意味のある場所のようです。

調べたら、この戦いを描いた映画もありました。
http://www.imdb.com/title/tt0070758/
きっと血みどろなのでしょう。見る勇気があまりでません。





うひゃー!ここの湖も絶景!なんて色しているんだろう。



道中、牛さんと併走。牛飼いのお嬢さんが先導していました。
運転しようと思ったけど、ぐねぐね続く細い山道にどんどん自信をなくし、D氏に一任する我。






モンテネグロからボスニアに入り、北上を続けること5時間、くらいかな?サラエボが見えてきました。
歴史の教科書でしか聞いた事のない、サラエボ、まさか、こんなアップダウンのある街だなんて、誰が想像したでしょう!?




サラエボ、この魅惑の響き。世界史選択者なら(でなくても)誰しもが、第一次世界大戦を引き起こす事件が起きたこの地の名前を聞き、「あの、サラエボ!」と思うでしょう。


A家と旅程を相談したとき、「モンテネグロ&クロアチアの海三昧」にするか、「モンテネグロ&ボスニア」の、頑張ってサラエボ訪問コースかで悩んだのですが、「サラエボ」、そして「ヨーロッパの火薬庫」というロマン溢れる響きに勝てず、後者になりました。
ちなみに1ミリも後悔していません。



さあさあ、夢のサラエボ事件が起きたラテン橋に行きますよ!


感想、思ったより小さい!!



この橋の上で、オーストリア=ハンガリー帝国の王位継承権を持つ、フランツ・フェルディナンドとその妻が、ボスニア系セルビア人の青年に暗殺され、ゆくゆくは第一次世界大戦へと発展していったわけです。


改めて、オーストリア=ハンガリー帝国の領土の大きさに驚きますね。こんなところまで、オーストリア&ハンガリーだったの!?と言いたくなります。
(ご参考までに、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の領土を示す地図はこちら。)


うーん、修理中なせいか、思ったより貧相(失礼)ですね…?橋の上はこんな感じ。



橋を渡ると、サラエボ事件の博物館があります。1部屋しかない、シンプルな博物館でした。



博物館の向かいには、旅行代理店があるのですが、かかげられているツアーがところどころダーク。
↓は「暗殺ツアー」と書いてあります。他にも、大虐殺のあったスレブレニツァへのツアー、ユーゴスラヴィア紛争時に使われていた地下壕の見学ツアーなんかもありました。



歩き進んでいくと、サラエボの旧市街に到着します。
早速ミナレットが見えてきて、たどり着いたのはモスク、ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャーミヤ。にぎわっています。


ボスニアでは何度も実感する事になるのですが、モスクと教会が点在しています。民族がモザイクのように入り乱れて暮らしていることがわかります。
これが、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるゆえんなのだと。


ここのモスク美しい!入場券を払えば、ムスリムでなくても内部を見学できますよ!



それから、こちらがサラエボ旧市街の名所、水のみ場のバシュチャルチャ。



旧市街は、想像以上に魅力的なお買い物スポットだった!!
こういうモチーフ大好きの私としては、あちらへフラフラ、こちらへフラフラ。


カーペット好きにはたまりませんね。ここでは買わないけどね。
 


イカしたお土産も売ってました。トートバッグ各種:暗殺されたフランツ・フェルディナンド(右上)と、暗殺者のプリンチプ(右下)の似顔絵入り(夫に買いました)、後日訪問予定のステチュツィの石碑に描かれた絵の柄(左上)、ボスニアで使われているキリル文字(今まで訪れたキリル文字使用国では見たことないやつがいる!)の柄(左下)などなど。おしゃれですね。



さあ、日もくれてきたところで夕飯です。
サラエボのビール、サライェブスカをいただきます。右の写真はあっさりとしたシチューのロナッチ。とても美味しかった。


それから、左がボスニアのファストフードともいえる、チェバ・プチチ。釜焼きパンに釜でグリルしたひき肉串とみじん切りタマネギを入れただけのシンプル料理だけど、美味しい!!
右はボスニア料理の盛り合わせだったけど、ドルマっぽいのとか、バターライスとか、キャベツの煮込みとか、トルコ料理を少し連想するようなお味でした。これもすごく美味しかった。



日もすっかりくれて、名所の水のみ場もライトアップ。暗くなっても混んでました。



ホテルへ戻る前に、旧市街の可愛いカフェで一服。


ボスニアコーヒーはあれです、まあトルココーヒーです。あまーいお菓子も一緒に。ロクムがついてくるあたりも、なんかもうトルコです。



落ち着いたところで、ライトアップされたラテン橋をみて、ホテルへ帰ります。




Mちゃんの選んでくれたホテル、かわいいのですよ!天蓋つきベッド!(乙女の夢!)



