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2024年05月05日
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ブルガリア訪問記②~バラの谷、カザンラクの街へ~

2017年07月21日

ブルガリアに飛んだ一番の目的は、バラ祭りに参加すること。
実は、ブルガリアでとれるバラは世界で流通するバラ香料の8割を占めているのです。
毎年6月の第一週には、その年のバラ摘み解禁を祝うお祭りが、バラの名産地である、バラの谷に位置する色んな街で開催されます。目ざとくもバラ祭りの情報を聞きつけた私は、祭りの中でも最大規模のカザンラクという街で行われるバラ祭りを目指して、ここまでやってきた訳です。


さあ、ソフィアを朝出発するバスに乗り込みます。朝ごはんは前日に購入しておいたヨーグルトとさくらんぼ。
左のは乳脂肪多めで、クリーミーなお味。右は強烈な獣臭のする羊のヨーグルトでした。右は私無理でしたが、母は「余裕」ともりもり完食していました。母はマジで何でも食べるフランス人なんです。臭豆腐も納豆も何でもござれ。もしかしたらシュールストレミングもいけるかもしれないね。



日帰りツアーに申し込みましたが、あらびっくり、参加者はほぼアジア系笑。シンガポール、台湾、中国、日本。

片道3時間の道のり、綺麗に舗装された道路を(EUの支援さまさまです)走ります。
ガイドさんが、ブルガリアはバルカン山脈が国土を南北に分割するように横断しているのだと説明してくれます。ご参考までに地図を。丸で囲んだ、緑色のエリアがバルカン山脈です。
文字は毎度のことですが、マウスで書いたんで、ちょっと汚いけどお許しください。



私、知らなかったんですが、バルカン半島のバルカンって、山の名前だったのですね。そして、バルカン山脈の中で、バルカン山は別に一番高い山って訳でもないらしいです。しかしながら、ブルガリアの人々にとって、バルカン山はアイデンティティの一つというか、心のよりどころの様な山なのだそうです。(日本人の富士山、アルメニア人のアララトでしょうか。)
バルカン山の写真は撮りそこねましたが、山脈の写真をぱしゃり。




走っていると、何台も馬車を追い越します。しかし、こんなにスピード出してる馬車は初めてでした笑(馬が全速力なの、小走りじゃなくて)。道路標識もちらほら「馬車注意」のマークが。



さー着きましたよー!
広大なエリアにつきました。入口の写真は撮ってません。忘れてた!


人ごみの方へ歩いていくと、民族衣装を着た沢山の人々が。それぞれの地方の民族衣装をきた人々が小さく丸くなってブースみたいなものを作っている。




食べ物を売ってるおばあちゃんたちもいた。食いしん坊の母娘ですから(食いしん坊は確実に遺伝)、勿論トライします。
バニツァ(写真左手前の丸い天板のやつ、パイ生地に、塩気の強いチーズとほうれん草を混ぜて焼いたもの)は文句なくおいしい!ビールが欲しい!スートラシュ(ライスプディング、ミニテーブルの手前に載ったプラスチックのカップに入ったやつ)はほのかに甘くて、うっすら獣の味だけど、おいしーい!乳製品好きにはたまらないラインナップです。

ライスプディングって、日本人には受け付けにくいんですかね。主食の米を甘くしているのが駄目とか苦手って人よく聞きます。(おはぎは??もち米だからいいの?)私も小さい頃は嫌いだったんですが、気付いたら好きになってました。フランスのRiz au laitのおかげ。


花の首飾りや花冠。お金を払うと、一つくれます。私は買ってませんが、インスタの写真を撮りたい女子たちがこぞって購入して、自撮りしていました。一帯バラのいい香りで包まれています。



記念撮影にも応じてくれるみなさま。中華系のおばちゃんたちが積極的に写真とってました。




やっぱりおじいちゃんが愛嬌たっぷりで、たまりません!!





お馬さんもドレスアップです。ぽんぽんかわいい。




バラ祭りは、参加者もバラの谷に入って、バラを詰む事が許されます。私も入ります。(お天気はギリギリ雨が降らない感じで、雲ぶあついですねー…)



子供たちはこのあとの、ダンスに備えてバラを摘んでいます。



カザンラクのバラは、シリアのダマスカスからきたローズ。
見た目はあんまり美しくないのですが、香りはぴか一です。頭にかざってみました。




谷から出てくると、ダンスが始まりました。円を描きながら、さきほど摘んだバラの花びらをかごの中からひとつかみ、舞い散らせながら子供たちが踊ります。


音楽は、東洋っぽさと西洋っぽさが混ざった、アップテンポなもの。ここでもオスマン帝国の影響を感じました。生演奏じゃないのが残念だったな。

最後の方は、祭り参加者たちも輪に加わって踊り始めます。





バラ祭りは数時間で終わり、祭りの空間を離れ、カザンラクの街に向かいます。
実はカザンラクには、世界遺産があるんですよ!世界遺産めぐりをゆるやかなライフワークとしている私は勿論訪問します。

