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2025年04月21日
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到着早々、彼にさよならを

2016年06月23日


おかげで旅の間、瀕死の私のiPhoneさんは、かけたくもない相手に勝手に電話してくれたり、
知らない人のインスタアカウントを勝手に探してきて、その人の写真に高速でいいね&
キャンセルを繰り返したりと、色々好き勝手をやらかし、全く使い物になりませんでした。

キエフに戻ってきて速攻で新しい携帯を買いました…。さよなら、iPhone6…。

牛の大群の実物はこんな感じです↓



という訳で、本題。
A家に会いに、キエフから6時間、カザフスタンはアルマティに行ってきました!
美しいものを沢山見て、美味しいものを沢山食べて、沢山笑った素敵な旅になりました。
これから夫の一時帰国等々あるので、旅行記はスローペースになりそうですが、
ちまちまと書いて(私は描いて)いきたいと思います。

歓待してくれ、朝から夜中まで付き合ってくれたA家の二人に改めて、感謝をこめて。
(尚、A家のくれたネタの数々はこちらから→その1その2その3その4


◇カザフスタン旅行記
カザフスタン・アルマティ旅行記①
カザフスタン・アルマティ旅行記②~アルマティ市内へ~
カザフスタン・アルマティ旅行記③~食い倒れ~
カザフスタン・アルマティ旅行記④~絶景編!最終編!~
◇4コマ
到着早々彼にさよならを
旅は道連れ世は情け
みんなの気持ちが一つになったとき
離れると恋しくなる?
まさかの心霊スポット



<<拍手のお返事>>
Satou様
空港からのシャトルバス、確かにそれらしきものを見たことがありますが、使ったことが
ありません!笑。ぜひ次回いらっしゃったら、トライしてレポートをお願いいたします!

<<追記:ダンナからのお返事>>
Satou様
コメントありがとうございます。空港からシャトルバス(Skybus)は出ています。
Skybusというので、空港からキエフ中央駅までで、格安値段です。
ちなみにタクシーでも中心地まで高くて400UAH=1600円ほどです。


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アルメニア訪問記⑤〜最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム〜

2016年05月28日
アルメニア訪問記最終編。
最後に訪れたのは、「アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム」です。

旦那の限られた知識のなかで、「アルメニアといえばジェノサイド」。

フランスに住んでいた頃、この問題を否定する発言を公に禁止する法律(アルメニア人虐殺否定禁止法)をめぐって大論争が起こっていたことをきっかけに知りました。ちなみにフランスには多くのアルメニア人が住んでいます(50万人とも言われます)。またアメリカにも多くのアルメニア人が住んでいます。こんなにアルメニア国外にアルメニア人が住んでいるのはなぜか。
19世紀末、20世紀初頭にオスマン帝国内でアルメニア人の強制移住や虐殺が行われたからです。とくに第一世界大戦中の15年から17年には、150万とも言われるアルメニア人が虐殺されたということで、昨春には100周年の追悼イベントが行われました。そして現在でも街なかには、「I Remember and Demand」と書かれたポスターが掲げられ、多くのお店の前には同様のステッカーが貼られています。またナチスのホロコーストと並べてその重大さをアピールするポスターもみかけました。



イェレヴァン市内にある博物館。中心街からタクシーで20分ほどで到着します。






アルメニアの学生たちも自国の悲劇について学んでいました。もちろん「修学旅行あるある」で、先生の話を聞かず、騒いで怒られるタイプの学生もいましたが。



ミュージアムの入り口。


ミュージアムを周ってみて、これまで問題は知っていたものの、歴史的経緯を十分に理解できていなかったことを痛感しました。ミュージアムは淡々と写真と説明で解説していくタイプですが、この地域をめぐる大国間関係、オスマン帝国内のアルメニア人の置かれた立場を見事に整理しながら、(トルコ、そして存在を知りながら黙殺したドイツを批判的に)解説しており、非常に理解が進みました。








もちろん現在でも、この問題はアルメニアとトルコの関係に影を落としています。オスマン帝国の継承国家としてトルコは、この問題の計画性を否定しています。それゆえ、この問題も一因となって、両国の国交正常化プロセスは停止しています。そこに最近再燃したナゴルノ・カラバフ紛争、そしてトルコ・ロシア間の対立。「歴史」は終わっていないということでしょうか。