そして、何より楽しみにしていたのは、ホテルについているハマムです!最高でした。
女子二人(D氏は部屋で留守番)できゃーきゃー言いながら、泳ぎました。蛇口かわいい。


ハマムを出て気付いたのですが、ハマムの入口に建設年が書いてありました。


・・・・・・・1462!!!!


マジで!?


ホテル内には証拠として、ハマム跡を発掘した当時の写真が残っていて、それを元に再建したようです。さすがオスマン帝国の支配下にもあっただけあり、随分昔から、ハマム文化が根付いていたわけですね。


体も温まったところで、部屋へ戻り就寝。
なんたって明日もまた長くてエキサイティングな1日が待っているのですから!






バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~(このページ)
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~
バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~
バルカン旅行記⑤~夢のスヴェティ・ステファンとオストログ修道院~






↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[5回]

バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~

2017年10月06日

ついに夏休みー!!!

今回は、夫とは都合が合わなかったので、A家と夏休み計画を立てました。
(可哀想な夫。本当はこの企画を一番エンジョイしたかもしれないのに。)


行き先はモンテネグロ!そしてボスニア・ヘルツェゴビナ!
一生忘れない素敵な旅になりましたので、皆様にも両国を勧めるべく&記憶をとどめておくべく訪問記を書きます。



さー、モンテネグロ。どの辺でしょうか。皆さんご存知ですか?
 
最近日本人の間でめっちゃブームなクロアチア、の南です。
私にとっては、初めての旧ユーゴスラヴィア圏!わくわくです!!

夏の間だけでるシーズナル便(Wind Rose AirlineとOlympos Airlineのコードシェアという、どっちもどこそれ!!って感じのフライト!)で、キエフからたった2時間弱。


降り立ったのは、ティヴァト空港。LCCや旧CIS圏からのフライトを受け入れている、本当に小さな空港です。滑走路に直接下ろされて、徒歩でパスポートコントロールまで歩かされるのは久しぶりでございます。


さくさくっと空港を出て(日本人はビザいりません)、お迎えに来てくれた宿のイケメンお兄さんとすんなり合流、オンボロカーに乗って宿へ向かいます。

途中お兄さんが「スーパーに寄るけど、ビール好き?」と聞かれて、「??好き」と意味もわからず回答すると、早速モンテネグロビールをご馳走してくれました。


宿に着く前から飲めるなんて!笑(ちなみに渡された鍵には栓抜きのキーホルダーがついてた笑)



ティヴァト空港から車で15分程で、世界遺産の旧市街、コトルの街に到着です。

あわわ、まるでおとぎ話の世界。メルヘン。壁に囲まれた要塞型の街です。
入口は全部で3つあって、↓はその内の二つ(2枚目が正門?)。



私ゲームはしないんですが、なんとなくRPGゲームに出てきそうな雰囲気だなあと思ってしまいました。



お兄さん曰く「今日はコトルで一番大きなお祭りの日だから!花火あがるよ。」と。うそー!全く無計画できたけど、まさかのそんな日にぶちあたるとは。確かに街中がお祭りムードっぽい?