ブルガリアには、紀元前からトラキア人と呼ばれる人々が暮らしていました。
このトラキア人、バルカン半島を中心に、高度な文明を築いてきた人々です。

今回訪問する世界遺産は、トラキア人の墓地、紀元前4世紀に遡るものだそうです。
墓地は小高い丘の上にあるので、階段を上っていきます。暑いです。



小さな入口です。墓地自体が小さいので、入場制限をしています。



中に一度に入れるのは4人です。かがまないと入れないような小さな石の空間になっていて、三角屋根の廊下のような空間を通っていきます。



廊下(?)を抜けると丸い部屋に出ます。ここが埋葬室です。天井部分には絵が描いてあるのですが、これはトラキア人の埋葬方法(慣習)を描いたものなのだそうです。彼らが非常に高度な文化を持っていたということが、この絵を見るとわかります。

左の写真の絵は、トラキア人の夫婦が手を取り合って、最期のお別れをしているところだそうです。



街は、一般家庭のお庭もバラで溢れていて、街道の並木にはぷりぷりのさくらんぼがなっていて、本当に素敵でした。

小さな街なんですけど、博物館もあって、トラキア人の墓地などから出土した数々の品物が展示されていました。それを見て、「紀元前にこんな技術があったのか…」と思わず嘆息するほど。食器とかアクセサリーとか、売ってたら普通に欲しいなって思うような、シンプルで、でも繊細で、ユニバーサルなデザイン。トラキア人の技術はそれほどに発展していたのだと学びました。

興味のある方は↓
イスクラ歴史博物館



民芸品の市場で、うっかり一目ぼれして、母に誕生日プレゼントして買ってもらいました!きのこの塩コショウいれ!お店のおじちゃんは英語×だったので、頑張って片言のロシア語でコミュニケーションとりました。




そんな感じでカザンラク訪問終了。またミニバンに乗って三時間かけて、ソフィアに帰り、翌日あの小さな小さなプロペラ機に乗って、キエフまで戻ってきました。

ブルガリア訪問記、これにておしまい。



本当は冬にクケリを見に行きたいんだけど、冬は直行便がないので、多分諦めます。機会があれば!どなたかレポートしてください!!



<<ブルガリア訪問記>>
ブルガリア訪問記①~旧共産圏の香り残る首都ソフィア~
ブルガリア訪問記②~バラの谷、カザンラクの街へ~(このページ)






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ブルガリア訪問記①~旧共産圏の香り残る首都ソフィア~

2017年07月14日
さて、またしても3連休がやってきたので、旅に出ます。
ある祭を見たくて、ブルガリアを目指します。本当は1人で行く予定だったのですが、母に話したら、「あ?そういえばフランスも、そこ3連休だったわ」ということで、またしても母と旅へ。

さて、キエフからブルガリアの首都、ソフィアまでは飛行機で1時間半強です。
冬は飛ばない、シーズナル便で南下します!



エアラインは、何々?んー、聞いた事ないぞ、「ドニプロ・アヴィア」…。ウクライナのLCCですね、はい。
空港に行って、搭乗ゲートまで行くと、バスに乗せられ、連れていかれたのは…。

うええええ、機体ちっちゃー!!!
 
ひええ、久々のプロペラ機です(バルティック・エアでラトビアに行って以来)。
しかしバルティックより更に小さい機体です。もしかしたら過去最小かも?

乗り込むと、更にちっちゃさを実感!左側が1席、右側が2席しかありません。
チェックイン時にカウンターで「窓側?通路側?」って聞かれたけど、窓側かつ通路側の1人席を頂きました笑。



ドニプロ・アヴィア、乗ってみたい方はこちらから↓
http://dniproavia.com/en/

LCCなのにサンドイッチもドリンクも無料で出たし、離発着前は飴もくれて、サービスは意外と悪くなかったですよ!


さて、あっさりと1時間40分で到着。私の着いたソフィア空港のターミナル、本当に何もないんですけど!?LCC用のオンボロ到着ターミナル、Wifiもなければ、売店もない…。母とは直接ホテルで待ち合わせなので、ひとまず空港を出ます。




街中につくと、「お、なんかキエフと似たり寄ったりなボロさだなあ(←失礼)」と嬉しくなる私。
 


更に嬉しかったのは、久々にモスクが見れた事!アザーンが聞こえるよろこび。
こちらはバーニャ・バシ・モスク。ちょうどラマダンの時期でしたので、夕方になると、イフタールの準備をしているところが、ちらりと隙間から見えました。

ブルガリアはトルコのお隣、そして約500年のオスマン帝国による支配を受けた国。それゆえ、トルコの文化がしっかりと根付いているんですね。



ホテルにたどり着くと、横には、”THE・共産主義”、みたいな建物を発見。
調べてみると、ブルガリアの共産党本部跡でした。通称「ラルゴ」だそうです。
おっとっと、どうやらすごいところに宿をとってしまいました。
 
ブルガリアはソ連には加盟しませんでしたが、一時期は共産主義政権でした。
それまで王政だったブルガリアは、1944年にソ連の侵攻を受け、共和制をとり、共産主義政権となりました(ペレストロイカが始まり、民主化要求の高まりを受け、1989年に崩壊)。

ぶらぶらと歩いていると、そこかしらに共産主義の余韻が見えますね。面白い。




無事に母と合流し、観光スタート。

まずはソフィアから車で20分くらいのところにある世界遺産、ボヤナ教会へ!
http://boyanachurch.org/


母フライト、またしてもディレイしたので(前回はオランダ旅行記ご参照)、焦りながら向かいます。気温は30度近く、タクシーはエアコンなし!汗だくで入口に到着。



この教会は、10世紀の後半~11世紀初頭頃に建てられたそうで、13世紀頃に増築された棟に描かれているフレスコ画が有名なのです。とても小さな教会なので、中に入るのは1回10人、10分まで。そして、有料です。

そしてなんと!入場券の購入に!5分間に合いませんでした!!!閉まってた!!
NOOOOOO!!