下はアルメニア人が強制的に移住させられたルート。現在問題となっているシリアにも彼らの難民キャンプがあったことをはじめて知りました。



一番胸に突き刺さった写真。息子の頭蓋骨を差し出す老いた父。


周辺の大国は虐殺の現実を目撃していたにも関わらず、戦争のなかの大国間関係によって問題は見過ごされることになります。


日本では、ナチスによるホロコーストに比べれば、このアルメニア人虐殺問題はそれほど知られていないと思います。しかし昨年、この問題を背景にした映画が日本でも上映されました。タイトルは「消えた声が、その名を呼ぶ」。映画サイトの解説によれば..
=以下抜粋=
「1915年、オスマン・トルコ。夜更けに現れた憲兵によって、アルメニア人鍛冶職人、ナザレットの幸せな日々は終わった。妻と娘と引き離され強制連行された砂漠で、突然死刑が宣告され、ナイフで喉を切られた。声を失いながらも、奇跡的に生き延びたナザレットは、生き別れた娘に再び会うため、灼熱の砂漠を歩き、海を越え、森を走り抜ける。娘に会いたい。その想いはたった一つの希望となり、平凡だった男をトルコの砂漠から、遠くアメリカ、ノースダコタの雪降る荒れ地へと導いていく…。」

=抜粋終わり=


もし関心があればDVDでご覧ください!

これにてアルメニア訪問記終了。なかなか日本からは行きにくい国ですが、魅力たっぷりの国なので是非ご訪問いただきたいと思います。メルシー(アルメニアでも「ありがとう」はこれ!)


◇アルメニア旅行記
アルメニア訪問記①~エチミアジンの世界遺産群~
アルメニア訪問記②~イェレヴァンあれこれ~
アルメニア訪問記③~アララト工場~
アルメニア訪問記④~もう一つの世界遺産~
アルメニア訪問記⑤~最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム~





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アルメニア訪問記④〜もう一つの世界遺産〜

2016年05月26日
イェレヴァンでは、ツアーにも参加しました。
奥様が行きたかったもう一つの世界遺産がイェレヴァン中心部からやや遠く、山道を抜けないと行けないというのが理由です。イェレヴァンにはたくさんのツアー会社がありますが、最大手のようでロシア語・英語でツアーを実施してくれるところを選びました。

朝9時に集合して、観光バスに乗り込みます。
ツアー客の多くがロシア人です。やっぱりアルメニアにはロシア人観光客が一番多いのでしょう。今回の参加者の内、英語話者は、ドイツ人とアルメニア人のカップル、アルメニア系アメリカ人で90年代初頭にカリフォルニアに移ったという青年、イギリス人カップルのみでした。でもツアーはきちんと両言語で行ってくれます。ガイドのお姉さんはくるくるとロシア語・英語を切替ながら解説してくれます。ウクライナもグルジアもそうでしたが、バスの道中は解説しっぱなし。そんなに伝えることあるのっていうくらいずっと解説してくれます。


まずは、「ガルニ神殿」。アルメニアで現存する建物の中で、唯一ヘレニズム建築が採用されています。ギリシャやローマにものすごく影響を受けていた時代に建設されただけに、ギリシャの神殿のよう。そしてキリスト教化される前につくられたので、これは多神教。太陽神を祀ったものです。勿論こちらも世界遺産です。


こんな素晴らしい景色に囲まれています。雄大な山々に雲が陰影を作り出します。


一日を構成する24時間と同じ、24本の柱で支えられています。



浴場跡も残っており、床のタイルはモザイク画です(いい写真が撮れず)。 
写真もないのに語って恐縮ですが、このモザイクにはミステリーがあり、面白いのです。
「こんなに苦労したのに、我々は死んだ魚の一匹も得られなかった」という主旨の(確か)ラテン語(だったと思う)が書かれています。要約すると、「アルメニアには海がなく、領土拡大の為に奮闘したのに、失敗に終わった」、という事なのでしょう。とすると、以下解けない謎が残っているのです。
①王族が自らの権力を誇示する場所で、そんなネガティブな文章など残さないはず。
②王族を恨む奴隷が作ったのでは?
 →しかし奴隷には文字など書けなかったはず。そして気付いたら王族が壊したはず。
果たして何故、あの文章は残されたのでしょうか?
ガイドのお姉さんも、「謎解きの妙案募集中です」との事でした。どなたか分かりますか??