待ち合わせのA家は、明日夜到着。ということで、今晩は1人でぶらぶらコトルを散策します。
日が暮れてきて、要塞もライトアップが始まります。大音量で音楽も流れています。



やっぱり1人はちょっと寂しいなーと思いながら、海辺のバーで夕食取りながら飲んでいたら、オランダから来た夫婦と相席になり、おしゃべり。車を借りてバルカンを回っているんだって、羨ましい。




宿に戻って、のんびりしていると、何やら大きな音が聞こえてきました。
うあああああ、本当に花火!ちょっと重なってるけど、宿から見えました。べスポジ宿を調べてくれたA家にまたしても感謝である。(尚、A家は残念ながらこの花火はみれなかったのであった。前日入りした私ラッキー。)



花火と大音量のクラブミュージックを聴きながら、初日の私は眠りについたのでした。


***



翌朝早朝、6時半起床です。はい、相変わらずの朝型です。


早起きの目的はひとつ!暑くなる前に、ここへ向かうのだ!山の上の要塞!


旧市街の中に、要塞への道の入口が。冒険の序章みたい。



朝8時前ですが、私すでに汗だくなんですけどー?1.5Lペットボトルを抱えて1人もりもり登山。
でも、私は山のふもとで生まれた女なので、実は海より山派。

ぜえはあ言いながらのぼり、振り返るとそこには絶景が…!赤い屋根可愛い!




あー、素敵。

汗をだらだら流し、立ち止まっては景色に感動し、写真を撮ります。



要塞の石組み。




頂上まできました。まだ朝の8時過ぎだけど、太陽はギラギラ、汗はだくだくです。


一応なんか旗とか立ってた。




帰りは同じ道を下るのもつまらないなーと思っていたところ、こちらの方のブログで面白い記事があったので、「私もヤギさんに会いたい!!!」と思って、道を外れることにしました。
http://meetsourcetrip.com/post-8372/


道なき道を、えんやこらー。



ヤギの糞はあるのに、ヤギはいない…。うーむ。っていうか誰もいない…。



ヤギ!と思ったら違う。牛だった笑。後ろ失礼しまーす!





そして、漸くヤギ!
よく見ると、横の小さな看板にカフェと書いてある。疲れたし、立ち寄ってみます。



簡易カフェ、めっちゃ絶壁、めっちゃ絶景でした。慎重に私のコーヒーを運ぶおばちゃん。



コーヒーはトルココーヒーで1ユーロ。絶景を独り占め。最高でした。



グッバイ!ヤギ&絶景!帰り道にはロバもいたよ。




さてさて下山して、夜の合流まで時間があるから何をしようかなとぶらぶら。
せっかくビーチ徒歩5分だし、汗を流すのもかねて、泳いでみたり。
(水はめっちゃ冷たかったです。ぎえええ!って1人心の中で叫びながら入りました。分かち合う相手のいない1人ビーチは、さすがの私もちょっぴり寂しかったです。)

 

魚介を肴に一杯ビールをいただいたり。



あと、旧市街の中にある、海事博物館も訪問してみました。モンテネグロは海事国家だったので、船とかそういうのお好きな方にはとても楽しいと思います。
http://www.museummaritimum.com/eng/eng.htm




オスマン帝国や、イタリア、オーストリア・ハンガリー帝国、様々な強国の支配下となり、ユーゴスラビア連邦となった後、こうして今の独立したモンテネグロがあるわけですね。ゆえに、残された資料は多くの言語で記されていて、歴史を感じます。


創作意欲沸き立つ展示でした。



そんな感じで、1人大満喫です。(元々一人っ子&鍵っ子なので、1人で楽しむすべには長けていると自負しているのですが、ウクライナ赴任以降、そのスキルがどんどん磨かれている気がします!)



夜はようやくA家到着!彼らはポドゴリッツァ(首都!)空港から車でやってきました。
アパートは2ベッドルームだったのですが、私はこのお部屋を二人に残しておきました。(衝撃すぎて写真とっちゃった。)


たんすの上にはLOVE。家主さんの趣味…。





そんな感じで最初の夜&二日目終了です。
明日はモンテネグロを脱出します。



バルカン旅行記①~世界遺産の旧市街、モンテネグロの街コトル~(このページ)
バルカン旅行記②~魅惑のボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボへ~
バルカン旅行記③~サラエボ2日目と世界遺産モスタルの橋~
バルカン旅行記④~メジュゴリエ、ステチュツィ、そしてモンテネグロへの帰還~
バルカン旅行記⑤~夢のスヴェティ・ステファンとオストログ修道院~





↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[5回]