仕方ないので、教会の周りをお散歩だけしました。喧騒から離れた、緑豊かな、とても落ち着く場所でした。いつかリベンジしたいと思います。(見そびれたものが残念ながら他にもあるので。)


フレスコ画が気になる方は、こちらのサイトをチェックしてみてくださいね。



続いて、ソフィア市内中心部に戻ってきます。



こちらは、アレクサンドル・ネフスキー寺院。バルカン半島で最も美しい寺院、と称されるとか。ブルガリア独立の契機となった露土戦争で、命を落とした多くのロシア兵の慰霊を目的として建立された寺院だそうです(1912年に建設完了)。

一応入ってみたんですが、母も私もあんまり好みではなかったので、お金を払ってまで写真を撮影する気になれず、中の写真はありません。サーセン。でも外見はとても立派です。ソフィアのシンボルだと思います。



続いて、ソフィア大学。わたくしめの出身大学もソフィア大学なので(わかる方だけわかって頂ければ)、親近感を覚えて思わずパシャリ。ソフィアとは智恵のことですね。




聖ネデリャ教会。10世紀ごろに建てられたそうです。

個人的にはネフスキー寺院よりこちらの石造りの教会のほうが好みです。



こちらはソフィアの女神像。ネデリャ教会のすぐ傍にあります。
逆光で見えにくいかと思いますが、お顔と手がなぜかゴールド。





こちらは、アレクサンドル2世像。

なんでロシア皇帝の銅像がブルガリアにあるのかというと、アレクサンドル2世が、オスマン帝国に支配されていたブルガリアを解放したから、なんですね。
↑よーく見ると、手に書簡を持っています。これは、オスマン帝国への宣戦布告状なのだそうです。
ふんふん。露土戦争ですね。この辺の歴史、あんまり意識したことなかったですが、面白いですね。





翌朝は早い!ということで、スーパーに立ち寄り、朝食になるものを物色。
 
ブルガリア=ヨーグルト!!!

ヨーグルトコーナーが圧倒的な充実ぶりでした。しかもカップが巨大。日本みたいな小さなカップなんてないんです。そして、巨大だけど安い!(0д0;)
母のガイドブック曰く、ブルガリアのヨーグルトの標準サイズは400gだそうです。それより小さいのは確かになさそう…。

確かに街中にも、巨大なヨーグルトドリンクのボトルを手に持って、飲み歩きしている人が…(ウクライナならこれはビールなんですけど)。さすがブルガリア。ヨーグルト大国。


と言うわけで、ヨーグルトとさくらんぼを購入して、スーパーを出ます。
(ヨーグルトの食レポは次回)




夕飯は、正統派ブルガリア料理を食べよう!ということで、こちらのレストランへ。
http://magernitsa.com/en/

ここの素晴らしいのは、お料理は勿論なんですけど、内装!か、かわいいいいいー!!


中では本物のスープがぐつぐついってました。



ブルガリアワインと前菜盛り合わせ。
ブルガリアではトラキア人の時代から葡萄を栽培していたそうで、美味しいワインが有名です。
左写真のバターみたいなのは、不思議。どうやら小麦粉が練りこんであるらしく、ちょっともっちりしている。ガーリックやハーブ、スパイスが効いていて、パンに塗るとよくあう。

前菜はスィレネ(フェタチーズみたいなチーズ)、生ハムやサラミ、ナスやパプリカのサラダやヨーグルトを使った前菜等、飽きないし、バリエーションも豊かです。やっぱりトルコっぽさは感じるけど。


メインはラムのシチューみたいなのを頼んでみました。ウクライナにはないタイプの料理なので、それだけでとても嬉しいです。




そんな感じで、ソフィアの見所紹介終わり。次は私の夢を叶えにいった話を。




<<ブルガリア訪問記>>
ブルガリア訪問記①~旧共産圏の香り残る首都ソフィア~(このページ)
ブルガリア訪問記②~バラの谷、カザンラクの街へ~



<<拍手のお返事>>
>T氏
A家はたらい回しの駐在生活をエンジョイしているようでした:)





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オランダ訪問記~やっぱりチューリップ!キューケンホフ公園&アムステルダム&おまけ~

2017年06月14日
さて、4/17はイースター休暇ということで、3連休!
母君と計画を練り、オランダはアムステルダムにゆく事にしました。土曜の朝にスキポール空港集合です!(母はパリから飛んできます。)
キエフからは飛行機で2時間50分、直行便が飛んでいます。


しかーし。
母のフライトがいきなり3時間ディレイ!手持ち無沙汰な私めは、スケジュール変更を決め、一人で空港で予約したレンタカーをピックし、ある場所へと向かいます…。



アムステルダムから車で1時間弱!着いた場所はユトレヒト!
うわあああー、なんて可愛い街なのでしょうか。うっとり。


ユトレヒトに来たのは、この場所が、ズバリ!ディック・ブルーナの生地だからです。
ミッフィーちゃん(うさこちゃん)の作者、と言えば分かる方も多いのではないでしょうか。