モザイクが見てみたくなった方は、他の方のブログなどでチェックできるのでどうぞ。

この神殿、実は17世紀の大地震で倒壊してしまったそうで、現存しているのは再建されたものらしいのですが、それでも一見の価値ありでした。
(そう、アルメニアは地震大国なのです!アルメニア人と地震の話でも白熱しました。)

=========================================

そして見晴らしのよいガルニ神殿を後にして、次に向かったのが「ゲガルド修道院」。アルメニア最大の見所の1つといっても過言ではありません。多くの観光客で賑わっていました。アルメニアで奥様が最も訪問したかった場所です。(旦那氏の思い入れが低めなので、ここからは奥様が愛をこめて書きます。)

見晴らしのよい山々を通り抜けると、突然ごつごつした崖に囲まれた空間が現れます。ここが、おじいちゃん、おばあちゃん達がお土産屋さんの屋台を広げる、ゲガルド修道院の入り口です。
 

入り口からの石畳の坂道を上っていくと、幻想的な石造りの修道院が見えてきます。


石を削って作られた薄暗い教会。入り口はこんな感じ。入り口からすでにワクワクしてしまいますね。
 


中に進むと、まるでダンジョンみたいでロマンたっぷりです。
 


この光の差し込み。神秘的・幻想的な雰囲気を出すために計算してつくられたのでしょう。内部は音の反響がすごく、ここで聞くコーラスは格別です!


ふと足元を見ると大きな穴が開いていて、更に地下へ進んだ、違う階層の礼拝堂が見えます。


岩の至る所に小さな礼拝堂や、アルメニアのパン、ラヴァシュを焼く場所(さすが修道院!生活圏ですね)等が作られていて、探検するのが楽しいです。

 
こちらはアルメニアの至る所で見られるレリーフ。ガイドのお姉さんも「これを見かけたら、アルメニア人がそこにいる!と思え」と言ったほど。石に細かな模様が彫られていて、アルメニア人の宗教観が描かれています。お姉さんに聞くと、元々は木に彫り込んでいたものの、度重なる敵の侵入時に焼かれ、破壊された為、簡単には破壊できない石に彫るようになったとか。悲しい経緯ですね。

アラブっぽい模様だと思った方、それもあながち間違いではありません。ツアー参加者のエジプト人も思わず質問をしたほど。「アラブ人に沢山破壊された歴史をもつアルメニアは、『もしかしたらムスリムが作ったものかも?』とアラブ人に思わせて、破壊を逃れるべく、少しアラブっぽいモチーフも用いてるの」、とガイドのお姉さん。ますます悲しい…。

こういった彫り細工は至るところで見られ、奥様は彫り細工コレクションとして嬉々として撮影して回っていました。少しだけ奥様の扉の彫り細工コレクションをお見せしましょう。は~!おうちにこんなドア欲しい!!



ちょっと脱線してしまいましたが、アルメニアに行かれる方は、ぜひともこのゲガルド修道院、ご訪問下さい!!お好きな方には本当にドはまりする場所なのではないかと思います。



アルメニア旅行記①~エチミアジンの世界遺産群~
アルメニア旅行記②~イェレヴァンあれこれ~
アルメニア旅行記③~アララト工場~
アルメニア旅行記⑤~最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム~







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アルメニア旅行記③〜アララト工場〜

2016年05月22日
アルメニアといえば、コニャック。
アルメニア・コニャックと言えば、「アララト」あるいは「ノイ」です。

今回、工場見学に行ったのは前者の「アララト」。旧ソ連圏では大変有名なブランドです。


「アララト」というのは、アルメニア人のなかで愛される山。日本の富士山のようなものでしょうか。ただし現在この山は揉めているトルコ領にあります。こんな辛いことはありませんよね。

さて、予約などせずアルメニア市内の工場に突撃したところ、本来は事前予約が必要だけど次の英語ツアーに空きがあるからといって特別に入れてもらいました。ラッキー!