スウェーデン訪問記②~ストックホルムとシグトゥーナの街~

2017年09月12日
中断していたスウェーデン訪問記の続きです。
週末のみの旅なので、駆け足です。



シュールストレミングを早々に食べ終えて(朝のミッション)、次は観光です。

まずは、首都であるストックホルムを探索。

最初に来たのは、スコーグスシュルコゴーデン、世界遺産となっている、「森の墓地」です。ストックホルムからは南へ5kmほど下ったところにあります。



この巨大な十字架のサイズ感をご理解頂く為に、友人のショットも。



ここは、エリック・グンナール・アスプルンドという北欧近代建築の礎を築いたとされる、著名な建築家が最後の作品として作り上げた場所。1940年竣工。


「死者は森へ還る」というスウェーデン人の死生観に沿うように作られた、緑と光にあふれた、あたたかな墓地です。



私も死ぬなら、家族が「ピクニックがてら、墓参りでもいくか~」って思うような、こんな場所に埋めてもらいたい、と思いました。(うすうすお気づきの方もいるかと思いますが、私は墓地めぐりが好きです。)



自然豊かで、鹿にも遭遇。


 

 敷地内には、火葬場も含め色んな施設があるのですが(現役のお墓だから)、こちらは「森の礼拝堂」。



三角屋根の可愛い礼拝堂です。
 



新鮮な空気を吸い、太陽の光を沢山浴びたところで、次の目的地へ向かいます。

次はストックホルム市内。



あ、裸の王様だ!
 



あちこち目移りしながら、次の目的地へ到着。
ストックホルム市庁舎です。45分のガイドツアーに参加します。



市庁舎の「青の間」。こちらは、ノーベル賞の受賞祝賀晩餐会が開かれる広間です。(授賞式は違う場所なので、ご注意を!)
何故青くないのに、青の広間なのかというと、元々は青く塗る予定だったものの、赤レンガで組み立てたら、あまりにも美しかったので、そのままにしたそうです。



そしてこちらが、「黄金の間」。ノーベル賞の祝賀晩餐会後のダンスパーティーはここで開かれるそうです。


黄金の間に描かれているのは、メーラレン湖の女神。



それから、市庁舎は現役なので、議会なんかもあります。我々が訪問した際は夏休みだったので、使われておらず、おかげで見学できました。




こんな書斎、家にあったらいいなあ。



水辺に建てられているので、眺めも最高です。



素敵な市庁舎でした。こんな職場環境、羨ましい。






さて、次はこちら。ストックホルム市立図書館。


スコーグスシュルコゴーデンのデザインと同じ、エリック・グンナール・アスプルンドがデザインしたそうです。


階段を上っていくと…




なんと360度全面書架。あわわ、これは言葉を失う美しさ。通いたい!!!
 

上に上って、見下ろすのもなかなか良い。
 




それから、ノーベル博物館にも足を運びました。
http://www.nobelmuseum.se/

入口はノーベルの横顔。



最近の受賞者の顔写真パネルが。しかしボブ・ディランだけ似顔絵笑。許可とれなかったのかなー。



ノーベルのデスマスク。



中はこんな感じで、色んな受賞者の色んな研究や受賞内容が展示されている。川端康成のインタビューなんかも流れてました。



それから、この博物館にはカフェがあって、ノーベル賞の祝賀式晩餐会のデザートメニューを食べる事ができる!!

大変美味でございました。


このカフェにはもう一つ見所があって、カフェの椅子の裏側には、受賞者のサインが入っている!!じゃん!



日本人受賞者のサインはないかなーと探したら、山中さんのサイン入り椅子が、なぜか吊られてました。日本人が聞きまくるからでしょうか・・・?ごめんなさい。


皆さんもぜひ、博物館を訪問されたら、カフェに入って、椅子をひっくり返してみてください!
(あと、MUSEUM SHOPもけっこう楽しいです!)