ミッフィー博物館
http://nijntjemuseum.nl/?lang=en



しかし、ミッフィー博物館は、子供向けのようで、博物館前にはぎっしりとベビーカーが停められています。もしかして、アラサー子ども無しの私が1人で行って楽しむ場所ではないのかも…?
ということで、諦めて(本当は入替制で混雑していたので諦めただけ)、代わりに向かいにあるユトレヒトのセントラル・ミュージアムで、「ディック・ブルーナの仕事展」を回ることにしました。
http://centraalmuseum.nl/en/



この限られた線と色での表現力。やはり素晴らしいです。
 


美術館のお庭が素敵・・・!とぶらぶらしていると、謎のミッフィーの置物発見。写真はわかりにくいですが、全面顔になってて、トーテムポールみたいで、ほんと謎でした。可愛いけど。


ちなみに、母(フランス人)曰く、「ミッフィーなんて日本来るまで知らなかった。日本人はみんな知っててビックリした」とのことで、知名度は国によってばらつきがある模様。
確かに向かいの博物館に吸い込まれていくのは主に日本人と韓国人、中国人に見えました。アジアで人気があるのだろうか。

ミッフィー博物館については、こちらの方のブログが詳しいので雰囲気等知りたい方はどうぞ↓
http://mooieiland.com/miffy-museum/



そろそろ母が着陸する頃では?という事で、再び空港に向かいます。
トヨタのYaris(日本名はVitz)を予約したのに、何故かメルセデスのCクラスが出てきたので、道中は大変快適!母をピックし、再び走り出します。


向かう先は!!念願の!キューケンホフ公園!!!わっほーい!
https://keukenhof.nl/en/

人・人・人!ですが、敷地も広大なので、どんどん人を吸収していきます。
ベタな風車!美しい!



遠くでチューリップ畑を管理するおじさんが歩いているのが見えます。



言葉は不要だと思うので、ただ、美しいチューリップの写真をおいときますね。
あ、チューリップ以外も色々ありますからね。




 

 

携帯のカメラロールも花だらけになりました。へっへっへ。



ここで学んだのは、チューリップはトルコから導入されたもので、Tulpan=ターバンという単語からきているそうです。ターバンと形が似ているから。おもしろーい!




帰りは、ちらりとハーグに寄ります。
そう、ハーグといえば「国際刑事裁判所」です。(すみません、国際法専攻だったもので…)
夫が講義の素材に使ってくれるかな?と思い、内助(あんまり内側にいないけど)の功を目指し、写真をパシャリ。


意外とモダンな感じの建物なんですね~。
 




それから、夕食はバーでオランダビールを1杯飲む。オランダでビールといえば、ハイネケンなんですけども、ハイネケンは世界中で飲めるし、ということで、違う銘柄を選びます。
こちらはGrolsch(Websiteは年齢入力させられるよ!徹底してるなー)。飲みやすいです。



そのあとは、素敵なシーサイドレストランで食事を頂きました。
http://goudenreael.nl/en/
旬の白アスパラが食べられて、最高にHAPPYです。前菜もメインもワインも何もかも美味しかったです。(アムス在住の方や、元駐在員に色んなお店を教えてもらったのに、ほぼ予約がとれず、なんとかたどりついたお店がここだったのですが、大成功でした。)



翌日はアムステルダムをぷらぷら。アムステルダム、歩いてるだけで素敵です。
 

たまに馬車が走ったり。



朝食は、「パンケーキ」がお勧めと聞いて、パンケーキ専門店へ。
http://www.pancakes.amsterdam/


日本で言うパンケーキ、よりは薄く、クレープよりは分厚い感じ?一番ベーシックなのは、ベーコン入りの塩っけのあるパンケーキか、バターとシナモンの甘いパンケーキか、のようです。
いずれにせよ、とってもお腹にたまりますね。



腹ごしらえもできたところで、美術館めぐりです!

しかーし、有名どころのゴッホ美術館は最低3時間待ち…(入場券の事前購入をお勧めします。が、我々はイースターの人ごみで、ネットでの事前購入すら叶わなかったという)、おおお、並びたくない…却下。

次の有名どころ、アンネ・フランクの家、ひええー!長蛇の列が1キロくらいできている…(ここも入場券の事前購入ができます。我々は…以下略)、ううう、これも却下です。


そういうわけで、国立美術館へ。朝一番で来たら、すんなりチケット買えました。
https://www.rijksmuseum.nl/jp/general-information-japanese



そう、ここには、あの名作があります!レンブラントの「夜警」!!すごい人でした。

解説カードも置いてあって、実ははじっこで顔が半分見えているのはレンブラント本人だとか、光と影をどのように強調しているかとか、説明を読みながら、じっくりと絵を鑑賞することができます。

それからもう一作、誰もが知っているフェルメールの「牛乳を注ぐ女」もあるはずだったのですが、不運なことに、パリにお出かけ中でした…。ノー!今回は美術館運がないですな…。
(ちなみに「真珠の耳飾の少女」はハーグにあるよ!)