二種類あって、ツアー自体は一緒ですが、その後のテイスティングのレベルがかわってきます。会社の歴史、コニャックの製法、保存方法など色々とレクチャーを受けます。



実は「コニャック」と呼べるのは、フランスのコニャック地方産のみで、正式にはブランディーと名乗らなければなりません。アララトの方もこの点は承知しているようですが、やはり旧ソ連圏に輸出するときには「コニャック」として売り出すそうです。まぁちなみにこの「アララト」はフランスのリカー会社に買収されているんですけどね。

また政治家や有名人が訪れた際には記念樽を作るそうで、プーチン、ルカチェンコ、エリツィンといった旧ソ連諸国の政治家の樽が多く置かれていました。





ツアーでは、アララトにまつわるいろんな逸話を話してくれるのですが、やはりというのがこちら。ヤルタ会談でスターリンから「Dvin」というコニャックを送られた英国の首相チャーチルはこれを大変気に入り、その後、毎年400本仕入れて生涯愛飲したそうです。チャーチルはアルメニアのブランデーを飲み、キューバのシガーを吸って冷戦を戦っていたんですね。



そしてもう一つがこちら。これは「平和の樽」と呼ばれています。アルメニアは隣国アゼルバイジャンとの間で、「ナゴルノ・カラバフ地方」をめぐる領土問題を抱えています。そこで停戦協定の当事国の間で作られたのがこの樽。後ろの国旗は、左からアゼル、フランス、ロシア、米国、ナゴルノ・カラバフ共和国、アルメニアですね。この樽は平和が訪れた時に割られるようです。しかし今年四月初頭には停戦後はじめて戦闘が再開。我々がいく直前も、イェレヴァン市内でバス爆発事件がおきたので、まだまだ平和には程遠い状況です。この樽が開けられる日はいつ来るのか。



さぁ固いお話はこの辺りにして、いよいよ試飲タイム。先述の通り、二つコースがあり、安いほうは、3、5、7年もののコニャックを、高いほうが10(Akhtamar)、20年(Nairi)もの、そして10年ものの特別コレクション(Dvin)を試飲できます。高いといってもツアー込みでおよそ2000円。バーで飲むより断然安いです。しかも一口分かとおもいきや、写真のとおり、ガッツリです。

 

お姉さんが飲み方を教えてくれます。「コニャックと合うのは、3Cと呼ばれていて、Cognac(コニャック)、Cigar(はまき)、Coffee(コーヒー)よ。もう一つ加えるならChocolate(チョコ)。」とお姉さん。なんというか、大人な組み合わせですね。
そして、乾杯にまつわる小話も一つ。「アルメニアではグラスの淵に小さい悪魔がたくさんくっついていて、それをふるい落とすために乾杯すると考えられているの。酔っ払ってしまったら、それはうっかりグラスのなかに悪魔を落としてしまったせいにできるのよ」と。奥様はこの素敵なお話を聞いてえらく感動していました。




チャーチルが愛した「Dvin」の価格が最も高いわけですが、これは我々には渋すぎる。我々はまだ未熟者ということです。もっと人生の酸いも甘いも知らないと、Dvinの魅力は分からないのでしょう。
我々にとってベストは20年ものでした。飲み比べてみると、味の違いが明らかにわかります。20年ものはキャラメルのような香りでまろやか!飲みやすい。前日飲んだ7年ものとは圧倒的な差を感じます。(もしこのツアーに参加される方がいらしたら、絶対に高い方のコニャックテイスティングに申し込まれる事をお勧めします!!)

普段、旅行先で絶対お酒を買わない我々夫婦ですが、コニャックは長持ちする(半永久的にもつとのこと)ということで、今回ばかりはお気に入りの20年ものを買ってしまいました。しかもグラスまで。家でもちびちび飲みたいと思います。


さすがに短い時間で三杯全部飲みきったので、二人ともすっかり酔っ払いと化して、イェレヴァンの中心地に戻ったのでした。


◇アルメニア旅行記
アルメニア訪問記①~エチミアジンの世界遺産群~
アルメニア訪問記②~イェレヴァンあれこれ~
アルメニア訪問記③~アララト工場~
アルメニア訪問記④~もう一つの世界遺産~
アルメニア訪問記⑤~最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム~


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アルメニア旅行記②〜イェレヴァンあれこれ〜

2016年05月21日
イェレヴァン、正直市内にはあまり見るものがありません。でも「観光スポットがない=つまらない」という図式はおかしいと思うのです。アルメニアのような元々イメージがない国は、ただ歩くだけで楽しい。現地のお店、レストラン、人々の生活風景...これを見て何かを感じたいんです(笑)

さて街ぶら開始。ホテルから出てすぐに見えてきたのが、オペラ。世界中のオペラを見てきたので、正直この建物をみて感動することはありません。でも、このなかにディスコ・クラブが入っているのは衝撃です。しかも何やらソ連スタイルの匂いがぷんぷん。