博物館のあるガムラスタン地区は、可愛いお店もいっぱいで、ぶらぶら歩いて回ります。
(魔女の宅急便のモデルとも言われているようですが、そう呼ばれる場所が多すぎて、最近簡単には信じなくなって参りました。)

リサ・ラーソンの作品等を筆頭に、素敵な雑貨を取り扱ったおしゃれなショップが並んでいますので、お買い物好きの方には楽しいと思います。


広場では音楽隊が演奏中。
 


ガムラスタン地区の一番細い路地、モーテン・トローツィグ・グレンは観光名所になっています。
 


こちらは、フィンランド教会の裏庭にいる、隠れ名物(らしい)アイアンボーイ。

めちゃくちゃ小さいです。頭をなでると幸せになれるそうで、頭がテカテカしてました。
横においてある紫のは、多分彼の帽子。たまに服とか着てるらしい。


その他、歴代王室が暮らした王宮がMUST観光スポットらしいですが、時間がないので割愛笑。
(墓と王宮で悩んで、墓をとった女です。)



*************************


次に、ストックホルムから40km弱、シグトゥーナの街へ。


途中、ご当地バーガーのMAX BURGERで腹ごしらえ。
https://www.max.se/


友人オススメのフィッシュ・バーガーにしました。バンズが胚芽でヘルシーな感じ。おいしい!




車で40分ほどで到着。(D氏毎度運転ありがとう!)


シグトゥーナの街は、「現存するスウェーデン最古の街」などと言われているようで、バイキング時代に長きにわたり、栄えた街だそう。

小さな観光案内所。



小さな市庁舎、とても可愛い。


中にも入れるけど、二部屋しかない。小さい。





街はカラフルでこじんまりしている。
 


水辺で物思いにふける女性。すてき。




ルーン文字の遺跡がたくさん残っている!


北欧ルーン文字とは北欧で、8世紀頃から使われ始めた文字。



素敵なカフェで一服。
 
RC Chocolat AB
http://www.rcchocolat.se/
ウェイトレスさんがめっちゃ可愛かったです。


時の流れが穏やかで、本当に癒された旅でした。
素晴らしいプランニングしてくれた友人夫婦にまたまた感謝。



~おまけ~

以下はお買い物&お土産編です。さすが北欧は可愛いものが色々あるなあ♪


へっへっへ、まずはここ!じゃーん!

念願のカンケンバッグを買いました。日本のショップで見たのとは比べ物にならないくらいのカラー&デザインバリエーション!!私は最近マイブームのカーキのやつを買いました。早速めちゃくちゃ愛用しています。



それから、北欧一体で信じられているトロール。
 
こちらのトロール作家さんのお鼻だけ出ているデザインを気に入って、一体購入、キエフに連れて帰りました。トロールは気に入った家に幸福をもたらすと言われています。我が家を気に入ってくれますように。(ちなみに、気に入らない家庭にはいたずらするそうなので、トロールは大抵醜悪なデザインであることが多い…うちにはいたずらしないでね!)


それから、北欧といえば、ヴァイキング!!(みなさん、「ヴィンランド・サガ」読んでます?スウェーデンじゃないけど!)

こちらのTシャツ!!ヴァイキングが自転車こいでたりして、めちゃくちゃかわいい!!!自分に一枚欲しかったけど、このデザインのは子供用しかなかった。大人用の柄はいまいちだった。
女の子用のもあって可愛い!子供がいたら買いたかった!

ヴァイキング・マグネット、もしゃもしゃおひげ!!!



ちなみにヴァイキングといえば、ツノのついたヘルメットのイメージですが、どうやら実際はツノはついていなかったという説が有力だと、最近何かで読みました。

ビッケはツノついてたよね!


ちなみにストックホルムには現役のヴァイキングたちがいた笑。(多分何かのツアー)





これは、友人がくれたムーミンのアラビア・マグ!うれしい!!!(T-T)
険しい顔したスノークのお嬢さん!かわいい!