見学を終えて出る頃には、この国立美術館も長蛇の列が…。
そう、初めて知ったのですが、オランダの人口密度、ヨーロッパで(マルタ等の島国を除いて)一番なんですよ。日本より人口密度ランキング上位なんですよ!オランダは18位、日本は25位だそうです。これは驚きました。
出典:世界経済のネタ帳


雨が降ってきたので、おしゃれなお庭のカフェで一服。
http://eatwelldogood.nl/

オランダはシナモンの効いたアップルパイが有名だそうで。今まで食べたアップルパイの中で一番シナモンのパンチが効いていました。これも、ひとえにスパイス王国インドネシアを植民地としていたオランダだからこそだなあ、と母と舌鼓。




そして結局、人ごみに流された結果、夫も居ないのにレジスタンス博物館に来てしまいました…チーン。笑。


オランダレジスタンス博物館
https://www.verzetsmuseum.org/museum/nl/museum

博物館自体も、とてもよく出来てました。
ナチスドイツに占領されたオランダが、徐々に締め付けられていく様子を、市民の生活という視点から展示していました。



一番ぞっとしたのは、ユダヤ人の権利が段階的に、しかしながら急激に制限されていくさま。
公共市場への立ち入り禁止から、あっという間に公立学校の登校禁止、パスポートへ"JEWISH"の”J"スタンプ押印、そしてダビデの星の着用、強制移送へと進んでいきます。時系列に展示された写真や当時の日用品等をみる内に、本当に心の芯から冷えました。


それから、すごく面白い企画展をやっていました。戦時中の限られた当事の流通網で入手できた食材だけを使って、5人の有名シェフたちが、それぞれ与えられたお題に沿って料理をする!というもの。(1940年に入手できる食材で、伝統的なオランダ料理を作る、等々。1人ずつ違う。)
どうやら実際に料理するイベントもあったようですが、当方が訪問した日は展示のみでした。


さほど大きい博物館ではないですが、私のように有名どころの博物館にフラれた方は、訪れてみてはどうでしょうか?


そんなこんなのアムステルダム3日間でした。メインを見てなさすぎなので、また遊びに行きます!次はすいてる時にね!







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イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~

2017年06月08日
大変時間がかかりましたが、イスラエル旅行記、今回でラストです。また文字が多いです。
(すでにイスラエル以外に2件も旅行記のペンディングを抱えております。まずいです。)


今回の旅で一番印象に残った存在がユダヤ人というアイデンティティ。

実は私の血の繋がらない叔母がユダヤ人だったりします。
身近なようでいて、全く知識に欠けていた、この文化について、自分の備忘録もかねて、学んだ事、思った事を書き残していきたいと思います。


イスラエルにおけるユダヤ人の割合は8割弱だそうです。どこの宗教もそうですが、沢山いれば、信仰のあり方も多様です。Wikipediaによれば、イスラエルにおけるユダヤ人の20%は厳格に信仰する人々、ある程度自由にとらえながら信仰する人々が60%、あまり守らない人が20%だそうです。

叔母なんかは、「ユダヤを宗教ととらえる人もいれば、ユダヤはただの文化だととらえる人もいるわ」とのことでした。叔母は文化寄りですね。

テルアビブには至るところにシナゴーグが。



枝の分かれた燭台。どれもメノーラーというのかと思っていたら、7つに分かれているものだけがメノーラーで、8つか9つに分かれているのはハヌッキーヤーというそうです。学んだ。
と言うわけでこれはハヌッキーヤー。
 


町のいたるところに、正統派の服(黒い帽子、黒いスーツ、伸ばしたひげ)を着た人がちらほら。



と言うわけで、ユダヤをもっと学ぼう!と思い、テルアビブでは、ディアスポラ博物館を訪問しました。きっとO家は興味ないし申し訳ないな、と思ったので、ぱぱっと単独行動です!

博物館は、テルアビブ大学のキャンパス内にあります。
http://www.bh.org.il/



やしの木生えてて、いいですねー。こんな大学に留学してみたかった。
この奥の建物がディアスポラ博物館です。


「ディアスポラ」とは元の住む場所を離れて暮らす人々や、そのように離散することそのものを指します。またしてもWikipediaを引いてみると、"Diaspora"と接頭を大文字で書く場合は、離散して暮らすユダヤ人を指すとのことです。("diaspora"と書く場合は、それ以外の民族も含む。思い浮かぶのはアルメニア人のディアスポラ・コミュニティなんかでしょうか。)


ユダヤ人には、古代エジプトで奴隷となり、モーセに率いられて出エジプトしてから、今に至るまで、迫害され続け、故郷を捜し求め続ける、長い長い数千年に渡るディアスポラの歴史があります。


建物に入って、最初のコーナーは”ボブ・ディラン”コーナー、ユダヤ人だったんですねー!
ディランについての展示区画は素敵な空間でした。BGMは勿論ディラン。



こちらの大きな石像は、古代ローマの凱旋門の復元だそう。ユダヤ人達が働かされている様子が描かれている。(写真だと規模感伝わりませんが、大きくて圧巻です。)
 

展示内容としては、ユダヤ人の古代から今までの歴史、世界各地のシナゴーグの紹介やユダヤ人の習慣・コミュニティ・美術等、様々な観点からユダヤ文化を網羅しています。

美しいですね~!