アルメニアで一番の繁華街。目貫通りの「ノーザン・アベニュー」。ブランド・ショップも並びますが、大した数ではありません。朝昼と人もぱらぱら。さすがに夜はおしゃれな若者で賑わっていましたが。

さてここにはSimカードを買いに来ました。こちらのSIMカード、過去最高に安い。正確な値段は忘れてしまいましたが、数百円で三日間インターネット&電話し放題。激安のウクライナより安い。安すぎてちょっと心配になります。こういうところから現地の物価が見えてきます。


しかもアルメニアはウクライナと違って、すでに「4G・LTE」が導入済み。多くの広告を見かけたので恐らく最近導入されたものと思われますが、それにしても進んでいる。



ビール、こちらも激安ですが、結構おいしかった。
ビールは日本じゃないと、ドイツじゃないと、アイリッシュじゃないとといいますが、
最近思うのはローカルビール、安いのに意外にもうまいやん!ということです。単に面白いだけではなく。単に興味からだけではなく、イケてるのです。ちなみにアルメニアのスーパーには、キエフのスーパーであまりみかけない、アサヒスーパードライが置いてありました。すごい。


そして水飲み場。これだけだと意味不明ですが、街のいたるところに出しっぱなし(蛇口がそもそもない)の水飲み場があります。でも衛生的でないし、誰も飲んでないやろ〜と思って眺めていると若い女性や子供、そして老人まで皆飲んでいる。この国は、水が豊富なのか。山があるからなのか。そしてなぜか知りませんが、日本やウクライナにいるときよりものどが乾く気がします。試してみましたが、冷たくておいしかったですよ。でも出しっぱなしというところがすごいです。



で、散歩を続けていると、出ましたブルーモスク。
ものすごく綺麗。前回の投稿にも書きましたが、アルメニアは世界ではじめてキリスト教を国教にした国です。ですから隣国はイスラム教が多数の国でも、ここはキリスト教がマジョリティ。
18世紀に建築され、ソ連の宗教弾圧により活動を停止したこのモスクは、アルメニアの独立後、イランの支援でリノベされたそうです。
 

お祈り時間を外したからでしょうが、警備もそれほど厳しくなく外から内側を覗くことができます。


そして夜は偶然発見した「ソ連ハウス・カフェ」。看板が外にでているのですが、カフェ自体はアパートのなかにあります。すっかりソ連文化にハマっている(!?)奥様が「行こう、行こう」というので、恐る恐るアパートのベルを鳴らします。中からイケてる感じのお兄ちゃんが出てきました。

店内ではラッキーなことに生演奏中。でも、それを聴くお客さんの注目は、突然入ってきた怪しいアジア人に向けられます。。そんな我々って希少なのか!?席についてもずっと見てきます(笑)店員さんは、「なぜ俺らの店を知っていた?」と聞いてきましたが、「いや、あんたら前にめちゃデカい看板出してますやん」と突っ込んどきました。





メニューは、ソ連共産党のファイルをイメージしている感じ。


なんか不思議なことにものすごいリラックスできます。ソ連時代のアパートを再現した店内。
小さいのですが、現地の若者がだらけに来ているという感じです。

それにしてもこの店に限らず気づいたことが。皆、英語がかなりできる。上述のSIMを買った携帯会社の窓口のおばちゃんも、他のレストランもキエフよりも英語ができる印象。アルメニアはロシアの影響をかなり受けており、ロシアとも同盟国です。もちろん街なかにはアルメニア語以外にロシア語も溢れかえっていて、人々も普通にロシア語を話します。だから英語は通じないと勝手に思っていました。ところがどっこいです。「ヨーロッパ」の仲間入りしたいウクライナよりもできるとは。もちろん首都だからというのはあるでしょう。でも首都でも英語が通じないところは結構あるのです。さてオリンピックを控える日本、東京はどうかな?

そんなことを考えながら、コニャックをちびちび飲んでいました。




あ、アルメニアといえばコニャックですからね!ということで、今度の記事は、有名なコニャックメーカー「アララト」の工場見学についてです。


◇アルメニア旅行記
アルメニア訪問記①~エチミアジンの世界遺産群~
アルメニア訪問記②~イェレヴァンあれこれ~
アルメニア訪問記③~アララト工場~
アルメニア訪問記④~もう一つの世界遺産~
アルメニア訪問記⑤~最終編:アルメニア・ジェノサイド・ミュージアム~


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