北欧の陶器は最高ですが、今回手を出したら死ぬと思ったので、心を鬼にして、素通りしました。

でもいつか、心行くまで好きな食器やカラトリーを揃えたいものです。


~おまけ終わり~



スウェーデン訪問記①~世界一臭いアレを食べる~









↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[4回]

スウェーデン訪問記①~世界一臭いアレを食べる~

2017年08月31日
えー、また随分ブログを放置してしまいました。
夫に至っては、さも自分は執筆者ではないかの様な放置っぷりでございます。

しかし、これは書かなくては!というトピックが鎮座しておりましたので、筆をとった次第です。

そう、スウェーデンにいるA家(たらいまわし駐在員A家については、過去ブログ記事で散々取り上げましたので、別途当記事の終わりのリンク群をご参照ください)に会いに、そしてスウェーデンといえば!のアレを食べに、週末弾丸旅をいたしましたので、報告したく。




皆様は世界の臭い食べ物をご存知ですか?
こちらのサイトにランキングがありますので、ご存知ない方はご参照ください。
https://matome.naver.jp/odai/2141234102101598901


そう、スウェーデンといえば、その臭い食べ物NO.1の「シュールストレミング」の国です。
私は昔から「一度でいいから食べてみたい…」と思っていたのですが、ようやくチャンスがめぐってきました。A家がスウェーデンに引っ越したのです。チャンスは今しかない!!!

私「シュールストレミングを食べてみたいんだけど…」
A家「え…」

といいつつ、さすがA家。快諾してくれましたので、以下レポートです。




まずは、予習。A家夫(以下D氏)より、この動画をみるべしと連絡あり。
https://www.youtube.com/watch?v=AGRyr8yIo9w&app=desktop
※英語です。

シュールストレミングの試食動画は数あれど、シュールストレミングに愛をもち、世界での罰ゲーム扱いを憂いて、正しい食べ方を啓蒙しようという動画は少ないのではないでしょうか?
"It is not delicious but..."って言いながらも、シュールストレミングをかばうおじさん。
私たちはこちらのおじさんの涙ぐましい努力に感服し、おじさん推奨の食べ方に従おうと決めました。


仕事終わりの金曜夜発便で出かけます。夜中着なので、A家がスーパーで例のブツを買ってきてくれます。お試しサイズ(300g)を購入してくれたのですが、お店で一緒になった店員と客に"You are so brave..."と言われたそうです。


スウェーデン人にとってもイロモノ扱いなの…?
ちなみに一缶だいたい1,100円くらいで、決してお安いものではありません。


さて、夜無事合流して、翌日早朝起床、ブツを広げても問題にならない、広大な敷地のある場所(公園)へ向かいます。時間?朝7時前です笑。朝型なメンバーでよかった!一式シュールストレミングセットを持つと、すごい量の荷物です。
 


さて。


シュールストレミングの缶を開けるにも、正しい手順があります。
まず、手袋&マスク必須です。(開けた瞬間からヤバイから。マジでヤバイから。手についた臭いは消えないから…。)
 



みんなの様子はさながらオペ前の医者です。(朝の散歩で通り過ぎるスウェーデン人たちが、謎の東洋人の儀式を怪訝な目でみてきます。)

神々しいD氏「それではオペを始めます」
 



シュールストレミングはバイオテロ。缶の中で発酵が進んでいるので、缶はどんどん膨らんでいきます。開けるとき、中のかぐわしい汁が飛び散るバイオテロ兵器と化すので、水につけて缶きりで開けていきます。(生贄のオープン役D氏を遠くから見守る私とA家妻(以下Mちゃん))




臭気を含んだ爆発汁を水に出しきったところで、缶を取り出して地面でギコギコ続きを開けていきます。



あれ?あんまり臭くない?
3人ともそう思った瞬間でした。

びゅっと風が吹く。


「「「おうふっっっ!!`;:゙`;:゙;`(;゚;ж;゚; )」」」

風が強烈な臭気を運び、鼻をダイレクトに殴りにかかり、何かがこみあげます。

これは…なんと…暴力的な香り…。


体が生理反応を起こすほどの臭気なのです。目からは勝手にぶわっと涙が出、腕にも瞬間鳥肌が一気に立ちます。


Mちゃんなんか高速で10mくらい離れていきます。


しかし、そんなことでへこたれる我々ではない。
黙々と(生贄のD氏が)缶きりというミッションを進めます。




ついに完了。




あれれ?なんか蓋をあけてもいないのに、周囲にハエがたかりはじめましたよ…?