歴史コーナーは、カナンの地を離れた古代エジプトあたりから始まります。紀元前17世紀?
照明が落とされていて、全体的に暗くて怖いです(私が1人だったというのもある…)。


ばっちりと、ウクライナのコサックがユダヤ人に対して行っていた暴虐(東欧やロシアでのユダヤ人迫害は「ポグロム」と呼ばれます)についても取り上げられていますね。



ユダヤ人はどんな顔をしていると思う?という視覚的な展示。
真っ暗な中、沢山の画面に沢山のユダヤ人の顔が、老若男女、入れ替わりながら表示される。これを見ると、一概に「ユダヤ人」と言っても、人種的には本当に多岐に渡るのだと実感します。



時間がないので、かなり駆け足で回りましたが、博物館は巨大で、充実した展示でした。
また時間のある時に、ゆっくりと見直したいなーと思う次第。




それから、エルサレムでは「メア・シェアリーム」という超正統派の人が多く住む地区を車で通過しました。イスラエルに来て、聖地めぐりも勿論印象的だったのですが、この超正統派と呼ばれる人々があまりにも強烈なインパクトを残していきました。
早速黒い衣装をまとった人が。
 


この超正統派の人々、日々ユダヤの教えに忠実に暮らし、多くの人が労働せず、税金もおさめず、兵役にもついていません(=生活保護で暮らしている)。

ガイドさんによれば、彼らが労働や兵役をまぬかれてきたのは、ひとえに、「ここまで迫害されてきたユダヤの教えを、今まで守ってこれたのは、超正統派の人達がかたくなに習慣を守ってきてくれたからであり、彼らに敬意を払い、免除している」からなのだそう。

しかしながら、敬虔な超正統派と、ユダヤはただの文化、とみなす寛容派の間には、深い溝があります。税金や兵役を免除されている超正統派の人々の生活が成り立つのは、まさに寛容派が沢山の税金を払い(イスラエルはとても税金が高いです!ウクライナの物価と比べてしまっている事を差し引いても、めちゃくちゃ物価高い!)、兵役につき(イスラエルが敵国に囲まれている小さな国である事を忘れてはいけません)、超正統派の人々の義務分をカバーしているからなんですよね。



しかしながら、寛容派の人々が「お前たちが日々祈って暮らせるのは、我々が税金を払い、働き、兵役について国を守っているからだぞ」と言ったところで、超正統派の人達は「何を言っているんだ、お前たちが日々暮らしていられるのは、我々が毎日神に祈っているからだ」と、返すのみ。

わかるでしょうか。この強烈にかみ合わない、全く平行線の議論なのです。

「同じイスラエル人、同じユダヤ人というアイデンティティのはずなのに、全く分かり合えない人々が一つの国で暮らしているのよ」と言うガイドさんの言葉が、心に残りました。


しかしながら、鼠算的に増えていく(避妊が禁じられている)超正統派の人々の存在が、どんどんとイスラエルの国家財政を圧迫し始め、ついに超正統派への兵役を義務付ける法案が、(超正統派からの)大反対を受けながらも採決されたそうです。イスラエル軍は沢山の多国籍傭兵を雇っており、このお給料が馬鹿にならないとのこと。彼らをより安価な給与で済む自国民に置き換えたい、ということですね。

果たして、この国はどうなっていくのでしょう…。
 



漠然とした不安な気持ちになったところで、ガイドさんが教えてくれた面白い話を一つ。
超正統派のユダヤ人たちは、モーセの十戒の教えの一つの「汝姦淫すべからず」という教えの元、女性は肌の露出をしてはいけないし、男性は女性と目を合わせることも避ける、何より夫婦は月に1度しか性行為をしてはいけないルールになっていると。

!!??

びっくりしますよね。その月1回も、その月の生理が終わった後にくる最初の安息日(土曜日)にシナゴーグへ行き、体を清めた後(お風呂みたいな場所があるそうで)、性行為をする、と決まっているそうです。

友人が「わー、排卵日近辺。すごい。」と言ったので、あ、確かに!だから、月1回なのに、超正統派の方々はこんなに子沢山なのね…と。(でも逆に合わない人はとことん合わないのでは…?)

しかも行為時に相手の裸を見てはいけないから、間にシーツをはさんで、肝心の場所にだけ穴をあけておく、そういうシーツも売っているらしい、という、ここだけの話も教えてくれました…。
ほんとかな?もはや一種のプレイ…。戸惑う我々…。


そうしたら、ガイドさん更に驚く話を。
「少し前にテルアビブの売春宿のインタビューが放映されて、そこのお姉さんたちが語るには、宿にやってくる客の多くは超正統派の男性だったそう」と!


ちょっと!!モーセの教え!!全然守れてない!!


まあ、そうですよね。月1回って、ね。辛い人は辛いかもですよね。でもまあ、ねえ…。
(ガイドさんは「それを知るまでは、超正統派の人達って、なんてストイックなのかしら、とちょっと尊敬の気持ちのかけらがあったけれど、それを知ってリスペクトの気持ちは吹っ飛んだ」との事。笑。)



長々と下ネタを書いてしまいました。閑話休題。




とまあ、ラストがこんな話題になっちゃいましたが、イスラエル訪問記終了です。
ありとあらゆるものが混ざった、面白い国でした。


ユダヤ関連で私が今回行きそびれて大変後悔しているのが、「ヤド・バシェム」です。ここは、ホロコーストの犠牲者を追悼する為に作られた、イスラエルの国立博物館です。
http://www.yadvashem.org/

有名なのは、ホロコーストの犠牲者達の名前と写真が一面に貼り付けられた塔、「名前の広間」(Wikipediaの写真へリンク)。いつか訪れてみたいものです。気持ちが落ち込むことは間違いないですが…。