パカッとあけると・・・そこには・・・

白い溺死体のような、ぷりっとしたフィレたちが…。



全開にした頃には、大量のハエがたかるだけでなく、上空にカラスとカモメが旋回し始めました…。

大人気。




冒頭のシュールストレミングおじさんの食べ方レポートだと、このフィレの内臓を取り出して(内臓ごと発酵させてるのね…)、クレープみたいなフラットブレッドに乗せ、きざんだオニオンとマッシュポテト、クリームチーズ、ディルを一緒に巻いて食べると良い、とのことだったので、それに従い、なるべく美味しくシュールストレミングを頂く努力をします。
(下準備をしてくれたMちゃん、ほんとありがとう!!!)



フィレを牛乳やウォッカにかるくくぐらせると、臭みが消えるとのことなので、我々も牛乳にくぐらせます。



フィレのお腹を裂くと、ぷりっと内臓が出てきます。動画はほんとにグロ動画の域なので、載せないでおきます。
 



巻いてみると、なんか意外とイケそうな感じしません?美味しそう、くらいに思えません?
おしゃれラップ、みたいな感じでカフェとかに置いてそうじゃないですか?
(期間限定シュールストレミングラップ、¥800!どうでしょう?)




エチケット袋も用意して、いざ!実食!!







・・・・・・・





リアクションは3者3様でした。


Mちゃん:一口目でエチケット袋へ。「おえええ~」と言いながら走り去る

私:ちびちび食べて、何度かえづいて、1/3でギブアップ

D氏:完食。曰く「美味しくはないけど、食えるよ」

※この様子を録画した動画を後からみたら、めっちゃ面白かった。



個人的に味を表現するとしたら…
アンチョビを更に塩気強くし、(発酵で)クリーミーにした感じ。
ただし、嗅覚を殺しても、口腔全体に広がる強烈な臭みが、どこまでも追ってくる…。
って感じでしょうか。


食べれる人がいる、というのもわかる。絶対無理って人がいるのもわかる。
塩辛系かなー?


私はウクライナ生活で、何にでも入っているディルが苦手で、うんざりしているのですが、今回ばかりは自主的にディルの葉をかじりました。それくらい…(以下略


えーと、一度で十分です。もう二度と食べません。
でも人生で1回くらいする経験としては、おすすめします。



終わりに

A家「口直しにこれ食べなよ」
 

というA家の策略がありましたが、私はこの北欧で流通する「サルミアッキ」というタイヤの味がするというヤバイ飴の存在を知っておりましたので、ひっかからずにすみました。

A家「ちっ、だまされなかったか…」



でも怖いものみたさでサルミアッキも食べてみるドMな私。

んー、色は確かにタイヤ。
味は、なんというかなー、確かに食感はタイヤっぽい(タイヤ食べたことないけど笑)。なんか醤油?とかああいう系のコクのある味がする。



でもシュールストレミングよりは美味しい!!!!笑
全然食べれる!






以上、シュールストレミング試食レポート終わり!
死ぬまでにやりたいことをまた一つ叶えました。協力してくれたA家、本当にありがとう!!!
(尚、完食したD氏は午前中ずっと臭みの後味と戦って、始終水を飲んでいました。)



次の記事はストックホルムとシグティーナという街についてです。

スウェーデン訪問記②~ストックホルムとシグトゥーナの街~




おまけ
食後A家との4コマ「そういう趣味はないという話


おまけ2(その他CISマスターA家関連記事)
◇カザフスタン旅行記
カザフスタン・アルマティ旅行記①
カザフスタン・アルマティ旅行記②~アルマティ市内へ~
カザフスタン・アルマティ旅行記③~食い倒れ~
カザフスタン・アルマティ旅行記④~絶景編!最終編!~
◇カザフスタン4コマ
到着早々彼にさよならを
旅は道連れ世は情け
みんなの気持ちが一つになったとき
離れると恋しくなる?
まさかの心霊スポット
◇ウクライナ生活関連4コマ
おしゃれよりも
トンデモデザインなトレーナー
旧ソ連圏を歩く時に気をつけるべき事
中学生的単語の覚え方






↓ブログランキングに参加中です。よろしければ、1日1回ポチっとお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログへ

拍手[4回]