次回はぜひとも夫も一緒に、イスラエルを再訪した際に訪れたいなーと思います。

おわり。



◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~(このページ)



<<拍手のお返事>>
>Yさま
お返事遅くなりました。ウクライナに仲間が増えるのは、喜ばしいことです!
ブログでピンポイントにご質問にお答えするのは難しいかもしれませんので、気になることがあれば、拍手でメールアドレスをご連絡ください。お返事させて頂きます。






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イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~

2017年05月25日
さて、またイスラエル訪問記に戻って、その③です。

今回はエルサレム旧市街の中の、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のそれぞれの聖地と、パレスチナ自治区にある、イエス生誕の地、ベツレヘム訪問について書きたいと思います。

スローモーでどうもすみません。


旧市街を進むと、「ユダヤ人地区」の案内板が。前回も書きましたが、エルサレムの旧市街は4つに分かれています。アルメニア人地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区そしてムスリム地区。今歩いているのは、ユダヤ人地区ということですね。
 


下り道を進むと、黄金色の丸いモスク(ムスリム第三の聖地、岩のドーム)の屋根が見えてきます。



今回の旅の一番の目的と言っても過言ではない、念願のユダヤ人の聖地「嘆きの壁」が見えてきます。英語ではシンプルにWestern Wallというんですね。なんだか不思議。(日本は「嘆きの壁」、フランスなんかも"Mur des Lamentations"と呼び、嘆くニュアンスが入っているのですが。)



日本の神社の様に、手を清めてから、祈りにいきます。



男女別に別れていますので、私は女性側へ。



男性側で撮ってもらった写真はこちら(Hさん深謝!)

本当に「嘆いて」います。涙をこぼしている人もいました。
彼らは何を嘆いているのか?それは、「まだ見ぬ真のイスラエル」を思って。
現在の国連決議によって作り出されたイスラエルは、ディアスポラを経て、長く長く真の故郷を追い求める超正統派の方々にとっては、「本当のイスラエル」ではないんですね。


親子で祈る姿も。




さて。ユダヤ教徒の聖地、嘆きの壁を離れて、次はキリスト教徒の聖地へ向かいます。
途中、ラテン語で「苦難の道」を意味する「ヴィア・ドロローサ」という、小道を通ります。この小道、イエスが十字架を背負い、処刑されるゴルゴダの丘へ向かう道とされています。
尚、「ゴルゴダ」とは、ヘブライ語で「頭蓋骨」を意味するのだとか。


このヴィア・ドロローサには、始点と終点を含めると、14箇所の留(りゅう/ガイドさんは”ステーション”と呼んでいた)と呼ばれる中継地点があります。それぞれの留にはストーリーがあって、例えば「イエスが十字架の重みに耐えかねて、膝をついた場所」であるとか、「処刑間近で市民から虐げられながら、小道を歩いたイエスに信心深い市民がこっそりと手を差し伸べた場所」であるとか。
沢山の巡礼者が、イエスの歩いたとされるこの道を辿って歩いていきます。
我々も、ヴィア・ドロローサの途中から、終点である正墳墓教会まで歩いてみることにします。


脱線して、ヴィア・ドロローサの道中のお土産屋さんで見つけたTシャツ、面白いのもあれば、なかなかシニカルなものも…。



ちなみに素敵なパン屋さんも見かけました。頭にのっけて運んでる。こんな穴のあいたパン、中東は色々行きましたが、初めてみました!



また、途中、ムスリムの聖地である、岩のドームもあるのですが、残念ながらムスリムでないと中に入れないということで、遠目から見るのみで終わってしまいました。


脱線から戻ってきて。
留にはそれぞれローマ数字でいくつめの留なのかが示されています。例えば↓の二つは左の留がVI(6つめ)、右がVII(7つめ)ですね。各留で、賛美歌を歌っている巡礼者のグループもちらほら見かけました。




ゆるやかな坂道を登り続けると、さあ、イエスの墓の上に建てられたとされる、クリスチャンの聖地、正墳墓教会へ到着です。この教会は、カトリック教会・東方正教会・アルメニア使徒教会・コプト正教会・シリア正教会等の共同管理になっています。正教会では「復活教会」とも呼ばれるようです。


ここで規模的には大きくないアルメニア教会が出てくるのは、やはり世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国だからでしょうね。アルメニア旅行で学んだ事がここで生きました!笑(アルメニア旅行記のリンクはオマケでこのページの下部に載せておきますね)。

教会内では、沢山の壁画が、イエスの死の前後を描いています。



イエスが十字に架けられ、息を引き取ったとされる場所には、ギリシャ正教の祭壇があり、信者たちが、長い列を作っています。何故なのかと思ったら、祭壇の下は岩肌になっていて、十字架が立っていた場所に直接触る事ができるからなのでした。



この真ん中の大きな石は、十字架からおろされたイエスを横たわらせ、その聖骸に香油を塗ったたとされています。信者たちが悼み、嘆きながらこの石にふれる姿が。
ちなみに今も毎日香油がふりかけられていて、近づくとほんのり香ります。



順路を進むと、ひときわ天井の高い空間に出ます。
そして、その空間の真ん中には、なにやらまた聖堂の様な小さな建物が。

これがヴィア・ドロローサの最終点、最後の留、イエスの墓である復活聖堂・アナスタシスです。私が訪問した時は、修復作業中だったので、ちょっと見た目が悪いですが。ここもものすごい列です。


また、教会内部には、聖地エルサレムをムスリムから奪還するために派遣された十字軍の戦士たちが残した十字架の痕がいたるところに。征服に成功した事を記念して、みんな刻んでいったのでしょうね。歴史を感じて、指でふれてみました。



この教会、クリスチャンの聖地であるゆえに、各宗派の派閥争いがすごいらしく、教会内はきっちりとそれぞれの宗派の管理区画が定められているのだそう。確かに、部屋毎で全然内装やら雰囲気が違うのはそういうことなんですね。

教会内の重要な場所(墓とか十字架建ってた場所とか)は、権力の強い宗派が管理しているのだそうで…。こんな場所だけど、どろどろしている…笑。


また、管理にも細かなルールがあり、基本的に各宗派の判断で行う変更や修理の類は、全宗派の合意を取得しない限り、一切許されないとのこと。たとえ壊れても…。
"STATUS QUO(現状維持)”っていうラテン語のフレーズを聞いた事のある方は多いと思いますが、ここから来ているんですね。
さすがに火事が起きた状態のままにされている椅子の置かれた部屋↓を見て、複雑な気持ちに。
 

その上、建物の2階には、中途半端にかけられたはしごが。これはあまりお金のないアルメニア教会が、自家栽培で野菜をつくっている場所へ向かう道へのはしごなのですが、STATUS QUOの号令が突然かけられた為、はしごをはずす事さえも、全宗派の合意がないと、かなわないんですって。うーん、すごい世界。)
↓話題のはしごは写真の右上の窓のすぐ下にかけられています。

それから、正墳墓教会で面白かったエピソード。
教会の扉は毎朝晩、内側と外側から鍵を施錠・解錠するのですが、内側は各宗派が順番で担当、外側の鍵は近くに住むムスリムの家族が持っていて、世襲で毎日この扉の開閉を請け負っているのだそう!↑写真の左下の扉が、その扉です。
 
いくら他宗派に鍵を渡したくないからって、クリスチャンですらない、ムスリムに頼むって、なんて面白いんだろう、と思ってしまいました。
そして、エルサレムの日常では、ユダヤ人も、クリスチャンも、ムスリムも穏やかに仲良く暮らしているんですね。




長々と書きましたが、聖墳墓教会はこの辺で。
次はエルサレムを離れ、パレスチナ自治区へ向かいます。地区内に入って見つけた壁画。パレスチナ自治政府の旗ですね。至って平和な雰囲気でした。
 



パレスチナに来たのは、ベツレヘム、そう、聖母マリアがイエスを生んだ伝説の地とされる場所に建てられた、生誕教会を訪問するためです!こちらも世界遺産。(Wikipediaには降誕教会とあり、こちらが正式名称なのかも?)


中に入っていくと、薄暗い地下へ進む小さな階段にまたしても長蛇の列が。


階段を降りて地下の空間に入ります。この星↓の上でイエスは生まれたと言われています。
 

灯されたろうそくが、なんだか幻想的。巡礼者で一杯で、イエスの生誕を祝う賛美歌を合唱するグループもおり、教会の中は、厳かだけれどとても温かい雰囲気でした。


教会の外に出ると、キリストの生誕を再現したプレゼピオが。(プレゼピオはキリスト教圏でクリスマスによくみられる、あのジオラマみたいなやつのことです。)
 

この降誕教会は、真向かいにモスクがあり、共存する複数の宗教的施設の存在に、なんだかとても不思議な気持ちになりました。



そしてパレスチナを離れる前にもう一箇所…。
ヨルダンとの分離壁もみてきました。物々しい雰囲気の壁、セキュリティカメラ、有刺鉄線。


壁には絵が。バンクシーはみれなかったけどね!
パレスチナの旗を持つ女性が、銃を向けられていますね。


ベルリンでは壁が崩壊し、パレスチナでは壁が建設される。
どこかで壁がなくなり、どこかでまた新たな壁ができる。

「エルサレム」という名前は、「平和のあるところ」を意味する言葉なのだとか。
壁のない、自由な世界が来る日は、そしてエルサレムがその名を体現する場所となる日は、はたしてやってくるのでしょうか…。そんな事をしみじみ考えたパレスチナ自治区訪問でした。


さて、また文字数多めになってしまった今回の記事はこの辺で終わり。
今回の旅行記、あと1記事だけ書く予定です。奥深きユダヤの世界について。


◆イスラエル旅行記
イスラエル訪問記①~地中海を臨むおしゃれ町、テルアビブ~
イスラエル訪問記②~3大宗教の聖地、いざエルサレムへ~
イスラエル訪問記③~エルサレム旧市街とパレスチナ、聖地巡り~(この記事)
イスラエル訪問記④~ユダヤ関連あれこれ~


<<拍手のお返事>>
>N子
私も、今なら社食のカレーですら美味しさのあまりほっぺが落ちる確信がある。



おまけ!本文でふれた、世界で初めてキリスト教を国教に取り入れた国、アルメニア。
◆アルメニア旅行記
アルメニア旅行記①〜エチミアジンの世界遺産群〜
アルメニア旅行記②〜イェレヴァンあれこれ〜
アルメニア旅行記③〜アララト工場〜
アルメニア訪問記④〜もう一つの世界遺産〜
アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜






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